エンドレス・ワルツ

殺したいほど、愛したい

企画・監督:若松孝二 原作:稲葉真弓(河出書房新刊・第31回女流文学賞受賞)

 時代が大きく揺れていた70年代。新宿周辺で出会った宿命のカップル。
女優で小説家だった鈴木いずみと、天才サックス奏者と呼ばれた阿部薫。
アナキーな時代と空間を疾走したアナキーな恋人たちを、
過去の伝説としてではなく、現在、未来のカップルたちも視野に入れ
ベテラン若松孝二が痛烈に描く名編。

日本映画に初めてヨーロッパ的な自我を持つ
伝説的な愛を描いた作品が生まれた。

 イズミとカオルの過剰な愛憎を描く「エンドレス・ワルツ」で思い出されるのは、 アンジェイ・ズラウスキーの「狂気の愛」、ジャン=ジャック・ベネックスの「ベ ティー・ブルー/愛と激情の日々」、レオス・カラックスの「ポンヌフの恋人」と いったヨーロッパの気鋭の監督たちの作品だ。                
 イズミとカオルの強烈なキャラクターや、スキャンダラスではあるけれど彼らな りに純粋な愛の型が、いまや若い映画ファンたちの伝説となっているこれらの作品 世界と共通するからなのだが、内容もさることながら、タイトルからのイメージも 大きい。                                 
 T狂気の愛″T愛と激情の日々″と言う言葉は、まさにイズミとカオルの関係を 体現してこれ以上のものはなく、そういう意味で言えば、日本映画に初めてヨーロ ッパ的な自我を持つ伝説的な愛を描いた作品が生まれたといっても過言ではないだ ろう。                                  
 いや、この作品のモデルとなったイズミとカオルは、彼らを知る人々にとってと うに伝説的存在ではあった。むろん、現在でも熱い思いで語り継がれている。  
 時代が大きく揺れていた70年代、新宿周辺で出会った宿命のカップル。    
 女優で小説家だった鈴木いずみと、天才的サックス奏者と呼ばれた阿部薫。  
 このカップルにまつわるスキャンダラスなエピソードは、映画の中でもしっかり と描かれているが、時間と空間を疾走したアナーキーな恋人たちを、単に過去の伝 説としてスクリーンに再現するのではなく、現在、そして未来のカップルたちをも 視野に入れて描いているのが強烈で、そしてだからこそ映画「エンドレス・ワルツ」 は、伝説になり得るのである。                       
 むろん、イズミとカオルのT酒とドラッグと愛憎の日々″は、傲慢で見境がない 子供のように目茶苦茶だし、勝手にやってなさいと言いたくなるような甘えた自我 も感じられなくはない。                          
 しかし人はここまで人を愛せるか。人をここまで傷つけられるか。 イズミとカ オルが二卵生双生児のようによくにている-ということもあろうが、イズミの中にあ る男性度と、カオルの中の女性度が、男と女の関係の中でめまぐるしく反転すると き、もう性の違いなど大して意味はなく、仲間として、同士として、二人は破滅的 な人生を共有し合うしかない。 阿部薫が98錠ものブロバリンを飲んで78年に29歳 で死んだあと、鈴木いずみは86年、36歳まで生きてパンティストッキングで首吊り 自殺をする。 鈴木いずみの死と前後するように、「ベッドタイムアイズ」の山田 詠美が文壇に登場、そして90年代には「ファザーファッカー」の内田春菊が登場す る。                                   
 鈴木いづみは自己に正直に生きる元気に自立した彼女たちの姉であり、先輩だっ た。                                   
 性を含む自分のなにもかもを、自分のことばで時代や周囲の関係と対峙して語る ことができる現代の女流作家たちのトップランナーだった。          
 カオルが死んだ年は、「シド・アンド・ナンシー」のナンシーがシドに殺された 年でもある。そういえばこの二人にもイズミとカオルと似たような生き方をしてい た。                                   
 
 

阿部薫と日本のフリー・ジャズ

ジャズ評論家・副島輝人

 阿部薫が世を去ってから、まだ17年にしかならないのに、今日では彼の名は、 伝説のジャズマンとして語られている。それは、日本フリージャズの創生期に多く のユニークなミュージシャンたちが活動していた中でも、一際個性的な表現を見せ ていたこと。また、29歳の若さでの突然の死が、まさに天才の夭折を思わせるも のだからであろう。                            

 阿部が二十歳でデビューしたのは1960年代末。70年安保を目前にした過激 な時代だった。芸術の各ジャンルでも、新旧の価値観と形式が交錯し、実験的な前 衛表現が大手を振って歩いていた。日本のジャズもまた、世界のジャズ界と呼応す るように、フリー・フォーム−−−フリー・ジャズが誕生していた。      

 ジャズは、本来、形式から最も自由な音楽とされている。そのジャズでさえ、さ らに自由な表現を求めて、完全即興のフリー・ジャズへと突入していった。つまり、 リズム面ではビート(拍)を捨て去り、メロディにも別れを告げ、一切の制約や拘 束を断ち切って、演奏者の自由な魂による即興表現を主張したのだった。演奏され るサウンドは、激しいエゴの表出となる。阿部の演奏は、このようなフリー・ジャ ズの申し子のような表現であった。                     

 当時、日本のフリー・ジャズをリードしていた高柳昌行、山下洋輔、吉沢元浩等 がこの二十歳の若きアルト・サックス奏者の演奏を聴いたとき、一様に驚きの声を 上げた後、積極的に共演を申し込んだ。普通、ジャズ・ミュージシャンは、仲間と 演奏しながら、ジャズそのものを内部から変革していく。それが阿部の場合は、突 如たった独りで外部から斬り込んできた男だった。しかし、彼の演奏は、キッチリ とジャズ−−−フリー・ジャズだった。彼のこの姿勢と立場は、演劇における寺山 修司に似ているように思われる。                      

 阿部の音楽は、クールな知性に裏付けられた狂気であった。殊に初期、デビュー してからの数年間の演奏には、妖気さえ漂う。彼のアルト・サックスから吹き出さ れる音には、村正の刃の輝きがあった。そして、孤独だった。ソロ演奏の方が多か ったのだ。                                

 デビューして9年後、余りにあっけない阿部の死を、我々は知る。      

 彼の音が鳴っていた70年代は、人が何かに賭けて生きていた時代だった。阿部 は彼のアルト・サックスに賭けて、魂の奥底から搾り出すようなフリージャズを吹 き続けた。                                

 死んだ阿部の影法師が、斜めに長く延びている90年代、日本のフリージャズは 新しい世代に引き継がれて、また別の道に進路をのばしつつある。       
 
 

阿部薫
伝説のアルト奏者、伝説の演奏が甦るCD

「ソロ・ライヴ・アット・騒 Vol.1〜Vol.10」(全10巻)

 映画の挿入曲にも使われた阿部薫のソロ・ライヴ。阿部薫のあまりに も早い晩年約1年間にわたるライヴハウス「騒」でのソロ演奏を完全 収録した画期的なCD10枚のシリーズです。            
○全巻に書き下ろしエッセイ掲載。執筆者;若松孝二、友部正人、友川  かずき、後藤雅洋、板倉克行、宇梶晶二、灰野敬二、梅津和時、騒恵  美子、沖至                          
○録音;1977年9月〜78年8月(初台・騒)             
○DIW-371〜380(分売) 税抜価格各\2,500            

 


「ラスト・デイト」

 突然の死の12日前、札幌のライヴハウス「街かど」で演奏した最後のラ イヴ・レコーディング。阿部薫の最後の<声>を伝える壮絶なソロ。ア ルト・サックス、ギター、ハーモニカによる即興演奏を収録。    

 ○録音;1978年8月28日                      
○DIW-335 税抜価格\2,920                    


「なしくずしの死」

 阿部薫の最高傑作として名高いサックス・ソロ・アルバム待望の復刻CD 化。間章プロデュースによるコンサートのライヴ。阿部薫存命中にリリ ースされた数少ないアルバムの一つで、漆黒のジャケット、セリーヌの 小説によるタイトルなどで、そのイメージを決定づけた。      

 ○ALCD-8/9(2枚組) 税抜価格\3,883               


「オーヴァーハング・パーティー」

 死の1ヵ月前の、豊住芳三郎(drums)とのデュオ・ライヴ。<阿部薫追悼 盤>としてリリースされた作品の復刻CD化。アルト・サックスの他ギタ ー、ピアノ、ハーモニカなどに挑んでいる。            

 ○URCD-2(2枚組) 税抜価格\3,883                


「北(NORD)」

 「なしくずしの死」コンサートから、吉沢元治(bass, cello)とのデュオ を収録。デュオ・インプロヴィゼイションの極北ともいうべき壮絶な演 奏だ。                             

 ○URCD-5 税抜価格\2,427