読書日記(1995年9月-12月)
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○読んでよかった △読まなくてもよかった ×読まなければよかった
Sep.95
Oct.95
Nov.95
Dec.95
○「地球(ガイア)のささやき」龍村仁 創元社
朝日新聞夕刊のコラムに著者が取り上げられいて興味をもつ。ハイポニカ農法の野澤重雄氏への言及があり、以前読んだ野澤氏の「ハイポニカの不思議」が面白かったのを思い出したため。
内容は、「すごく」まではいかないが、面白かった。シャーリー=マクレーンのところで「チャネラー」が出てきたあたりは眉に唾する。また「性の営み」二章分は、もう少しつっこんで書いてほしかった。
エンヤのCDを買って聞いたのが「ふろく」みたいなもの。年末に友人の奥さんがこの著者の制作した映画「ガイアシンフォニー(地球交響楽)」を箕面に呼ぶらしいので見にいくつもり。
○「道教と気功」李遠国著 大平桂一・大平久代訳 人文書院
大平さんに送っていただいたもの。再読。前回読んだときよりは少し解りやすくなっていた。
○「人間臨終図鑑(上・下)」山田風太郎 徳間書店
なんか考えさせられる本である。ずーっと健康で長生きして、あまりジタバタせずにお迎えを待ちたいと思う。
○「リバー・ソロー」クレイグ=ホールデン著 近藤純夫訳 扶桑社ミステリー
ミステリは、だいたいアメリカのものしか読まない。これは叙情的なところがよかった。
○「豊穰の地(上・下)」フェイ=ケラーマン著 高橋恭美子訳 創元推理文庫
待ってましたよ、ケラーマンさん。予想に違わず面白かった。ところで、旦那のほうの新作はまだ出ないのかな(実はジョナサン=ケラーマンのほうが好きなのだ)。
△「フリー」トッド=コマーニキ著 近藤純夫訳 扶桑社ミステリー
うーん。僕にはもうひとつ合わなかった。途中まで読んだところで一気に解決までとばしたのは著者にも訳者にも申し訳ない。
○「狂気の果て」デイヴィッド=リンジー著 山本光伸訳 新潮文庫
いつ読んでもいいなあ、ヘイドン刑事は。ミステリのキャラクターのなかで一番親近感を感じる(一番好きなキャラクターはローレンス=ブロックのマット=スカダーだけど)。
ところで、日本人にとって南米というのは、「外国」という言葉を聞いたとき最も思い浮かびにくい地域なんじゃなかろうか。少なくとも僕にとっては、アフリカよりまだ遠いような気がする。この小説の舞台となる南米のようすを読んでいくうちに、以前読んだ「インサイド・リーグ」という本を思い出してしまった。あれはすごい本だったな。
○「漱石全集(第18巻)漢詩文」夏目金之助著 一海知義訳注 岩波書店
恩師一海先生からの依頼で、収録漢詩の平仄をチェックした。下調べをした御褒美に、この巻だけ岩波書店から送っていただく(もちろんアルバイト料もちゃんと出していただきました)。漱石全集は分売しないということだったので、入手できたのはありがたい。ところで、この岩波が力をこめたという漱石全集、第一回配本の扉の肖像写真が裏焼きだったという話を読んだが、本当なのかな。
○「死者の長い列」ローレンス=ブロック著 田口俊樹訳 二見書房
真打ち登場。こよなく愛す「マット=スカダー」シリーズ第12作。ローレンス=ブロックはマット=スカダーの他にもうふたりシリーズキャラクターを持っているが(泥棒ものと弁護士もの)、新作が出るとあわてて買いに走るのはこのシリーズだけ(あとのふたりは名前も思い出せない)。ミステリは原則として文庫本でしか読まないのだが、したがって例外的に単行本を買って読むのもこのシリーズだけである。
マットについてのメモ。元刑事。自らが撃った跳弾により少女を死なせてしまった経験がある。元アル中(アルコール中毒に終わりはないので、現在もAAの集会に顔を出している)。今回免許を取る決心をするまでは無免許の私立探偵であった。殺人だけは特別の犯罪だという倫理観。しかし、殺しにも手を染める酒場のオーナー、ミック=バルーとの交流もある(マット自らが殺人によって事件にケリをつけたことも)。死に至る病に倒れた元ガールフレンドを見守るなど、最近は生と死を見つめる姿が多く見られる。
しかしアメリカものは、「人生」を相手にしても変に湿っぽくならず、自恃を大切にする人物の登場するのがいい。ドライさは、書き手が下手だと薄っぺらなものになる場合が往々だが、その点このシリーズは抑制された叙情とでもいうべき要素が適度に配合されていて、本を閉じるときには例外なくカタルシスが味わえる。
×「物的証拠」T=ノグチ・アーサー=ライアンズ著 北條元子訳 扶桑社ミステリー
○「日本近代文学の起源」柄谷行人 講談社文芸文庫
意識されざるものが意識されるに至った契機・過程を解明する試み。いったん意識され「制度」化されるとその契機が忘れ去られてしまう、というのはよく経験するところである。この本では「風景」「内面」「病」「児童」などが論じられている。
特に面白かったのは「内面」。個人の内面にいったい何ほどの意味があるのかと常々感じているので溜飲の下がる思いがした。キリスト教および告白という制度と日本近代文学との関わりが私にとって新しい知見(もっともこれはキリスト教そのものに対しての理解ではないわけで、私のキリスト教理解は田川建三氏の著作に負っている。三一書房刊「イエスという男」はいい)。
△「シークレット・ヒストリー(上・下)」ドナ=タート著 吉浦澄子訳 扶桑社ミステリー
面白いといえば面白いのだが、これはミステリなんだろうか。通勤電車での暇つぶしには(分量もあって)よかったが……。
×「一休道歌(上・下)」バグワン=シュリ=ラジニーシ著 スワミ=アナンド=モンジュ訳 めるくまーる
なんでこの本を手に取ったかというと、著者よりも一休に興味があったため。しかし、それなら一休の漢詩集を読めばよかった。
えー、でも、この手のよた話っていうのも、本当は嫌いではありません。長期休暇にゆったりした気分の天気のよい日があったら再読すると思います。
○「ブッダ(1)-(12)」手塚治虫 潮ビジュアル文庫
二日に一度ぐらいの割合で食事をとりに行く中華料理屋で読む。手塚治虫は高校の先輩にあたるらしい。宝塚の手塚治虫記念館にも行ったことがある。
○「快楽の動詞」山田詠美 「文芸春秋」1995年7月臨時増刊号所収
「行く」と「死ぬ」を軸にしたエクスタシーについての考察。所収誌は「短編小説傑作選 戦後50年の作家たち」と銘打っていますが、これは小説というよりもエッセイでしょう。考えこみすぎず、しかし冷静で、サラッと書いていますね。山田詠美を読んだのは初めてですが、こういう文章を書く人だとは思っていませんでした。ミステリに飽きたら1冊ぐらい他の著作を手にとってみるかもしれません。
△「コンピュータから出た死体」サリー=チャップマン著 吉澤康子訳 集英社文庫
パソコンおたくの気味があるからか、話自体はけっこう楽しんで読めた。しかし、この主人公は僕の好みでない。キャリアのフェミニズムのと、本当にこんな薄っぺらなレベルで考え、かつ態度にもあらわす人間がアメリカにはいるのだろうか。たぶん戯画化しているのだろうとは思うのだが……。
ところで、気になったことがひとつ。本書では生マジメな人物を指して「A型人間」と呼ぶところが複数出てくる。これ、原書でも「血液型がA型」と書いているのだろうか。血液型なんてアテにならぬものをごちゃごちゃ言って喜んでいるのは日本人だけだと思っていたのだが……。
○「郵政捜査官」ショーン=マグレディ著 茅律子訳 ハヤカワ文庫
この著者のものは初めて読んだ。久々にヒットした感じ。初期のマット=スカダーと同じく主人公エイモンにはアル中の気味があり、自己を見失っていく予感(しかし人格崩壊のあとには再生が待っているという按配の……)を抱かせる。この作品ではまだ踏みとどまっているが、このシリーズはすでに4作目までが発表されているとのこと。翻訳されるのが待ち遠しい。
ひとつ気になったのは、作品の中ほどで登場する霊媒師について、その意味合いが決着していないこと。これも第2作以降で触れられていくのだろうか。
【本書から】
……はっきりわかっているのは、おれのアメリカがひとつも好ましくない方向に変わりつつあって、おれのような恐竜はどこへ行ってもますます歓迎されなくなっていることだ。……野暮天でいることは、タマネギがたっぷりかかったTボーン・ステーキを食うことは、難しくなる一方だ。コレステロールがどうとか、食物繊維がどうとか、頼むからもういわないでくれ。(P147)
△「スローカーブを、もう一球」山際淳司 角川文庫
あっというまに読み終えた。評判の高かった「江夏の21球」もよかったし、「たった一人のオリンピック」も面白かった。さすが、この方面のライターの第一人者であった著者ならではのノンフィクションだ。
ただ、僕自身、競技スポーツがあまり好きではない(その割にはいろいろとテレビ観戦しているが)。△をつけたのはそのためで、本の出来のせいではない。
このあいだの日本シリーズは、はなはだ面白くないシリーズになった。第1戦か第2戦で、ヤクルトのピッチャーがイチローに死球を与えたためだ。僕にとっては、あの段階でシリーズは終わった。
「そこまでして勝つのが面白いのか」と思うのだ。ヤクルトでイチローに匹敵する存在といえば古田だろう。以後古田は出さないとか、古田にもひとつぶつけてから仕切り直すとかするのがスジだろうと考えつつ、どうしてこんなことでイライラさせられねばならないのか、野球なんて元来がその程度のものではなかったかと気持ちの悪い数日間を送るハメになった。
で、僕が好きなのはプロレスである。「勝たなくったっていい」というのが画期的なのである。
○「巨人 出口王仁三郎」出口京太郎 現代教養文庫
大本教のことはよく知らない。出口なおについて読んだことがあって、そちらのほうは面白く感じ、機会があればさらに何か読んでみたいと思っていた程度だ。ちょうどこの本が文庫に入ったので、読んでみることにした。
ただただ驚き、圧倒される。もっとも僕は宗教的人間ではないので(自分では性的人間だと思っている)、何かの啓示を受けたということではない。自分が無知であったと知ったときに感じる高揚感(新たに知るべき対象が入手できたのだから)が中心だろう。それと王仁三郎の人間としての面白みか。
まあ住んでいるところから割合近いことでもあるし、冬休みあたりに綾部・
亀岡方面に行ってみようと思ってはいる。
△「鮮血の刻印」ビル=クライダー著 堀内静子訳 新潮文庫
サイコスリラーというのか、異常者による連続殺人がテーマとなっているこの手のミステリはおおむね好きである。ところが、しばらく読む機会がなく、久々にこれを読んでみたら、あまり面白くなかった。どちらかというと児童虐待(チャイルドアビューズ)の実態はどうなっているんだろう(アメリカでは)という疑念(というか疑問というか)が盛り上がってきた。
○「プラトニック・アニマル」代々木忠 情報センター出版局
著者は、性感マッサージやチャネリングセックスで一世を風靡したあのAV監督。セックスについて、女たちの本音とは何か、イクため・イカせるためにはどうしたらいいのか、愛とは……と縦横無尽に語っている。
いつの間にか身につけて(つけさせられて)しまっているヨロイを脱ぎ、エゴのカラを破ったところから快楽や愛が生まれるというのは、その通りだと思う。9月に読んだ「地球(ガイア)のささやき」の項で「『性の営み』二章分は、もう少しつっこんで書いてほしかった」と記したが、その点では確かにこの本のほうが一歩も二歩も踏み込んでいる。
ただし、性の問題は突きつめていこうとすればするほど足をとられてしまうようなところがあって、やはり考え方の枠組みだけを提示してお茶を濁しておくぐらいのほうが矛盾が出ないようだ(だからこそいろんな人に、お茶を濁すんではなくとことんまで書いてほしいわけだが)。この著者の場合には、「エゴの破壊」が、相手のプライドを傷つけ、言葉によってなぶり、精神的にとことんまで追い詰めていくことによって得られるというあたりに物足りなさを感じる。「わたし、淫乱なのー」と叫ばせることが手柄であるというような気配がけっこう濃厚に感じられる。実はこれが、僕にはちょっとついていきにくいところなんだよねえ。
人間、とりすました外面をひっぺがすと卑しく汚れたものが噴出するのだというような露悪者ぶりは(たとえば昨今のビートたけしの不調などに明らかなように)時代遅れなんじゃないかと思うわけですね。ひっぺがしたあとに出てくるものが幼児期・青少年期に刷り込まれた淫乱ファンタジー程度のものであるならば、結局のところそれは、時代を超えるというよりも、みすぼらしい個人史を逆行しているだけのことになるんじゃないかな。学ぶべきところはあったけど、性的人間(自分のことです)としては「まだまだ道は遠いなあ」とため息をついているというのが正直なところ。
おまけとして、僕が「よた話」と簡単に片付けてしまったラジニーシが本書中に「インドの哲人」として言及されていました。そうだったのか……。
○「黒い未亡人(上・下)」ダリアン=ノース 文春文庫
900ページに垂とする大作だが、読み始めたらやめられなくなった。
高名な画家が殺害され、容疑者として謎めいたアジア系の年若い妻が法廷に立たされる。物的証拠は皆無、しかし状況はこの妻が犯人であることを示しているようだ。画家は一種の奇人とも言える人物。ニューヨーク郊外の自分の屋敷の建築(増築)に情熱を傾け、彼にとっての「城」であるその邸宅を完成させるべく芸術家仲間を週末のパーティーに招待する(各々にその技量を発揮させ協力してもらうのだ)。交際範囲はその芸術家たちにほぼ限られている。画家はなぜか自らの過去を周到に隠していて、魅力的な夫人の出自もはっきりしない。
この状況下、カンザス(というのはすごい田舎らしい)の農場で働く主人公(ライター志望、32才)は、エージェントから裁判を傍聴し実録モノを書く仕事があるという情報を得る。チャンスに飢えている主人公は自薦し、何とかこの仕事を得るのである。
裁判所で一目見た未亡人に魅かれた実直な主人公は、裁判を傍聴することだけでは飽きたらず、精力的に夫婦の過去を調査していく。そこからは一気の謎解きである。
接する人に信頼感を与えずにはおかない主人公に、関係者は重い口を開いてゆく。作られた過去のイメージは、会う人ごとに様相を一変させる。「めくるめく」というのはこういうことかという展開。おそろしい力作である。
感想はふたつ。
ひとつめは、またもや作中のチャイルドアビューズに呆然とさせられたこと。「人間」と呼ぶにはあまりにも浅ましい家庭の暴君が世間では善き人物として通用する怖さ。「田舎と都会」「家と個人」というのは日本の近代文学にあっても中心的なテーマだったが、日本型旧式「暴君」も同根のものであったのだろうか。
ふたつめは、アジア系の妻がミステリアスに描かれ「すぎて」いると感じたこと。「謎めかした態度・表現は格好がわるい」と思っているので、実は作者が意図した(?)ほどにはこの女性に魅力を感じることができなかった。他の読者はこのような人物(女性)に魅力を感じるのだろうか。
【本書から】
「母は大変に歴史を重んじていました。人類がこんなに賢くなれたのも過去から学び、よりよい未来を創り出す能力があったればこそだと、よく言っていたものです。それでね、そろそろみんなが歴史っていうのはなにも戦争や政治や宇宙開発だけではないんだということに気づいていい頃だと思うんですよ。……いくら自由の国に生きているといばっていても、自分の足元に、自分たちの家庭のうちに圧制があっては何にもならないんですよ」(下P147)
○「家族の深淵」中井久夫 みすず書房
大変面白く、また勉強になった。特に「分裂病の陥穽」で論じられている悲観論と楽観論とについての話は、うすうす感づいていたことをきちんと言語化してもらったという気がする。
ところで、神戸在住の著者にとっては、今年1月の阪神・淡路大震災が個人の内面を揺るがすほどの事件とはならなかったようだ(著者にとってのエポックメイキングな事件が何であったかは本書中に書いてある)。やはり人生というのは人それぞれだ。僕は、震源地からある程度の距離があり、たいしたケガをしたわけでもないのに、いまだに精神的後遺症をひきずっている(寝つきが悪くなった)。
×「癒しの科学 瞑想法」山崎正監修 山田冨美雄編 北大路書房
△「子どもの悲しみの世界」森省二 ちくま学芸文庫
興味がないわけではないが、取り上げられるひとつひとつの事例についての記述が簡潔すぎて、話が図式的に感じられた。「問題」として何かを論ずる書物はずっしりしたものであってほしい。
○「暗い森」アーロン=エルキンズ著 青木久恵訳 早川ミステリアスプレス
読み始めて、以前読んだ本であることに気づく。たまにこういうことが起こる。
エルキンズは好きな作家だが、著名でもあるし、今回は特に書かない(次の一冊も)。
○「画商の罠」アーロン=エルキンズ著 秋津知子訳 早川ミステリアスプレス
×「最後の訴え」リザ=スコットライン著 高瀬素子訳 ハヤカワ文庫
ちっとも面白くない。「ユーモアとウィットたっぷりの筆」(訳者あとがき)とのことだが、いつのまにユーモアとウィットはこんなものになりさがったのか。
○「ルドルフ・シュタイナー」コリン=ウィルソン著 中村保男・中村正明訳 河出文庫
○をつけたのは、シュタイナーという人物が面白かったからではなく、コリン=ウィルソンを知ったため。シュタイナーについては、第6章「オカルティストと導士」にいたって全く興味をなくした。第7章「神殿の建設」も噴飯もの(お笑い種)である。
もしこの読書日記を初めから読んでくれている人がいたら気づくだろうが、僕はたまに宗教めいた内容の本を手にとる。生来その手の才能がなく、考え方の面でも接点のない宗教関係の書物を読んでみるのは、やはりそこには何か自分がまだ気づいていないものがあるかもしれないという期待からである。また、トシのせいか仕事が忙しすぎるせいか、ワクワクする気持ちが最近とみに薄れていて、毎日が平穏(かつ単調)にすぎているのにふと思いいたると、どういうわけか落ち着かないような、へんてこりんな気分にもなる。魂の救済、なんて言葉が口からこぼれ出そうになるのだ。そんなとき、この手の本に目がとまってしまうような気がする。
でも、もうやめようかと思う。これまで読んだ本はことごとく空振りである。ことにこのシュタイナーの伝記を読むと、霊能者ですらべったりと文化と時代の烙印を押されているのに気づく。キリストがどうしたっていうのだ、というのが正直な感想。キリストは、田川建三氏の描く姿が最も感動的だし、理性的でもある。
ただし、コリン=ウィルソンはいいかもしれない。ちょうど朝日新聞にも誰かが面白いと褒めていたところだし、すこし読んでみようか。
【コリン=ウィルソン、もっと】
「殺人ケースブック」
「現代殺人の解剖」
△「西行」高橋英夫 岩波新書
西行について知りたいという欲求が高まってきているのだが、なかなかぴったりの参考書に出会わない。
○「ダーウィン以来」スティーヴン=ジェイ=グールド著 浦本昌紀・寺田鴻訳 ハヤカワ文庫
グールドの書くものはどれも面白く感じる。文科系の人間にも何か「わかったような気持ち」にさせてくれるのが嬉しい。冷静なのもよい。
○「がんは切ればなおるのか」近藤誠 新潮社
考えさせられる一冊だった。同じ著者による本をもう何冊か読んでみるつもり。事例として逸見さんと山川さんが取り上げられているが、読むほどに心が痛み、医療従事者に対する憤りがこみあげてくるのだった。
【近藤誠、もっと】
○「殺人ケースブック」コリン=ウィルソン著 高儀進訳 河出文庫
「ルドルフ・シュタイナー」を読んでシュタイナーより著者のウィルソンのほうが面白いのではないかと予想したが、その通りだった。大きな鉱脈にあたったような気がする。
△「素人バカ自慢」高橋春男編 朝日文庫
まあ暇つぶしにいいでしょう。定期購読している雑誌は現在「噂の真相」しかないが(これは10年以上かかさず買っている)、著者がそちらに連載している「絶対安全Dランキング」を愛読しているので買ったという次第。残念ながら「絶対安全Dランキング」のほうがずっと面白い。
△「日本エロ写真史」下川耿史 青弓社
面白いといえば面白いし、それほどでもないといえばそれほどでもない。掲載されている写真には何だか懐かしいような気もしたのだが、実はこの手の写真は昭和39年ごろにはほぼ消滅していたとのこと。小学校の低学年のころ近所の悪ガキ兄ちゃんに見せられた写真なんかは細々と命脈を保っていた最後の残り火であったのか……。
○「現代殺人の解剖」コリン=ウィルソン著 中村保男訳 河出文庫
感動した。非常に勇気づけられる本だった。たぶん倫理観が似通っているのだと思う。
また、「現代」という時代を考える上での手がかりもたくさん与えられた。とにかく「そうだったのか」と思い当たることの多い本である。
ところで、「意思が強くて頭が弱い男たち」という表現には笑ってしまった(P114)。男たちだけではない。女にも同様の人間がいるし、この手の人たちが一番やっかいで、悩まされることが多いのだ。
【96.1.7追加】ただし、良くすれば芸術家や政治家などの指導者に、悪くすれば犯罪者になる人間は全体の上位5パーセントであって、その割合は不変であるという説は、にわかには信じ難い。そのような宿命論的な見方をしなくても十分に立論できる内容だったと思う。
【コリン=ウィルソン、さらに】
「超能力者」
「夢見る力」
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