尺八課外読み物

飯田峡嶺


12.三絃の歴史概要

三絃の歴史

註1

三味繰楽は日本音楽の代表選手の如き観があるが意外にも歴史は浅く僅々足利末期に渡来して殆ど江戸時代に発展した。然してその使命は殆ど声楽(唄)の伴奏楽器として用いられ只上方唄(地唄)の「手事もの」に器楽としての本領を見せるのみである。
また、当初は主に盲入法師の手により育成発達した。

註2.

三絃とは俗に三味線と称する物等の総称で、此の中には次の様なものが
含まれ各々其の寸法は若干異同がある。
  1. 中国の三絃
  2. 琉球の三線(サンシン或いはサムシエン・・・蛇皮線のこと)
  3. 日本の三絃A.地唄三味線(棹の太さ中位)
    B.義太夫三味線(俗に太棹)(棹一番太い)
    C.長唄、端唄用三味繰(棹一番細い)

註3.

地唄用三味線は特に三絃と称される場合が多く、またB‐Cと区別するためにも「三絃」とは「地唄用三味線」の意味で用いる事にする。

三絃の起源

B.C.1200年代エジプトのラムゼス大王の時代に弓形八一ブ(西アジア地方に起こってェジプトに将来されたと称される)の弓を真直ぐに伸ばして棹とし、作製されたネエフル(Nefer)が原形と考えられている。
ネエフルはノフル(Nofre)またはナプラ(Nabla)とも言うが元来エジプトの象形文字の判読なので読み方がまちまちになる。

ネエフルの構造
下部に胴があり羊の皮を張る胴の上に棹あり、三本の絃が張ってある。
胴を膝の上にのせて左手の指で絃の感所(カンドコロ)を按じつヽ右手に持つ15cm程の真直ぐな撥(バチ)で絃を弾奏する。

ネエフルの東漸説(田辺尚雄)

ペルシャのガムゼス王がエジブトを征服して後、ペルシャに持ち帰った(ダリウス1世)その後、長くペルシャの国民音楽となった。
A.C.800年頃サラセン帝国の威が北部印度及びチベットの辺りに及んだ頃、この楽器が印度のカシュミル地方及びチベットの辺りに入って来たがカシュミル地方は雨の多い地方であるから羊皮は、ひびきが悪いので蛇皮胴に変えられた。
(A.C.900年代)中国のジンギスカンがアジアを征服してそれに従い
チベット四川省揚子江浙江福建
と渡って来た(中国の害には「三絃」は元の時代より始まる)と記されているものが多いのはこの事実を証明して居る。
中国では、明の時代までは南支那に限って行われて居たが清の代になって演劇の伴奏用に使用されて広く行われるようになった。

中国における創造説(林譲三)

ペルシャのタンプール(Tanbour)(或いはタンプーラTamboura)或いはセタール(Setar)・・・共にネエフルのペルシャ化したものが豪古の西征により中国に入り、これを参考にして中国風に改造新作されて、中国化し絃楽器の体裁を整えた。
之れが民衆に親しまれ中国より琉球・日本にまで伝来した。

日本伝来(吉川英史三絃伝来考)

先に中国から琉球へ伝来して居たものが永禄年問(永禄5年説が有力A.C.1562)琉球から堺港を通じて伝来した。之の楽器の最初の取扱者は堺中小路住の法師(琵琶法師又は散所法師)であろう。この中小路住の法師が後に石村検校となったのかも知れない。また堺の港に伝来と併行して同時代に九州にも伝わったかも知れない。(と言うのが諸説の最大公約数である)

中国より琉球への伝来


日本伝来の諸説

糸竹初心集:(寛文4年中村宗三著A.C.1664)

文禄年間石村検校と云う音楽に器用な法師が琉球に渡り「小弓」を見て琵琶をうっしたものだと考え習った後京都に帰って三味線を案出した。

大弊:(大怒佐)倉刊年次不明三味線之起より

文禄年中琉球国より渡来し当時は、蛇皮胴の二絃であったのを泉州堺の琵琶法師中小路と言う盲人がしらべて見たが弾き方がわからないので長谷の観音に参篭したるに霊夢により三すじの糸をかける事を思いづきその上で弾いてみたら無盡の色音が出た。
その頃は、やたらに弾いてなぐさみにして居たが虎沢と云う盲人が出て
引きかためて本手、破手(八、デ)組をさだめた云々。

松の葉:元禄16年(A.C.1703)秀松軒編序より

人皇107代正親町院の御宇永録の比琉球より蛇度二絃の楽器渡り和泉の国堺に住める琵苞法師中小路が手に伝え長谷観音の霊夢により一絃をまし三絃とせしを三味線と呼ぴてしらぷる音にあらゆる呂律そなはらずと言う事なし。
是れ一より二を生じ二より三を生じ三より方物の音声を生ずる理いれたり。

色道大鑑:廷宝6年(A.C.1678)畠山箕山著巻7翫器部より

(内容はほとんど前項と同じ)

梅録:(山崎美成筆)

三味繰は蛮楽の器にて琉球にて翫ぴ蛇皮にて張りたる故にじゃびせんと言うなん。
文禄年間盲人石村検校其の弟平具衛と共に琉球に渡り兄は基の曲を習い弟は其の造る事を習いて日本に帰り始めて石村平兵衛日本にて三味線を打つ。尤も寸尺きまりなし。

大薩摩杵屋系譜:(三世杵屋勘五郎著)

水無瀬流の琵琶を弾文録に癸己琉球国より二絃の楽器渡来同人是を持、遊所二絃に音律備わらず是に依って同人考え工夫を以て尚一糸を相加えて三絃となす所是にて音律備わる。
依って琵琶の手より工夫をなし弾初む。
是則ち本朝三絃の根本也。

中国描談:(古事類苑楽舞部二)

三絃は絃楽器の王として絃王と呼び、その伝来は天正初年(5月2日)某儒官が関臼近衛前久の伴をして薩摩へ行き、そこで二絃の楽器を発見して、その妙音に驚嘆して京に待帰りたが雅楽家の嫉妬をさけるため、泉州の中小路と云う法師に授け中小路、これに一絃を加え三絃としたと言う。

中国より日本へ直接伝来説(津田左右吉・・東洋楽報三味線の伝来)

@日本内地より琉球の方に早くから三絃があったとは断言出来ない。
A琉球より日本への媒介地に薩摩が出ないのはおかしい。この点から琉球経由説に疑間がある
B琉球経由説を書いた諸本は永禄より100年以上後のもので経路の伝説が区々で信じ難い。
Cその他四項目の反証を挙げ
 結局三味線は琉球を経由せず中国から直接日本に渡来したと提唱す。
其他太田蜀山人(南畝)の琉球代記では梅津小将が琉球漂着して組唄
「琉球組」と月琴を将来し、その子右磨盲人となり三絃を案出して石村
検校となる。

結論:

当初に記した「日本伝来」の文章を以て最も正しいものと考える。
ただし、二絃で伝来して三絃に改作したものかもともと三絃で伝来したのか明かでない。
また胡弓が伝来して三絃(撥弾)に改作したものかもともと三絃で伝来したのかも明かでない。伝来当初の三絃の取扱・改造には在来あった琵琶の影響が非常に大きかった。大きな撥(ばち)を使うのは日本に於いての改革である。

また蛇皮が猫皮に替わったのも或いは既に描皮にて輸入されたとも、また、日本に於いて蛇皮の入手困難の為描皮に替わったとも言い定かではない。
三絃楽は、その楽器は輸入したけれども音楽(曲)は輸入されず音楽は全て我国に於いて作曲されたもので、その意味では最も日本的なものと言うべきである。


三絃採用前後の俗楽(主に流行唄)

隆達節

安土・桃山時代堺の人、日蓮宗の僧、高三隆達が小唄を流布した、之が近畿一円に迎えられたが三味線はまだ拡まって居らず専ら一節切の伴奏で行はれた。隆達は還俗して高三家に戻り薬種を商った。
小唄は隆達晩年に起こしたと言われ、在来の謡曲味の小唄を三味線味の歌へ転行させる仲介の役目をした。なお隆達節は元禄の頃まで謳はれたらしい。

弄斉節

隆達に続いて洛下の平九流、東武にて森田庄具衛・葛野九郎の小歌が出た(色道大鑑)が後世に伝わらず次に弄斉節が出た。
之れは一つに篭済又は朗細とも書く源流は創始者の名とも「癆察」と言う流行病の名をもじったものとも言う。
この辺りから三味線が伴奏楽器に用いられた。
弄斉に続いては、ほそり・片撥・ぬめり・柴垣・加賀節・投節等が出て来た。

三絃楽の展開

三絃が楽器として完全に民衆に使いこなされるようになって、大別下の四系
統に別れて進歩した。

  1. 地唄系
    石村検校の弟子虎沢検校の三味線組唄大成以来、歴代の地唄法師により相伝され或いは作曲されて箏(コト)との合奏により更に発展し今日に及んだ。主として京・大阪に於いて育成された。
  2. 浄瑠璃系
    虎沢検校の門人沢住は足利末に流行した浄瑠璃(説教節の一種)に三絃を応用した。之は従来の「語り物」であった「平家」における琵琶の役目を三絃が負ったわけであり、沢住の門人薩摩浄雲(大サツマの創始者)以後は晴眼者が之れにたずさわった。また同門の人、日貫屋長三郎は操り入形に之を結びっけ
    大薩摩→外記節→江戸節→半大夫節→河東節→永閑節→義太夫節
    となり之はまた豊后三曲の発生となる。
  3. 江戸長唄系
    徳川三代家光の頃地唄法師佐山検校の門人杵屋勘五郎が、江戸に下り猿若座で芝居の十座を弾いた、之れが江戸長唄の元祖となった。
    同門に岡安家松島庄五郎(メリヤス長唄創始)富士田等が出た(長唄と浄瑠璃を結びづけて唄浄瑠璃を創始した)松島庄五郎門下から萩江節が出る。
  4. 小唄、端唄、流行唄系
    はやり唄弄斉に続いて遊廓中心の小唄が流行した。
    京都島原の投節(ナゲプシ)
    大阪新町の籬節(マガキプシ)
    江戸吉原の継節(ツギプシ)
    投節から潮来節(イタコプシ)が起こり続いて「ヨシコノ」が関東に勢力を張り今日の「都々逸」(ドドイツ)となる。
    端唄では春雨、紀伊の国、京の四季等が発生し之等端唄類を整理して形式化して歌沢節(安政頃)が発生した。

高野展之:日本歌謡史春秋社。
伊庭孝:日本音楽史新興音楽出版社。
那智俊宣:日本音楽の聴き方毎日新間社。
東洋音楽学会:三味練の研先音楽之友社。
田辺尚雄:日本音楽講話文化生活研充会。
江戸時代の音楽近世日本文化史研究会。
日本の音楽中文館書店。