ドラッグコートと日本の現状
(弁護士座談会より)


石川
 薬物犯罪に対する見方とか薬物犯罪の社会的背景だとか日本とは違うとららえ方をしている、そこからこの制度ができてきている、と感じました。
 
具体的にいうと、薬物犯罪を単に犯罪ととらえるのでなくて、一つの病気であるというとららえ方、だから処罰するだけでは薬物犯罪はなくならないというとらえかたが、社会の中にある程度できていて、成り立っている制度だということですよね。社会の中にそういう見方があるということは、治療する医師がおり病院がある、リハビリ施設がいっぱいある、その施設に公の補助がある、ということです。そこにこのドラッグコートという制度が乗っかっているんですね。薬物に対する対策が積み重なった結果できた制度だと思います。
 日本の場合はまだ単に犯罪としてとらえるだけで、ケアのシステムは社会的には全然できていませんから、まだまだ先という感じです。

平田

 私も同感なんですが、付け加えるとドラッグコートというのは司法の目から見ると、とても特種である、というのは司法のプロセスというより福祉の一環として司法の枠組みをとりながらエディケーショナルな作業を行っている。本来は福祉保健行政の分野だが、一方で薬物の使用は犯罪であるということから司法がメインになって関与せざるを得ない、薬物依存症者への処遇も司法が担わざるを得ない。本来は病気なんだけども、という前提にたった上で、司法が関わらざるを得ないから、こういうシステムができている、という思想を強く感じます。
 とくに資源として司法が警察や市の精神保健機関と連携をとっているというのは非常に驚きですし、公的なドラッグコートのパンフレットにNAやAAへの導入ということを書いているというのも大きな驚きでした。

高谷

 感想を一言で言うと、このドラッグコートのパンフレットの表紙にあるイノベーティブ(革新的)アプローチ、だと思います。日本で何か類似のものを見つけるとしたら少年審判で試験観察を経た上での決定と非常によく似ていると思いました。少年審判の目的というのは、非行を犯した少年の更生のためにチームを組んで、立ち直りのための方法を考えようというものです。それと同じようにこのドラッグコートでは、検察官・弁護人・精神保健局・保護観察感などがチームを組んでケアしている。
 基本理念として病気を治療するんだという認識を裁判官も弁護人も検察官も持っているというのは日本と比べて大きな差があると思います。

石川

 利用できる資源が全然ちがいますね。民間の施設が日本と比べてとても充実している。これだけプログラムが整った施設があり、バラエティに富んだ施設がいっぱいあり、そこから選べるというのがすごいですね

平田

 人的な社会的な基盤のちがいや薬物事犯の数や質のちがいを強く感じたというのがこのツアーの印象なんですが、ただ薬物依存が病気なのかどうか、その人の更生にとって病気だととらえるべきなのかどうか、という点は日本でもアメリカでも変わらないと思います。基盤のちがいは前提としながらも、こういうアプローチを日本でもとりいれていくという大きなきっかけに今回のツアーはなったと思います

高谷

 非常にイノベーティブなアプローチなんですけど、日本にすぐもってこれるかと言うと困難だと思います。一つは社会資源というか、リハビリ施設がほぼない。ダルクをのぞいては。物理的な不可能性があります。さらに薬物犯罪は犯罪であると共に病気なんだ、だから再犯を犯さないためには「強い決意」じゃなくて、治療が必要なんだという認識をもっている人が法律家の中でどれだけいるか。アメリカではドラッグコートに関わっている人には共通認識です。しかし日本では、この共通認識は弁護士の中ですらできていない。非常におそまつな認識状態だと思います。そういう意味で意識レベルでの不可能性があると思います。この二つの障害を乗り越えていかないといけない。

石川

 制度の問題として、試験観察という側面をドラッグコートは持っていますよね。自由の制限を伴うわけですけど、有罪判決を経ていませんから、本人の同意を得ていると言え、自由の制限をするということが適性手続きの観点からいいのかどうか、ということが日本では議論になると思います

高谷
 それは、そのとおりですね。

平田

 
高谷先生の二つの困難にもう一つ付け加えたいのは、本質的に行政的・福祉的な側面をもっている制度なので、日本で言えば精神保健機関や公的機関がこの問題をどうとらえていくのか、そこを変えていかないといけないということが、大きな問題だと思います。

石川

 日本の現状というのは、何回も薬物事件をくりかえす人達にとっては非常に無力ですね。とにかく裁判所は初犯者に対しては一年から一年六月の懲役刑を言い渡して、それに三年から四年の間で執行猶予をつけます。執行猶予中にやった場合はほぼまちがいなく実刑です。そういう手続きを経てみんな薬物から離れていっているかというと必ずしもそうじゃない。多数回、薬物犯罪だけで逮捕・勾留される人がいるわけですね。それに対して裁判所はどう対応するかというと刑をあげていく、それでやめるかというと必ずしもそうじゃない。だからなんでやめられへんのか、ということは裁判所も検察官も同じように思ってるわけですよ。勾留をする、刑務所に送るということが根本的な解決にならないということは日本でも答えがでていると思うんですよ。どうしたらいいのかが分からないのが現状だと思います。このドラッグコートの背景にある考え方というのは一つの答えなんです

平田

 日本の裁判所では薬物に対する依存性・親和性が強ければ強いほど実刑にするべきだ、長期の実刑にすべきたというのが判例のテーゼです。そこで裁判では依存性・親和性の程度の立証に力を注いでいます。しかしそれは非常にむなしいことで、依存性が高ければ実刑にするというのが実際には大きなフィクション、それは誰でもが気付いていることですよね。今の日本では重罰化を一般予防の観点から強めていますが、覚醒剤の使用は一向に減らない。一方で、依存性の強い人は刑務所に入れるだけ、ということになっています。少しでも医療の観点を司法の中に入れていかなければならないと思います。そういう点で、実際にアメリカでドラッグコートが行われているということ、さまざまな公的機関がそれをささえている事実は日本の司法に与える意味は非常に大きいと思います。


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