三男出産ドキュメント
とてもノーマルな安産の一例
HOME

(99/8/5 update)

プロローグ

私は29才で長男を産んだ。微弱陣痛で翌日午後になってもお産が進まないので、分娩台の上で陣痛促進剤の点滴を受けたら、アッという間に産まれた。2900gであった。
次に32才で次男を産んだ。切迫早産で陣痛抑制剤を点滴しながら絶対安静で過ごす事2週間。無事、37週を迎え、点滴をはずしたリバウンドで陣痛開始。しかし、またもや微弱陣痛。2回目の陣痛促進剤の点滴で 1週間後にやっと産まれた。2804gであった。
そして今、37才で第三子(三男)を産むことになった。はたしてどんなお産になるのだろうか?

第1章  臨月

今回の妊娠は、やたらにお腹が大きくなった。重いぞ! 足やら腰やらがやたらに痛むし、ちょっと歩けば腹が張る。次男の時の緊急入院が脳裏をよぎる。あの時は、長男をダンナの実家に預けて入院していられたが、その長男も2年生となり、学校があるので田舎に預けるわけにもいかない。なんとしても、入院は避けなければならない。ビクビクしながら、ようやく37週を迎えた。よし! もう、いつ産まれてもOKよ。

お腹は、相変わらずよく張るし痛い。前駆陣痛である。これが、規則的になればお産開始...のはずなのだが、やはり私は微弱陣痛の体質なのだ。5分間隔の痛みが来ていよいよと思っても、やがて間隔があいて痛みもおさまってしまう。この偽陣痛が来る度に
今日か明日には産まれそう
と言い続けていたため、オオカミ妊婦と化した私はついにダンナにも相手にされなくなってしまった。
こうなると、いつ産まれるか見当がつかない。

さらに、ひとつ問題があった。ダンナの札幌出張である。7月14日から2泊3日の出張。聞けば、たいして重要な仕事ではないらしい。私としては、微妙な時期だからなんとか避けられないものかと願っていたのだが、入院したのならともかく、いつ産まれるかわからないという理由で断るわけにもいかないという。しかたがないので、この間は姑に来てもらう事にしよう。当人も来る気満々らしい。 しかしである。私が入院中or産後で働けない時ならともかく、産む前に来てもらっても気詰まりなだけである。姑にしても、ただいるだけでは暇だしストレスもたまるであろう。私にとっては気の重い事であった。

第2章  入院

7月12日(月) 定期検診で病院に行く。 医師曰く
いつお産になってもおかしくない
先週も同じ事を言ったぞ(笑)。私は、ダメモト承知で医師に尋ねた。
「主人が、明後日から出張で不在になるんです。産まれることになれば、出張を中止してくれるそうなんですが、いつ頃になるかわかりませんか?」
わかるはずないよなぁ。しかし、そこは医者も考えてくれた。
「それなら、明日入院して陣痛促進して産んでもいいよ。このまま、自然に陣痛が来るのを待ってもいいし。ま、僕はどっちでもいいから」
そりゃあ、どっちでもいいだろう。ダンナと相談することにして帰宅。その結果、このまま陣痛を待とうということになる。
いかん!このままではダンナが札幌へ行ってしまう!気詰まりな日々の覚悟を決める。

しかし、この日の夕方更なる問題が発生した。次男を保育園に迎えに行った帰り道、近所の奥さんに遭遇。この奥さん、昨年同じ病院で出産したばかりである。世間話をしているうちに重大な事実をきかされた。この辺は夜中にタクシーが来ないというのである。ダンナの留守中、夜間にタクシーで入院という事態は大いにありうる。 さぁ、どうする? すると、この奥さんが
「万が一の時は、車出してあげるから電話して」
と電話番号をくれた。良い人だ。心強い最後の切り札として、ありがたく電話番号をいただいた。
が、これはあくまで最後の手段。電話帳でタクシー会社を調べ、片っ端から電話して夜間の営業時間を聞く。すると、何件かは深夜2〜3時頃までやっているらしい。朝はほとんどが7時から。明け方に緊急事態が起きなければなんとかなりそうだ。それでも、不安は残る。こうなったら明日までに入院してしまおう!

7月13日(火) 偽陣痛で眠れぬ時間を過ごしつつ、夜は明けてしまった。起きだして、朝食の仕度なんぞをしていると痛みは遠のいてしまう。やれやれ。 それでもダンナと子供を送り出し、一段落していつものようにパソコンの前に座っていると、またお腹が痛くなってきた。 このまま陣痛にならないかなぁ... と思いつつ、メールチェックなんぞをする。 気のせいか、痛みが強くなってるようだ。これは!と思い11時になって時間を記録し始めると、なんと6〜7分おきである。また偽陣痛かと思いつつも、こっちには今日中に入院したい、いや、しなければならない事情がある(笑)。 ええぃ、病院に電話してしまえ!
電話をすれば来いと言われるのはわかっているので、ダンナにも帰ってきてもらうように連絡してから病院に電話する。案の定、
「入院のお仕度をして来て下さい。どの位でこられますか?」
と言われた。私は、しばらく家を留守にすることや、その間に姑が来るであろうことを考え、ちょっと片付けをして、などと計算をし
「1時間くらいで行けると思います」
と答えたが、これは相手を驚かせたようだ。
「6分おきなんですよね。経産婦さんですよね。1時間じゃ産まれちゃいますよ!
半分、叫んでいる。私は内心、どうせまた微弱陣痛で簡単には産まれないよ、と思いつつ
「じゃ、できるだけ早く行きます」
と答え、バタバタと荷物をまとめて、ダンナの帰宅と同時に家を出た。そして、電話から30分後に病院到着。診察を受ける。そこで、医師の一言。
「はい、入院です」
やった! とにかく入院だ!

第3章  陣痛室

汚い話で恐縮であるが、陣痛室に案内されて、まず待っていたのは浣腸であった。この日は、すでに出たばかりですっきりである。内心、 げっ、必要ないよ、と思うが、看護婦さんの
「赤ちゃんが下がりやすくなるのと、陣痛を促進する効果がありますから」
という言葉に、しかたないか、と観念する。しかし、これが陣痛室での最大の難関であった。
「5分はがんばって我慢してくださいねぇ」
と言われても、とても我慢できない。ベッドのすぐ脇にあるトイレに駆け込み、1分後には薬を全部出してしまった。まぁ、出すものがないのだからこんなもんでしょ
「すみませ〜ん」
と照れ笑いしながらベッドに戻る。看護婦さんも、しかたないわねぇ、という顔である。
「じゃ、30分程赤ちゃんの様子を診るための機械つけますから」
といわれ、お腹にいろいろくっつけられてる最中に...来た! ゲリピーのゴロゴロである。
す、すみません。トイレ...
くっつけたものを大急ぎではずしてもらい、再びトイレに駆け込む。 ここからの苦しみは、みなさんよくご存知のあの苦しみである。ゴロゴロゴロゴロ...。ドアの外で、心配げな看護婦さんの声。
「いきまないで下さいねぇ。いきみたくなったら教えて下さいねぇ」
わかっていますとも。産まれるわけじゃぁないのよ。ゲリピーのゴロゴロなのよ。 浣腸のせいなのよ。小腸あたりにあったものをなんとか無理矢理出して、ゴロゴロはようやくおさまった。

さて、気をとりなおしてベッドに横になる。看護婦さんが、さっきの機械をくっつけながら
「痛みの方はどうですか?」
と聞く。ん?痛み?ヤバイ!ゴロゴロの騒ぎで陣痛がどっかへ行ってしまった!陣痛がなかったら入院取消しで家に帰されちゃうかも...。
「まぁ、機械つければわかりますから」
そうなんである。この機械、次男の切迫早産の時にさんざんくっつけた。お腹の張りが見事に波形となって記録される。ドキドキ。ここで、廊下で待機していたダンナ入場。
「どうですか?」
「浣腸したら、陣痛がどっかへ行っちゃった」
マヌケな会話である。それでも静かに横になっているとお腹がキュッとわずかに張る。私の位置からは記録紙が見えないので、ダンナに見てもらう。
「お、ちょっと山ができたぞ。おもしれぇ。お、またできた。」
よろこんでいる。本人、ちっとも痛くはないが一応規則的な張りはあるらしい。よかった、よかった。ウソツキにならずにすんだ(笑)。そこへ、看護婦さんがやってきて
「あら、きれいに4分おき」
といいながら、機械をはずし記録紙を持ち去った。陣痛があって入院したという証拠物件にするらしい。

この時1時45分くらいであったと思う。長男が学校から帰ってくるので、ダンナ帰宅する。
さぁ、ここからが長いぞ。この時間の暇つぶしのために文庫本を持ってきているので、看護婦さんに頼んで荷物の中から取ってきてもらう。 内田康夫の「遠野殺人事件」。どうやら、陣痛室で読書をする妊婦というのは珍しいらしい。隣の部屋から会話が聞こえる。
「本、読んでるの」
「余裕ねぇ」
だって、退屈だもん。その後、時々看護婦さんが様子を見に来る。
「どうですかぁ?」
「はぁ、だんだん痛みが強くなってます」
「でも、本が読めるんだからまだまだね」
「はい、まだまだです」
3時頃にベテランらしい助産婦さん登場。診察してもらう。私、ちょっと聞いてみる。
「今日中に産めるかなぁ?」
「産める、産める」
なんか、安心する。そうかぁ、今日中に産まれるかぁ。しかし、陣痛はまだまだ序の口。

4時。突然、医者と助産婦と看護婦がドヤドヤと入ってきたかと思うと、アッというまに何かして去って行った。残った看護婦さんが、
「お水がおりますから、起き上がらないで下さいねぇ」
と言う。そうか、人工破水させたのか。もう、後戻りはないのだな。なんか、お産の実感が湧いてきた。じゃ、今まではなんだったのだ(笑)。破水をすると陣痛が強くなると聞いていたが、これは正しかった。どんどん、痛みが強くなる。ストーリーに集中できなくなって、私は本を閉じた。陣痛が来る度に深呼吸が必要になる。そこへ、ベテラン助産婦さんがやってきて、内診しながら
「もう、2〜3回強い痛みが来たら分娩室に行きましょう
という。え?もう?過去2回のお産の時の最終段階の陣痛はとんでもなく痛かった。まだまだ、あのレベルには程遠いぞ。
「あのぉ、全開じゃなくても分娩室にいくんですか?」
「経産婦さんは、全開になってからじゃ間に合わないことがあるから」
はぁ、そんなもんですか。 そんな会話をしながらも、2分おきに陣痛はやってくる。
そして、4時45分。 ベテラン助産婦さんの自信に満ちた声...。
はい、分娩室に移りましょう

第4章  分娩室

なんか納得できないままベッドから降りようとすると、ピキッ!...足がつった。しかも両足である。
あ、足がつる、足がつる...ちょっと、待って...
しかし、私の訴えを無視して看護婦さんが分娩室へとせかす。
しかたがないので、隣の分娩室まで歩く。破水しているので、水が大量に流れる感触。気持ちわりぃ。しかし、今はそんなことにかまってはいられない。足が...足が...痛い...。まず、このつった足をなんとかしたいのだが、お産を前にしたスタッフのみなさん方には、自分の仕事をこなすことしか頭にないらしい。
ここでふと気がつくと、スタッフがやたらにいる。定時前だからか。そうか。4時に人工破水したのは、人手のある定時内に産ませようという病院側の策略だったのだ。と、今はそう思うのであるが、その時はそれどころではなかった。せかされるままに分娩台に上がるが、ちょっとした加減で足がつる。それなのに、よってたかって私の足に袋をはかせ、足を乗せる台にベルトでしっかりと足を固定されてしまった。これじゃ、自分で筋を伸ばしたりできないじゃないよ。私がこむらがえりと戦っている間にも、準備は着々とすすめられ、助産婦さんは悠長に剃毛なんぞを始める。
「ちょっと、動かないでねぇ」
動くなと言われても、足がつってるのよ。筋を伸ばさないとますます痛いのよ。あいかわらず陣痛も来ているのだがそれどころではない。
両足がつってるんですぅ。ふくらはぎとすねと両方ですぅ。イタタタタ...
私が騒いでいると、ようやく手の空いたスタッフがふくらはぎをマッサージしてくれた。しかも、片足に一人づつである。右足マッサージの看護婦さん。左足マッサージの看護婦さん。剃毛する助産婦さん。なんか、すごい光景である。それでも、マッサージのお陰で足の痛みは少し和らいできたのであった。

第5章  出産

全ての準備が完了し、こむらがえりも落ち着いた...といっても、つりそうな感触は残っている。
ここで突然助産婦さんが、
今度、痛みが来たらいきんで
と言う。え? もういきむの? だって、全然いきみたくないよ。

考えてみれば、長男、次男の時は陣痛促進剤の点滴をしていたので、子宮口が開き始めると薬の力で陣痛がどんどん強くなって、アッという間に全開となり、それでも陣痛は更に強くなって、この世のモノとは思えぬ痛みが来たのであった。下半身が焼け付くようで息はできない。とんでもなく痛いのであるが、この痛みの波が2〜3回来ると、子供が勝手に下がってきて、あとは軽くいきむだけで産まれてしまった。苦しいのは、ほんの2〜3分であった。
ここで、経験のない方のために説明すると、子供が下がるということは、子供の頭が直腸を刺激して、ちょうど固くて大きいウ○チをしたい感じになって、これを出すために自然にいきみたくなるのである。おわかりいただけるだろうか。

私は、今回もこういう手順を想定していた。あの痛みも覚悟していた。しかし、今回は薬を使っていないので、あの痛みは来ないのだ。子供も勝手に下がっては来ないのだ。いや、もう少しのんびり待てば来るのかもしれないが、スタッフが大勢いるうちに産むためには、待ってはいられないのだ。
しかし、出したいものがないのにいきめと言われてもなぁ。それでも、言われた通り陣痛の波とともにいきんでみる。
んんんんんんっ!
と、同時に助産婦さんが手を突っ込んで引っ張ってくれる。
このあたりで、5時になったようだ。
「お先に」
「お疲れさま」
何人かのスタッフが帰って行った。
私はと言えば、あいかわらずいきんでいる。3回位いきんだら、子供が下がってきたようだ。
「いきみがきました」
というと、残ったスタッフ...それでも4人位いたような気がする...が私を取り囲み励ましてくれる。
「痛みが来たら、思いっきり長くがんばっていきんでぇ」
はいはい、がんばりますとも。
痛みが来ました。いきます。ヴヴヴヴヴヴヴヴッーーーーー!ハァハァハァ
来ました。いきます。ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッーーーーーーッ!
頭の脇にいる看護婦さんがの声。
さすが、経産婦
どうやら、ほめられたらしい。でも、こっちもこんな産み方は初めてなんだけど...。
必死になっていきんでいると、 まわりで、ごちゃごちゃとアドバイスしてくれる。
「声を出さないで」
声を出すなと言われても、出さなきゃいきめない妊婦もいるのよ。
「手をはなしてもいいですよ」
分娩台の腰の位置についている握りバーを握っているのだが、はなすと力が入らないじゃないよ。
結局私は全部無視して勝手にいきんだ。
5〜6回もいきんだだろうか。必死だったのでよく覚えていないが、ようやく子供の頭が出てきたようだ。
「あ、回ってる、回ってる」
なんか、みんなで喜んでいる。ここで、突然医者が登場して会陰切開。痛くはない。どうも、ここの医者は人工破水といい突然処置をするようだ。事前に断って、妊婦に拒否されてもめんどうだからだろう。
そして、もう一度いきむとニュルッという感触とともに子供が出てきた
フンギャァフンギャァフンギャァ
7月13日午後5時10分三男誕生である。

第6章  安堵

ちょっと、時間は飛ぶ。
全ての処置が終わって、私はベッドモードの分娩台に一人横になっている。この間に連絡を受けたダンナと子供達がやってきて、赤ちゃんとガラス越しの対面をしたらしい。
6時半頃、陣痛室に移り食事が出る。力が入らずあまり食欲もないのであるが、せっかくなので食べているとダンナと子供達がやってきた。子供達は興奮している。次男などは
「どっちからだった?」
とまのぬけたことを聞いている。実は、次男は赤ちゃんは口から産まれてくると思っていたのだ。私がおしりから産まれてくると教えてやったのだが、どうやら信用していなかったらしい。で、この質問である。
「ちゃんと、おしりから産まれてきたよ」
と答えたが、なんかまだ疑っているようだ。
そこへ、助産婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。抱っこする。ちっちゃーい! 子供達は「かわいい」と言いながらおそるおそるのぞき込む。ダンナもうれしそうに立っている。
家族5人水入らず。私の人生の中で最高に幸福な瞬間であった。

第7章  産後ペインマーチ

長男、次男は促進剤で産まれたという感じだったが、今回は自力で産んだという感じのお産であった。
がんばりました、はい(笑)。
しかし、私のお産の苦難はこれからである。1回目も2回目も出産より産後がつらかった。
そして、今回も...。

まずは会陰縫合
産まれた瞬間に、それまでの苦しさは嘘のように消えてしまい、ホケェーとしている間、赤ちゃんは隣の部屋へ連れて行かれ、産湯を使ったりサイズを測られたりしている。
「3120g」「35センチ」
体重と頭囲のことだな。ん?35センチ?でかい! 医者も
思ったより大きかったね
なんて言っている。助産婦さんも
頭が大きかったから、大変だったでしょう
なんて言っている。私は思わず
父親に似たんでしょう
と答えていた。実際、ダンナは頭がでかい(笑)。
話を戻そう。この病院では、必要がなければ会陰切開はしない方針らしいのである。実際、同室になったOさんは、今回3人目で全部ここで産んでるそうであるが、2回目と3回目は切らなかったそうである。それなのに、私は2回目も、そして3回目も切られてしまった。次男の頭囲も35センチであった。体重が2804gしかないのに頭がでかいので、助産婦さんが「うそぉ!」と叫んで測り直したほどである。父親似の子供を産んだのだから納得はするものの、なんか損した気がしないでもない。
というわけで、縫合である。なんと、ここの医者は麻酔をしない。そりゃ、痛いよ。麻酔くらいしてよ。

次は歩行である。
食事も終えてしばらく横になってから、8時半頃病室へ。
腰が痛い。足も痛い。足の付け根も痛い。動くと痛い。歩けばもっと痛い。妊娠中もそうであったが、お産のために更に骨盤も靭帯も緩みきってガクガクなのである。片足で立てない状態なので、歩幅は自然と狭くなりソロソロ歩く。かつての昭和天皇のようである。病室のベッドに横になってからも腰を動かすと痛いので、姿勢を変える度にイタタタタ...となる。特に、立ち上がる時は死ぬ思いであった(大袈裟)。

一番つらい後腹
「あとばら」とは、空っぽになった子宮が縮む時の痛みである。人によって差はあるらしいが、私の場合陣痛よりこっちの方が痛いくらいである。というより、陣痛はせいぜい1分位で波が去るが、後腹は痛みが持続するので耐え難い。それなのに、産後すぐ収縮剤を注射され、飲み薬も処方される。助産婦さんによれば、経産婦に早く鎮痛剤を出すと出血がひどくなることがあるので、あまり出したくないそうだ。そういうことなら、我慢しましょう。しかし、最初の晩からさっそく痛くて眠れない。4時頃ようやくまどろんだと思ったら、すぐに6時の起床時間になってしまった。
翌日、産後1日目は赤ちゃんはまだ来ない。同室のOさんは一日早く産んでいるので、午前中に赤ちゃんがやってきた。人の子でもかわいい。赤ちゃんが来ると授乳があるので忙しいが、私は暇だ。しかし、お腹が痛いのと寝不足で退屈している余裕はない。11時頃、田舎からダンナの両親がやってきた。どうだと聞くので、
「後腹が痛いです」
というと、姑曰く
「そんなことでもないと暇だろう」
はい、そのとおりです。だから、退屈している余裕はないんですってば(ちょっと愚痴です)。 姑は予定通り週末まで泊まっていくそうである。はりきっている。ま、これも親孝行だと思う。

話がそれた。この日の夕方、母子ともに順調ということで私の元にも赤ちゃんがきたわーい! さっそく授乳する。まだ張ってきていないので吸わせるだけである。本能とはすごい。産まれて24時間でちゃんと上手に吸っている。と、イタタタタ...後腹が...。乳首を吸われると子宮の収縮が促進される。うぅぅぅぅ...
その夜も、やはり痛くて眠れそうもない。座薬なんて強烈なのでなくてよいから、バファリンくらい飲みたい。そこでナースステーションに行くと母乳に影響するので飲み薬は出せないそうだ。しかたがない。もう少し我慢しよう。 夜中の1時半。我慢の限界が来た。眠れないのはともかく、とんでもなく痛いぞ。これだけ我慢したのだからもういいだろう。ついに私はナースコールをして、痛み止めの座薬をいれてもらった。 やっと安眠する。

うっ滞性乳腺炎。
難しげな名前であるが、要はおっぱいが張って痛い状態である。乳腺が開通していないと、母乳を製造だけして排出されないのでこうなる。長男の時も次男の時もこの状態になり助産婦さんのマッサージを受けたのであるが、このマッサージ、上手い下手の差が非常にある。下手な人に当ると悲惨である。痛くするのがマッサージと思っているので容赦がない。拷問である。痛いだけじゃなく、強引にこするので摩擦で皮膚がすりむけた状態になってしまう。やだなぁ

2日目からおっぱいが張ってきたので、痛くなる前にと一生懸命授乳していたのであるが、 午後になるとますます張ってきてしまった。こうなるともう手におえない。パンパンのカンカンである。胸に岩が張り付いたようで、ちょっと動かしただけで痛い。おまけに授乳で左の乳首に傷ができてしまいヒリヒリする。 そこで、マッサージをお願いする。ここの助産婦さんは無理しない人なので助かった。しかし、どうもおっぱいマッサージはあまり得意ではないらしい。
赤ちゃんに吸ってもらうのが一番だから...
とか言って去ってしまった。おいおい。
あとは、授乳あるのみだ。赤ちゃんが吸いつく。乳首の傷がヒリヒリ...イテテテテ。後腹がシクシク...イテテテテ。さらに、赤ちゃんは疲れてすぐに眠ってしまい歯茎でかみ締める...イテテテテテ...(泣)
になると、さらにひどい状態になり脇の下まで腫れて熱を持ってしまった。さわっただけで痛い。さわらなくても痛いズキズキと脈打っている。夜中は赤ちゃんは新生児室で授乳がないので、このまま朝になったらとんでもないことになりそうだ。とにかく、少し冷やそう。ナースステーションに熱さまシートみたいな保冷剤をもらいに行く。すると、
「そんなんで冷やすと母乳が出なくなるから、タオル濡らして当てといて下さい」
と冷たく言われ、ビニール袋を渡された。やる気のない看護婦である。しかたがないので、濡れタオルをビニール袋に入れ、冷蔵庫で冷やしながら胸に当ててみた。
翌朝は思ったほど悪化していなかった。どうやら、昨夜がピークであったようだ。この日の授乳でパンパンのカンカンだったおっぱいも少しずつほぐれてきた。やれやれ

エピローグ

腰痛もいつのまにかおさまり、スタスタ歩けるようになっている。会陰切開の傷も抜糸をして楽になった。子宮収縮の痛みも授乳の時にちょっと痛む程度になった。おっぱいも乳腺が開通したようだ。一通りの痛みが去ったところで、5日目めでたく退院である。うまくできている(笑)。

喉元過ぎれば熱さ忘れる!



19 days old


メール歓迎! 天間まで お気軽にどうぞ!