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「質屋の風景」

H28.11.30 記     きみ、質屋やってみない!

毎月、枚方市役所の「広報ひらかた」が郵便受けに入ります。裏表紙の一番下、人の動き10月分に、「10月末現在」(住民基本台帳による)、転入895人、転出858人、出生253人、死亡273人の数字があり、人口:405.263人「前月より17人増」。このように枚方市の人口と所帯数の動きが載っています。

この市役所の広報誌を見て質屋の軒数の推移のことを思いました。例えに私の知っている京都の質屋業界について書きますと、1970年から2000年の30年間に、枚方市の人口なら転入にあたる新規参入は一軒もありませんでした。
親の時代に1軒の質店が子供の代に2軒になったのは2例だけで、あとは子供の一人が後を継ぐか、子供が継がない店は親が歳をとって店がなくなっていくかでした。その間に新規参入の店はありませんでした。
枚方市の人口の動きに例えますと、出生はわずか2例で転出と死亡ばかりで転入はなかったことになります。ですから年代が進むにしたがって質屋の軒数は減っていきました。
この間だ、残った質店は辞めていった質店のお客さんを受けるかたちで、つまり残留利益を得て、全般に微減の状態で商売をしていきました。
この時代に、もし新規参入の質屋があれば、それでなくてもお客様が減っている現状ですから、既存の質屋は脅威に思ったでしょう。
しかし今、ここまで質のお客さんが少なくなり質店の軒数が減り、質屋の盃そのものが小さくなってくると、質屋業界に新規参入してくる事業者がもしあったら、既存の質屋はどう考えるでしょうか。今そこが一番知りたいところです。

このごろ過疎に悩む地方の町村役場が、都会の若者が I ターンして村に住むような政策をとっています。例えば村役場が空き家になった古家を所有者から借り受けて、都会の若者に安い家賃で貸し出しをするなどです。そのようして若者を村に呼び込むことで村の活性化を計ろうとしているのですね。

今、質屋業界の現状が過疎に悩む自治体と同じ状況にあるとしましたら、これから質屋組合も新規参入者を歓迎する動きに出るかもしれません。それでもしかしたらもしかして、来年の7月8日の質屋の日には、質屋の組合員がターミナルに出て、ちょっと、そこの若い子! きみ、質屋やってみない!なんて声をかけているかも?

H28.11.26 記     消される

朝食時にNHKのドラマ「べっぴんさん」が映っていて、先日、なんとなく見ているとこんな場面がありました。
注意して見ていないので詳しい筋はしりませんが、戦後の神戸でのことです。ご婦人が生活するお金に困って大事な時計を売るのですが、買い取った店のご主人がいい人で、「すぐに売らないでしばらく置いておきます」、と言うのです。
これ、今までのテレビドラマではご婦人は時計を質屋に預けて、お金を工面する場面ではないでしょうか。実際そんな大事な品物なら売らないで、また取り戻せる質屋へ預けるのが普通だと思いのです。

これは昔のドラマを作るのに、その時代には普通にあったことでも、今に質屋を出すとドラマの雰囲気に合わないから、脚本で、あるいは演出で質屋が買取店に変わったのでしょうか。
よく時代劇で質屋の看板が映りますが、歴史というほど昔でない戦後からこちらのドラマでは、質屋を使うとドラマの雰囲気が壊れるから、現実にあった質屋がなかったことにされる。このようにして現在に作られるドラマでは、質屋は過去からも消されていくのだろうかと考えました。

それとも実際には、終戦直後の闇市の時代は、食べるものが無くて売り食いの時代ですから、品物を質屋へ預けてお金を借りるより、どうせ引き出せる当てがないから品物を売却したのでしょうか。
またその時代には商売人も質で預かって利息をもらうより、買いとって売った方が回転が速くて儲かるから、質屋をする人は多くなかったのでしょうか。どうだったんでしょうね。

以前、私と同じ世代の質屋6人に、店の始まりはいつ頃やと聞くと、一人だけが100年以上続いた店で、後の人はその人達のお父さんが戦後の昭和22〜28年に始めた質店でした。前の商売は呉服屋さんであったり食べ物屋さんでした。
思っていた以上に知っている質屋の店は新しくて、多くの店は戦後の出発でした。ですからまだ闇市の時代には、世の中は売りと買いが主で、質屋に入れる、流す、ということは一般的になかったのかもしれません。どうなんでしょうね。

しかしそれにしてもです。以前なら、戦後のドラマにはあの場面で質屋が出たとおもうのです。それが出ないのは消されたのか、正されたのかは定かでないとしても、きっと以前からは変わってきているのです。今の人の、買取屋さんと質屋を見る眼が。

H28.11.13 記     顔を見ときたい

前の文章の続きです。TBS「筑紫哲也NEWS23」のディレクターからメールが来て、テレビに出るのが嬉しいものですから方々へ電話をして、しかし番組の特集が流れて失敗したことですが、メールが来たちょうどその頃、京都の質屋組合の理事長さんから電話を頂きました。前に、私が始めたインターネットのホームページを見たいと言われるので紙にプリントして送りました、その件についてでした。それで電話を頂いた時に理事長さんにも何日のNEWS23に私のホームページが紹介されますと言っていました。

ところが前述のようにエベレストで日本人の遭難事故があり、当日そのニュースで特集が流れてしまいました。翌る日に理事長さんからインターネットについて問い合わせの電話があり、その折りに昨夜は映りませんでしたねと言われるので、いや二日の予定ですから今夜はきっと映りますと答えました。
ところが二日目もエベレストの事故の続報で、最後にチラッと当店の暖簾に質のページが映った程度でした。理事長さんは夜はいつも早く床に就いておられるのですが、11時過ぎまでテレビの前で起きていてもらって、それも1日でなく連チャンでです。
理事長であった故杉本善兵衛氏は質屋組合の全国組織の副会長で、他の地方の組合長にもNEWS23に橋本質店のホームページが紹介されると連絡されていたようです。全国的に理事長の面目を潰したようなことで、何もおっしゃらないのですがまったく申し訳ない限りでした。大失敗です。

それでしばらく出会わないようにしていましたが、1年ほど過ぎたある席で、理事長さんからインターネットはその後どうですかと聞かれて、その当時SEの人が言っていたことを報告しました。
「世の中にはインターネットをしたら儲かると思っている人が多くて、SEの私にも、会社のホームページ作って欲しいという経営者からの依頼がよくあります。しかし儲かるページを作ってくれと言われると断っています。ただ会社の名刺代わりに作って欲しいと言われると引き受けています。そんな簡単に儲かるものではないし、やったけれど何だとなって、それで顧問先の会社を失うのは嫌ですから。」
そうSEが言っていますと答えました。理事長さんはよく分かられたようです。「名刺代わり」というのはいいですね。そう言われました。

私も当時、記者の取材を受けて「儲からへん」と答えているのに、雑誌に載ったときの見出しは「儲かるインターネット」でした。しかし中身の文章を読むと、「・・ネットのお客様はまだ多くなく、インターネットはまだまだこれからである」。こんな調子で嘘は書いてないのです。しかし見出しは儲かるインターネットです。マスコミは何がなんでも「インターネットは儲かる」と書きたかったのです。
当時こうした状況下で他の質屋の人達も、質屋がするインターネットは実際どうなのか、知りたがっていたと思います。ですから自分は現実にやってみてどうなのかを質屋業報に書くのなら私はいくらでも書くのですが、みようなことにどこからも書いて欲しいという依頼はありませんでした。多くの質屋が分からない状況ですから上の理事長さんのような質問になり、それで「名刺代わり」、それはいいですねと言われたのも、それが不明な点の一つの解であると思われたからではないでしょうか。

インターネットをして、雑誌に取り上げられて新聞に載ってただで広告をしてもらって、当時それだから店の業績が伸びたということはありません。また買取が増えたとか、ネットのショッピングモールでたくさん物が売れたこともありません。ただやっぱりホームページはいい広告になり店のブランドを上げたことは確かにあると思います。やってよかったんです。

それと当時、私の顔を見に来た若者が何人かいました。「ホームページを作った人はどんな人なのか一度顔を見ときたくて」と言って店に入ってきました。ページを作ったSEの人が別に居るねんや、と答えていたのですが、この若者が文化系で文章が面白いと思って見に来たのなら私の顔でいいのですが、理工系で it 技術がすばらしいので見に来たのなら見るべき顔はSEの顔です。どっちだったんでしょうね。若い子ですからあまり喋らず直ぐに帰りましたから分かりませんが。

H28.10.30 記     質屋のブログ

前のH27.06.14 記 にドーナツ屋さんの店先のボード(黒板)に、商品のドーナツとも店とも何の関係のない、休日に市民マラソンを走ったことが書かれていて、こんな関係ないことを店先に書くこともアリかと思ったことを、このページに書きました。
先日は、そのドーナツ屋さんの前を通ったら、今度は、ハロウィンのグッズを買いに行ったら、他の品物を買ってしまって・・と、こんな文章が書いてありました。
また近くの美容室にも同じようなボードがあり、内容は梅田の6年4組という店に飲みに行ったら・・と、やはり美容室とは何の関係もないことが書いてありました。
またこれは別のことですが、知人にインターネットのアメーバーブログをしている人がいて、先日から見にいきますと毎日書き込みがされています。そのブログを読んでいて思うことがありましたので、その考えを整理する意味から文章に書いてみます。

このアメーバーブログをしている知人は趣味の多い人で、カメラのクラブに入り、ハーモニカのグループに入り、短歌の教室に通っています。それに関連して撮影に行ったことや、ハーモニカの演奏を福祉施設でしたことや、短歌の教室で先生から添削をうけたことなどを書いています。またその他にも孫さんのお泊まりの日のことや、お母さんを病院に見舞った時のことなどを、何枚も写真を付けて毎日載せています。写真はキレイで、短歌は上手くて、ブログのリズムは良くて、筋の通った話しぶりです。これを毎日更新するのですから大変な労力です。

それで考えるのですが、上のドーナツ屋さんや美容室が店先のボードに文章を書くのは、それによって店に親しみが出て、店の営業にプラスになると考えるからでしょう。
これに対してこのアメーバーブログをしている人の場合は、カメラやハーモニカや短歌のことを書いても、特にそれによって何か有利にはたらくことはないと思います。例えば女流歌人への道?、・・そんなことはないと思います。それでも書いているのは、カメラやハーモニカや短歌を仲間とすることが楽しいように、それをまた記事にしてブログに書くことが、同じように楽しいからでしょう。単純にそういうことだと私は思います。

それでです、では私がこのページに文章を書いている動機は何なのかを自問自答してみました。以前は確かに書いて載せると、検索で「橋本質店」が当たって、商売に有利に働くと考えていた時期がありました。しかし最近はあまり店の商売にプラスかどうかは考えないで書いています。
では書く動機は何かと考えますと、それは一つには書くことが性に合っているのでしょうね。上のアメーバーブログをしている人と同じように、書くことや、表現することが好きだからでしょうね。ただ私の場合は、他の人と違うのは、(これが二つ目の理由です)特に質屋に関係したことを、それも店の商売にプラスになるかどうかに関係なく書きたいと思っているからです。その理由を以下に書きます。

私がインターネットを始めたのは非常に早くて、当時は、雑誌や新聞に「インターネット初の質屋が開店」と紹介されました。自分のホームページのなかで「質屋とは?」と初めてインターネットで質屋の業務の内容を説明しました。それが一部のメディアの関心をひき雑誌や新聞に掲載され業界内で「橋本質店」が知られるようになりました。それからずっと質屋に関係することを書いています。1995年からですからもう20年余になります。「質屋の風景」の1冊〜5冊を書くのに、これまで相当の時間を使ってきました。

私が1995年にインターネットを始めた経緯は、店の顧客名簿のソフトを作ってもらったSEの人から、これからインターネットが凄いことになる。自分はホームページを作る技能があるのでしてみないかと誘いをうけました。それで面白そうなので乗りました。私はパソコンはしないのですが、文章は少し書けました。それでSEの人のセンスが良く能力が高いこともあって、当時としては結構いいホームページが出来たと思います。

それでプロバイダーと契約してUPしたら、しばらくして取材の電話が複数掛かってきました。それに答えていると、東洋経済の雑誌ベンチャークラブから「95年10月、インターネット初の質屋が開店した」と掲載された雑誌が送られてきました。
またASAHIパソコンの96年2月号では、”インターネットの『ハイウエーにモノとお金の交差点』”の見出しで橋本質店のホームページが紹介されました。
以下はその記事の抜粋です。
「昨今、インターネットにもさまざまな商売が顔を出している。だが、昨年の夏ごろまで、質屋にあたる英単語のPAWNSHOPをキーワードにしてアメリカのサービス・ヤフーで検索しても該当するものがなかった。ところが、灯台下暗し。ある日気がつくと、日本の質屋が店を出している。正確には分からぬが、世界でも相当早い時期に、この伝統ある産業が日本からその情報と実務が発信されたのは、まことに喜ばしい限りである。では早速、昨年10月下旬、WWW上に開店した大阪・枚方市にある『橋本質店』の暖簾をくぐってみる。・・」

その当時、店に取材に来た日経新聞の若い記者が言っていました。もうインターネットに関係することなら何でも書けと上から言われています、と。それで日経流通新聞の紙面にパソコンの「コンパック」と並んで、同じ大きさで「橋本質店」のトップページが掲載されました。びっくりするような事態です。こうした扱いは、当時の日経新聞社の方針だったのでしょうか。
またパソコンの雑誌でアスキー?に、40社ほどの会社のホームページが載っていて、その中に「橋本質店」が入っていました。マス目の左隣が住友銀行、下が朝日新聞。その他も日本を代表する蒼々たる会社の中に入っていました。まだホームページを作っている会社が多くなかったのです。掲載されると雑誌が送られてきて載ったことが後から分かります。他にも数冊が送られてきました。
また当時、アクセスランキングのページがあって、順位の横の社名にカタカナやローマ字が多い中に「橋本質店」と漢字で出るものだから、見に行った人が、何だこれは?と思いクリックするのでよけいにアクセスが増えました。週間ランキングが一時跳ね上がり、ヒットチャートを飛ばしてるような気分になりました。

その後ぐらいでしょうか、TBS「筑紫哲也NEWS23」のディレクターからメールがきて、「NEWS23で立花隆を招いて2日にわたり”緊急インターネット”の特集をします。その中で貴店のホームページを取り上げるので同意をいただきたい」と。
これは凄いことになる。これで有名人になると思い方々に電話を掛けました。ところが放送当日にエベレストの麓をトレッキングしていた日本人グループが雪崩に遭い多数の不明者が出るニュースが入ってきました。NEWS23はニュース番組ですから当然、重大事故の報道にあてられ、結局、番組で「橋本質店」のホームページが映ったのは2日目にチラッと瞬間でした。

新聞や雑誌やテレビに取り上げられると、自分が社会的に認められたような気になって、もう舞い上がっていたのですね。ここでガクッときました。
ですけれども、こうした普通の人に出来ない経験を、失敗も含めて出来たのは、このSEの人とインターネットと「質屋」の商売のお陰だと思っています。最初から儲けようと思ってインターネットの話しに乗ったのではありません。ですから自分にとって記念碑的なこのページには、インターネットをした最初の主旨である「質屋」に関わることを書きたいと思ってきました。

H28.10.20 記     饅頭こわい

今まで質屋をしてきて怖い思いをしたことはありませんが、このごろ質で預かり値を付けるのが怖い時があります。前は初めて見る品物でもおおよそ勘で相場が分かりました。ですから全ての品物を問題なく預かれました。しかしこのごろ値が分からないと本当に分からなくて怖い思いをする時があります。

質屋も歳を取って、眼がうとくなって、新しい品物について行けなくなって、相場がだんだん分からなくなってくると、値付けするのが怖くなります。目隠しして道を歩くと恐怖感がおこるように、危険が危ない。もう毎日危険がいっぱい感です。

昔よく、質屋に婿養子に入った人が言っていました。結婚する前は会社員でまったく違う仕事をしていたので、質物に馴染みがなくて相場が覚えられなく、店へ出て質値を付けるのがいつまでも怖いと。それはそうなんでしょうね。お気の毒ですけど。

質屋の目利きを一言で言いますと、私は質値に差違を付けられることだと思います。高い物はより高く、安い物はより安くです。先ほどの婿養子に入った人が付けると、目が利かないから高い物がそれほど高くなく、安い物がそれほど安くないのです。良い物も悪い物もだらっーと平均的な値を付けるのです。

昔の質屋はこれでもやっていけました。お客さんは素人さんですから、相場より高いから流す、安いから受け出すと言うものでもなく、高い物も安い物も平均して流れてきました。ですから目が利かん質屋でも古物市場で流れ品を処分すると、損する物もあれば儲かる物もあって、平均していけたのです。

しかしこの頃、お客さんが全般にシビアーで、ネットで相場を検索したりしていますので、目が利かん質屋が預かって流れると損が出ます。そうなると質屋はだんだん値付けにビビッてきます。よけいにちびった値段しか付けられんようになってきます。

人は若い時にいろいろな経験をしてくることは有意義なことですが、ただ歳を取ってから転じたのでなく若い時から長くその仕事をしていると、きっとその人の一生の内には油の乗った時期というものがあって、質屋の場合は、その時には必ずしも相場値を付けるものではないと思います。例えば5万円の相場の品物を5万円ですと言うとは限らないのです。

よく飛ぶ鳥を落とす勢いと言いますが、きっとそういう時に人は、物理法則に従って飛んでる鳥でも落とすのですから、もう法則がどうの、質屋の場合なら相場がどうのの話しではないのだと思います。

こんな質屋が10キロ圏内にあると、例えば先ほどの婿養子に入った質屋は、ただもう運が悪いんです。問題はその運の悪い状況をその質屋が自覚できるかどうかです。それで現在、私が自覚すると、私は今その運の悪い質屋の状況にあると思います。それで奇策を考えました。真田幸村です。落語の「饅頭こわい」の、こんな一手はどうでしょうか。

当店は今、ロレックスの金無垢を出されるとこわいです。エルメスのバーキンを持ってこられるとこわいです。1カラットのダイヤモンドがこわいです。2カラットならもっとこわいです。ああー、もう毎日がこわい!

H28.10.18 記     質屋の幽霊談義

前の 10.12 記の文章の続きです。それで私は前から蔵に幽霊ぐらい出てもいいと思っているんですが、これを江戸っ子の質屋が議論したらこうなるんでしょうか?

「蔵に何も出ねえってぇのはな、そらーおめぇー、質屋として一人前じゃねぇや!」
「おれっちの蔵はな、夜な夜な出てなぁ、そりゃーもう毎晩にぎやかなこった!」
「さすが支部長んとこは、てぇーしたもんだ。で、どんなんが出ますんでぇー?」
「こういうものにゃ伝統と格式てもんがあってよ、出るのはでいてい決まってんだ」
「それじゃお頭、あんまり面白くねえじゃねえですか。どうですAKB48なんてぇのは」
「そんなもんが出るけぇー。そんなら俺とこはキャンデェーズの方が・・」 *
・・なんて。秋の夜長、質屋が一杯飲む話題に面白いんじゃないかと思うのですが。

* (上の会話は幽霊談義の一説ですが、江戸っ子弁が上手く使えてないでしょう。分かっているんです。わたし生まれは京都府下で、今は大阪の枚方ですから河内です。江戸や東京はまったく経験ないので、上手くまねできないんです。すいません。笑ちゃってください。)

H28.10.12 記     質屋と幽霊

私は今まで幽霊を見たこともUFOを見たこともありません。いわゆる超常現象というものに遇っことがありません。ただ数年前に一度、いかにも何かが起こりそうな、何かが現れそうな気配を感じたことがあります。
季節は秋のちょうど今ごろの時期でした。休日の夕方に河川敷を散歩していると、秋の陽は釣瓶落としと言いますが、みるみる陽が沈んで、急に辺りがどんどんどんどん暗くなりました。

今まで草むらの緑や樹木の紅葉した色彩の風景が、急に光りを失い一転して白黒の世界になりました。その墨色の景色もすぐに暗くて見えなくなり、歩いている道路の30mほど先の暗闇から、急にランニングの人が飛び出してきて、30mほど後ろの暗闇へと消えていきました。

その時、私は道路の左側を歩いていたのですが、前の暗闇から現れて来た若い女性が急に私の側に寄ってきて、「知り合いの振りをしてください!」と、言います。・・えぇ・!。とっさのことに、えぇ・!、だけしか反応できません。そうしたら、すぐ後ろをランニングの人が走りすぎて行きました。そうすると「あの人と違う」と言って、女性はほっとした様子でした。

暗闇から誰かに追っかけられている気配がして怯えているのです。私も何かが出そうな、何かが起こりそうな不吉な予感がしました。女性はいそいで走り去りましたが、その後に走って来たジョギングの人もあわてているような、恐怖で足もとがばたばたしているように見えました。私もこの窮地から早く逃れなければ危ないと感じました。

もう真っ暗で、これは単に陽が沈んで暗いだけでなく、何か悪いものが来る気配がします。危険がいっぱい。警戒音が鳴って赤色灯が回転している。そんな感覚です。側を流れる淀川の川面が、いつもは油を流したようにヌメッと暗く光るのですが、こうなるともうまったく見えず流れが分かりません。

ゴルフ場と淀川の流れの間の河川敷でのことです。ここは2キロほどの直線道路で、サイクリング道にもなっています。西側は淀川の流れで、東側は空堀の林になっていて、その先の斜面の上がゴルフ場のコースです。この道に踏み込んだら途中で右や左に逃げられません。前へ進むか引っ返すしかできません。

先ほどの女性はこの2キロほどの道を、陽が沈む前に突っ切れると考えて北から入ったのでしょう。しかしどんどんどんどん暗くなってきて、あせって怯えきっているのです。暗がりから声をかけられた気がしたというこの女性は狂人なのか。女性の怯えが伝染して、こちらも恐ろしい者が迫っている気配がして怯えました。以前このような怖い現象を経験したことがあります。

それで質屋をやっていて、今までにこのような何か得たいの知れない怖い思いをしたことがあるかといいますと、ありません。このブランドバッグはコピーぽいとか、この人はくさましぽいとか、この取引は何か危ないとか、質屋の勘で危険を感じて止めたことはあります。しかし原因も分からず怖い思いをしたことは一度もありません。

落語の「質屋蔵」は、質屋の蔵に幽霊が出る噂に、質屋の主人が大工の熊公に夜見張りをさせて、真偽を確かめようとする話しです。質屋の主人としては確かでない噂や、正体の分からないものが出るのは困るのです。質屋としては幽霊なら幽霊、お化けならお化けで、きっといいのだと思います。

それで当店の蔵ですが、残念ながら幽霊もお化けも出たことがありません。愛嬌で少しぐらいは出てもいいと思っているのですが。お化けか幽霊が。たまにはうらめしぃーなんて、あっても良いと思っているんです。流しやがってうらめしぃーとか、ね。

そうしたら私は幽霊さんに対応しますよ。古い台帳を持ってきてね。幽さんはこの品物を何年何月何日に入れて利息をここまで払って、この日で流していますよね。それを質屋の私はここまで待ってたんやないですか。それを流しといて、今さら恨めしいなんて。よう出てくるは。どんな顔して出てきたん! なんて逆にやっつけますから。

H28.10.03 記     限界集落と質屋

少し前のことになるが本屋の新刊コーナーに、養老猛司と隈研吾の対談本が平積みしてあった。本の名前は「日本人はどう住まうべきか?」。内容は住居論、住まい方についてである。表紙を巻いている帯に、「限界集落は減りませんね! それは住み良いからですよ!」、確かこのような文言があった。

これは面白い考えやなと思い、その文庫本を買って早速読んだ。しかし最後まで読んだが、そんなことは一行も書いてない。よく表紙を巻く帯に本の中の一行が使われていることがあるが、この本に限っては、それらしき文言も近い思想もなかったように思う。

見出しの帯に偽りがあるわけだが、きっと対談ではこの話しは出たのだと思う。しかし書物にするとこの文言は問題がある。誤解を生じやすい考えである。だから本文には入れなかったのではないか。帯は出版社が本を売らんがために巻くものだから、対談した当人に非は及ばない。こうしたことではなかったかと想像した。

このように表だって書かれないが、しかし書かれないことの中には大事なことがある。例えば住む所について言うと、人は死ぬ最後の時に、病院のベットの上より、緑の豊かな限界集落の古民家のような所がいいと思う人はいるのではないだろうか。

毎日が晴耕雨読で、昼に少しばかりの野菜を作り、夕に野良で夕日をながめ、夜に庭で満天の星を見ていて倒れ、朝に霜の降りた前庭でこと切れているのを牛乳配達の人に発見される。西行の桜の下にてではないが、こうした最後が「願わくば」の人はいると思う。

それで話しは変わって質屋の場合です。質屋はどう住まうべきか。どう終うべきかについてです。既にして店の状況は限界集落で商売しているに近いです。では当店の「願わくば」が、どうであるか?いろいろと考える今日この頃です。

H28.09.25 記     質屋の夜逃げ

前の 9.20 記の文章の続きです。当方としてもこのままお客さんにほっておかれたのでは帳面が浮いたままでケリがつきません。困ったものです。
それでお客さんに早く取りに来てもらうためにこんな冗談を考えるのです。例えばお客さんの留守電に、「これは決してよそに漏らさないでくださいね!ないしょの話しですから・・実はいま当店、夜逃げを考えているんです。だから私が、蔵の品物を持って夜逃げする前に早く取りに来て下さいね。今ならお返しできますから」・・なんて入れてみようか、と。

それでこの質屋の夜逃げですが、日本質屋史上、これまで夜逃げした質屋はあっただろうかと考えるのです。
銀行は金融恐慌の時代に取立とか貯金封鎖とかあったわけですが、質屋はあの店は危ないと風評が立って受け出しのお客さんが殺到して、店が受け出し封鎖するということはあり得ないのではないか。質屋は出してもらったら金が入るわけだし、取立にあって倒産する、あるいは預かっている蔵の品物を持って質屋が夜逃げするということは、やっぱし考えられないと思うのです。そういう意味でも質屋は利用者にとって安全安心のシステムです。しかしそれでも、もし私が本当に夜逃げしたら、それは日本質屋史上初になります。前代未聞にしてきっと空前絶後。いや、大丈夫ですよ。しませんから。

H28.09.20 記     待っている人がある

独居老人、ホームレス、引きこもりなど世間には孤独な人が多い。孤独がすべて不幸なわけではないとしても、仮にその孤独感を薄めるものがあるとすると、それは自分を待っている人がいる、あるいは自分を想っている人がいる、そうした意識が持てるかどうかではないだろうか。

当店はある質のお客様から長く指輪を預かっていて、数年前から振り込みされてくる利息を、元金を返すための仮受金に計上していた。仮受金の合計が元金に近づいてきたので、お客様に一度来店していただくように連絡を取っていた。

それでも振り込まれてきて0を越えたので、お客さんの留守電に「指輪をただでお返しして越えたお金を返しますから連絡下さい」とメッセイジを入れた。振込は止まったが、しかしその後に連絡はない。再度、留守電に入れたがそのままである。

ただで品物を返してお金も渡すと言っているのに、どうして連絡してこられないのだろう。忙しいからか、あるいは病気して入院しているからか。あるいは返してもらう金なんか俺は当てにしてないよと、質屋の私に格好をつけているのか?・・そんなことはないか。

私はお客さんからの連絡を待っていて、待っているからそのお客さんのことを想う状況にある。案外そのお客さんにとって、質屋の私でさえ自分を待っている者であり、自分のことを想っている者であって、悪い気分でないのかもしれない。そんなことを考えると、質屋は質物を介してお客さんの孤独感を薄めるはたらきをすることもあると思う。

H28.09.17 記     コンサバとマカロン

質屋業報誌の記事に腕時計の紹介欄がある。
もう何年も前のこの業報の新製品の紹介記事に、コンサバのアイテムが・・・と、こんな調子の助詞以外ほとんどカタカナの文章が5行ほどあり、その内容がまったく分からなかった。どこかの時計雑誌からそのまま引っぱってきてあって、内容より言葉のファッション性が重要なのでこれはそれでいいのだろうけど、例えばこのアイテムは品目のこととして、コンサバの意味が分からない。

近くにいた人物にコンサバの意味を聞いたら、「塩サバ」なら食べたことがあるがと返された。コンサバを調べるとコンサバティブの略で、食べ物でなく保守的なという形容動詞だった。

先日はマカロンで引っかかった。
知りあいの人がアメーバーブログをしていて、そのブログを読んでいくと、最後にマカロンのところをクリックしてねと書いてある。それで投票しょうとして探すが、マカロンがどこなのか分からない。何か投票用のホルダーかネット上の何かを、こうしたブログの世界ではマカロンと言うのかと考えたりもするが、ビスケットかクッキーの絵のところに「このブログに投票する」とあるから、これですかとコメントに書き込んだ。

そしたら返答のコメントがあり、この絵のビスケットのような物がマカロンと言うらしい。マカロンはホルダーか何かでなく食べ物でした。森永製菓のマリーとか知っていますが、マカロンは知りませんでした。こんど食べてみます。

H28.09.09 記     これはこれでいいのかな

振り込め詐欺の事件を聞くたびに、これほど大きな社会問題になり前から注意されているのに、まだ被害にあう人がいるのがいつも不思議におもう。
また嘘の投資話で何億も金を集めた詐欺事件が報道される度に、まだそんな甘い話しに大金を出してだまし取られる人がいるのか、これも不思議におもう。

日本は昔から義務教育がなされ、今70歳の人も80歳の人も、中学卒業程度の学力がある。だから認知症でない限り普通に考えると、こんな振り込め詐欺やアホな投資話に引っかかる人がこの社会にいる筈がない。

にもかかわらず引っかかる人がいるのは、これは人の知識の問題でなく心の問題だからだろう。子供が難儀なときに助けてよく思われたい。また親切にしてくれる人を信用したい、等の。
 
そしてこれは上のこととはまったく別の話しであるが、質のお客様の中に、孫の携帯の費用をつくるのにネックレスや指輪を質入れするお婆さんがたまにある。孫には親がいて働いているのだから、なにもお婆さんが苦労することはないと思うのだが、孫の役に立てることが嬉しいのだろう。

この品物が先で質受け出されるお金は、お婆さんが受け取った年金から支払われる。結局はお婆さんの年金が孫の携帯代に使われる。これはこれでいいのかもしれないが、このお婆さんの必死な心と、振り込め詐欺にあう母親の心とは近いのではないだろうか。
  子を思う心に嘘はないものと詐欺にあう親のいたましき心

H28.08.26 記     暗がりで渡す

宝石や貴金属を質入れする、特にご婦人のお客様は、指輪1本だけ、ネックレス1本だけということは少なくて、たいがい数点まとめて持って来られます。

私は1点づつ鑑定して値段を出していくのですが、中にときどき贋物のダイアモニヤの指輪があります。
その場合は、この立爪の枠はプラチナ900 で5g あり、15.000円 ほどになりますが、中の石はダイアでなく贋物ですから値打ちがありませんと言います。そうすると前から贋物だと知っていた人もあり、今まで知らずに本物のダイアモンドの指輪だと思っていたので驚く人もあります。

また中に、「どうせそんなことやと思てた」と言うご婦人があります。ではこのご婦人の場合、当該指輪の授受はどのような状況下で行われたと考えられるでしょうか?・・例えば、
  わからへんダイアモンドでないけれど暗がりで渡すのなら可

H28.08.17 記     目つきが悪い

先日ある道で、私の側を曲がって行くバイクがありました。乗っている人のヘルメットの下の顔が、もう何十年も会わない同級生に似ているような気がして、一瞬眼を凝らして見ました。

この私の目つきが、バイクに乗っている人には、何か走り方を咎め立てされているように見えたのでしょう。曲がって行った人が、急にバイクを止めヘルメットをぬいで、私を追っかけて来ました。思った人と違い、もっともっと若い人でした。
「なんじゃお前!何がいかんのじゃ!」
不意にグーッと近づかれて、理由が分からず身の危険を感じました。しかしただ見ただけのことで、どうしてそこまで怒るのか。

これは一つには、普段から私の人を見る目つきが良くない時があり、相手を苛つかすことがあるからのようです。何か訝るような、咎めるような、人を不愉快にさす目つきをする時があるようです。だからと言って、そこまで怒るのはおかしいのですが。

店でも質のお客さんの顔を見て、この人は前に取引のあった人のようだけど、思い出せないで眼を凝らして見る時に、人を疑うような、詮索するような、そんな悪い目つきをしていることがあるようです。急に嫌な顔をされるお客様がありますから。

昔はこんなんでなかったのです。もっと優しく、微笑みかけるような、そんな目をしてお客様に対していたのです。それで橋本質店て、感じいいわぁー!。
それが枚方市、寝屋川市のご婦人のお客様が特に多かった一番の理由ではないかと思っています。しかしもうそんな目は出来ませんね。
  君からはいつも笑顔ねと言われたが車窓に映る今暗き顔

H28.08.07 記     小説、「白夜行」に悪人の質屋が登場する訳

小説に出てくる人の名前は架空のものですから、作中の悪い人物の名前が自分と同じでも特に気になりませんが、この小説のように職業まで同じですとやはり気になります。

「白夜行」、に登場する悪人の質屋の名前が、私と同じ「洋介」で、前にこの小説を読んだときにとても嫌な気がしました。それで作者は小説を書くのに、なぜ悪い人物の職業を質屋にして、その名前を洋介にしたのかを考えました。それで次のような寓話を作りました。

むかしむかし、大阪の質屋にそれは美しい娘がいました。子供のころから美しく評判の子で、中学に上がる頃には近郷の者が一目見ようと校門の前に集まって人垣ができたほどでした。
それほど美しい女の子ですから、同じ中学の男子生徒はこの子に見られるだけで、もう胸がキュンとなって、中には放課後にこの女生徒の家の質店の前を、うろうろする男の子が何人もいました。

この女生徒の実家の質屋は、お客様が少なくていつも暇なのですが、ご主人は店の前をうろつく男の子を見つけては出て行って、イジメルのを楽しみにしていました。
「君はさっきから店の前を行ったり来たりしているが、娘になにか用か。君の名前は。クラスは何組や。担任の先生の名前は。家の電話番号は。親はこれを知ってるのか。」と、たたみかけて問い詰めるのです。

そうすると男子生徒は、「もう堪忍してください」と、言って逃げて帰ります。奥さんは可哀想なことしたらんときいなと、たしなめるのですが、ご主人はこれが唯一の楽しみで長年続けていました。

こうしてイジメられた男子生徒の中に、実は大人になって小説家になった者がいたのです。それがこの「白夜行」の作者です。この作家は中学の時のあの屈辱感を、あのイジメられた恨みを、悪い質屋の主人を小説に登場さすことで晴らそうとしたのでした。いやそもそも、その恨みを晴らすために作家になったのかも知れません。

またその質屋の名前を洋介にしたのは、小説を書くにあたってネットで質屋を調べると、当時ホームページを作っている質店が少なくて、当店が当たり、店主 橋本洋介とあったから、この洋介にしようと。こうなった次第ではないかと、私は思います。
この仮説が当たっていたら、いい迷惑ですけど。

H28.07.16 記     質蔵文庫 その5

このところ雨の日が多く、質蔵文庫はほとんで一日中前面を透明のナイロンシートで覆っています。それでも本を借りる人は透明なシート越しに欲しい本を探し、自分でナイロンシートの紐を外して棚から本を抜いて借りていかれます。

ご寄贈いただく本はありますが古い本や、大きくて重い本、内容の難しい本は、並べてもあまり借りる人がありませんので、一部しか並べていません。
いま一番よく借りられる本は児童書です。絵本や童話集、こうした本がよく出ます。平均して軽くてやさしい本がよく借りられます。

こうして質蔵文庫で本の貸し出しをしていると、詰まっていた棚がそこだけ抜けて隙ができ、借りられたことが分かると楽しくなります。また並べても出ていかないと面白くなく、そうした傾向の本は自然と敬遠します。新しくて、軽くて、上品で、やさしくて、面白い本、歓迎です。一部の漫画でも結構です。 店主

H28.07.09 記     出会い頭の事故

前の文章の金色の宝石箱の件です。
宝石箱を持って帰って検査をした地金屋さんは、いつも来る人がその日は忙しくて来られないので変わりに来た人です。しかしこの人も以前は他の地金屋さんで働いていて、地金取引のベテランです。そのベテランの人が宝石箱を持って帰って調べて、
  Ag 41  Au 28  Ni 29
  Ag 9   Au 9    Ni 80
と数値を書いて、正確には溶かさないと解らないと言うから、後はもう私の度胸しだいなのだと受け取って質で値をつけました。しかし最初からそんな話しではなかったのです。

後日、宝石箱は流質して別の地金屋さんにX線分析してもらったところ完全にメッキでした。その後しばらくして、この問題の地金屋が店へ入ってきましたので、あれはメッキではないか。君が前に検査して報告したAu 9 や Au 28 の数字は何だったのかと問うと、数字はそう出ますから金成分は、・・あるから・・と答えます。
もう頭にきて。もちろんメッキでも金メッキなら金成分は検出されるやろうけど、君とこは科捜研か。沢口靖子の。金成分が検出されても・・。俺は科学捜査研究所に出しているんやない、質屋が地金屋に出してるねんやないかと言うと、頭をかしげて出て行きました。
しかしこの事故は、地金屋は検査報告に来た時に、金メッキバリとしてお返しさせていただくことになります、とも言っているのです。しかしまた同時に、検査数値を書いた紙を出してもいます。その数値の方を私が宝石箱に目が眩み、欲でいいように受け取ったとも言えます。

それで昔の、若い時のこんなことを思い出します。古物市場へ行くと、年配の質屋が流れ品を持って売りに来ていて、思うような値が付かないから怒るのです。安い、アカン。
しかし見ていて思うのは、もうその質屋は目利きできていないのです。それを買い手が安い値を付けると怒るのですが、完全に自分がくさんでいるのです。
市場は口の悪いところですから、目利きも歳いくとそうなるか、自分の物となるとそれほど目が曇るか、と言って楽しむのです。そうすると一層怒って、もうよろしい! もう結構です!、とますます怒って持って帰ります。
目が利かんようになって、質でくさんで、市場で怒って、歳を取ってこうなったら質屋も終わりだと思いました。

それで今回宝石箱でくさんで、あの地金屋に腹を立ててもなぁー、と思うのです。
また上司の地金屋にX線検査のことを問うても、パカーンと蓋が開いて、横のモニターにペッペッと数字が出てと答える。どこまで問うてもパカーンとペッペッだけしか答えんとバカにしよって、と腹を立ててもなぁー、とも思うのです。この上司は宝石箱を眼の前にして、もう既に事故は起こってしまっているからまともに答えられないのです。部下は検査数値を書いた用紙を出していて逃れようがない。
しかしもう、起こってしまったことですから。怒っても、腹立てても。今回の間違いが起こった原因の一つは私が胸のレントゲンのようなX線検査と、貴金属の成分を測る場合のX線分析とをごっちゃにしていたことにありますが、結局は全般に目利き能力が落ちているからでもあるのでしょうから。

昔に古物市場で、自分がくさんで怒る年配の質屋をみっともないと思いました。ああはなりたくないと思ったものです。だから今回の失敗には腹を立てないで、歳を取って目の曇った質屋と、少しズレた地金屋とが、出会い頭にぶつかって事故になった。そう思って気を静めることにしています。

H28.06.24 記     特集のネタ

若いとき(昭和47年頃)に京都の質屋組合の広報部に入ると、一回りほど上の先輩は、次号の業報の特集をどうするか、それでよく頭を悩ましていました。
質屋業報の紙面は理事長の挨拶とか、役員の紹介とか、総会の報告とか、そうした記事ですが、時期によって記事が少なくページが埋まらないときがあります。それでも一応は業報の格好をつけなくてはいけませんので、何か特集を組んでページを稼ごうとしました。しかしその特集のネタがなくて決まらないことが多く苦労していました。

その後、自分も編集をするようになって実際に特集のネタさがしをしましたが、特集が決まったら、後は座談会を開いてテープ起こしをするなど、何とかなりました。
そうした経験から、実際に毎日店で質屋の商売をしていて、これは質屋業報の特集のネタになるなと思うことがあります。それで5年ほど前に、現実に自分の店で起こったことを、当時はまだ入っていた京都の質屋組合の広報部の人に、ネタを渡す意味もあって、京都の質屋20軒ほどに、下記のような質問のメールを打ちました。

『 枚方駅前の橋本洋介です。教えてください。
金色の宝石箱の持ち込みがありました。
金しょうの刻印はなく重さは1200グラム。W-15cm H-12cm D-11cm 。
全体に20〜22金のような色をしています。磁石が反応するところと反応しないところがあります。お客様は12金と説明を受けて購入したとのことです。
品物を預かって地金屋さんにX線検査してもらったところ、
例えば、    Ag 41  Au 28  Ni 29
       Ag 9    Au 9     Ni 80  と出ます。
他にも部所によって値はまちまちで、試しに脚部の底を少し擦ると白い地肌が出てきてニッケルとのことです。そして地金屋としてはこの時点で金メッキバリであるとして品物をお返しさせていただくことになりますが、正確には溶かさないと分かりませんとのことでした。
それでこの場合は金がどれぐらいあると普通考えたらいいのか教えていただけませんか。宜しくお願いします。』

私はこのメールを打つ前に、既に箱の側板と角部のAu 28 と Au 9の検査数値から、一か八かで値を付けて質で預かっています。そして検査をした地金屋と同じ会社の上司で、以前から買いに来る人が後日店に来た時に、宝石箱を見せてX線検査の説明を聞きました。しかし何度聞いてもX線検査は蓋がパカーンと開いて、横のモニターにペッペッと数字が出る。それだけです。また次に来たときに同じことを聞いても、蓋がパカーンと開いて、つまり炊飯器の蓋のように上部がパカーンと開いて、数字がペッペッと出る。また次に聞いてもパカーンでペッペッです。いくら聞いてもそれ以上の説明をしません。

この上司の返答の様子から、すでに間違いは起こってしまったのだと思っていました。ですから京都の質屋の人にメールを打つ時点で8割方は駄目だと分かっていました。
しかしこの間違いが起こった原因の一つの、(この時点で正確に分かっていたのではないのですが)、X線検査という言葉から、胸のレントゲンのように表から裏へ透過して成分を計るイメージ、こうした私の間違いは私だけでないかも知れず、この質問のメールに対する返答のやり取りを組合員が共有すれば、紙の業報誌はなくなっても、貴金属取引についての良い特集になる。そう考えてメールを打ちました。
しかしその後、何の返答も質問もありませんでした。残念ながらメールを受け取った広報部の人達は、それが自分達に対して打たれた特集のネタだとは思わなかったようです。

                                     
                                          文責  橋本洋介

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