小児病棟八景
HOME

(99/11/29 update)

入院中の出来事を思い出しながら、少しづつ書いていきたいと思います。
おもしろいor怒りの(笑)入院体験、何かありましたら、メールにてどしどしお寄せ下さい。
こちらのページで紹介させていただきます。


ナース編

入院中、たくさんの看護婦さんのお世話になりました。しかし、ナースといえども人間。いろんな方がいらっしゃいます。「ムッ!」っと思っても、お世話になってる手前、苦情も言えない。その時の思いが今もこうして胸の中に残っている私って執念深い? あ、もちろん、やさしくて素敵な看護婦さんがほとんどですけどね(笑)。


規則が一番、マニュアルナースその1
長男、喘息で入院していたが、そこで紫斑病が再発した。足に紫斑が出てお腹も痛そう。しかし、長男は入院が長引くことを恐れて決して「痛い」と言わない。でも、お腹をさすってやると「もっとさすってて」というので痛いには違いない。
さて、この病院、平日の面会時間は3:00〜8:00である。最初の紫斑病の入院の時、症状が重い始めの1週間は時間外面会の許可をもらって(というか、要求されて)朝から付添っていたのだが、この時の記憶がよみがえってきた。痛い時は、少しでも長く側にいて、お腹をさすってやらなきゃ。そう思って、翌日私は「勝手に」早めに病院へ行ったのだった。2時頃、長男は点滴につながれ無表情で見るからに元気がない。お腹をさすってやっているとそこへ看護婦さんがやってきた。 私は確信犯とはいえ、一応規則違反を承知しているので
「ちょっと早くついちゃったんですけど、具合悪そうですし、お腹さすって欲しいというので、ここにいていいですか?」
ときいてみた。この時の私はせめて
「仕方ないですね。今日だけですよ」
という返事を期待していたのだが、なんとこのマニュアルナースは
「面会は3時からですから、その時間にもう一度おいでください」
とのたまった。私は思わず
「でも、お腹がかなり痛そうなんで、さすっててやりたいんですけど...」
とくいさがったが、結局
「大丈夫ですよ、お母さん。他のお子さんはみんな我慢してるんですよ」
と言われ、悲しそうな長男の視線を背に、追い出されてしまったのだった。
そりゃぁ、正論は規則違反のこっちが悪いんだろうけど、「臨機応変」という言葉を知らんのか!
この時の担当ナースが他の人だったら、こっそりいさせてもらえただろうと確信できるだけに、今思い返しても悔しい!


規則が一番、マニュアルナースその2
この病院のもう一つの規則に、「感染予防のため子供は入室禁止」というのがある。そこで、兄弟など、子供と面会する時は食堂でということになっている。
長男は安静が治療ということで、長いことベッドから降りるのはウンチの時だけという状態であった。当然食堂へは行けない。夜7時頃になると、夫が次男を保育園で拾ってから面会にやってくる。次男は入室できないので長男との面会を夫と交代し、私は次男と食堂で待つという日々が続いていた。
入院生活も2ヶ月以上たち、長男の安静度は「トイレ、洗面まで」と緩和されてきたが、なかなか食堂までは出してもらえない。したがって、兄弟はベルリンの壁崩壊前の東西ドイツのように、長い時間 会えないでいる。時々、トイレのついでに廊下のあっちとこっちで顔を見るのがせいぜいである。そこで、私は主治医に聞いてみた。
「面会時間の最後の30分位、下の子も来ているので食堂で過ごしてもいいでしょうか」
主治医は、子供の精神面もよく考えて下さる方なので
「人が大勢いる時は、感染があるから困るけど、人がいない時ならいいでしょう」
と言ってくれたのだった。ラッキー!
その日、たまたま食堂には、同室の患者のA君が一人テレビを見ているだけだったので、チャンス!とばかり長男を食堂まで連れて行き、椅子に座らせ久々に家族4人の時間を過ごしていた。
ところが、その日はたまたまマニュアルナースの担当の日でもあったのだ。申し送りの長男の安静度では、食堂にいてはいけないことになっている。 そして、見つかってしまった。アンラッキー!
「○○ちゃんは、ここにいちゃいけないのよ」
「あの、E先生が人の少ない時ならいいっておっしゃったんですけど...」
「そうなの...聞いてない。後で確認しておくから今日はお部屋に戻って」
というわけで、久々の家族団らんはあえなく10分で終わってしまったのだった。プンプン。


何のため? 効率化ナース
小児科は中学生までが対象らしい。 長男の病室は学童6人部屋で、付添いのない5才から10才位までの子が多いのだが、時には思春期に入ったと思われる女の子なども入院してくる。仮にA子ちゃんとしよう。
子供同士、特に男の子はすぐに仲良くなり、最初の具合の悪い時期を過ぎると、みんなカーテンをオープンにして遊んだりしている。しかし、年頃の女の子がそんな雰囲気になじめるわけもなく、 A子ちゃんはいつもカーテンを閉めてディスクマンで音楽を聞いたり、本を読んだりしているようだった。
私は、そんなA子ちゃんを「あの年頃には、自分の世界に浸るのが楽しいのよね」とか、自分の若かりし頃を思い出しながら眺めていた。
すると、そこへ看護婦さんがやってきた。例のマニュアルナースである。そして、
「カーテンは開けておいてね」
と言いながら、A子ちゃんのベッドのカーテンを突然全開にしてしまった。私はびっくり!
看護婦さんがみんなそうするわけじゃないし、そんな規則も聞いてない。
そもそもカーテンは大部屋でプライバシーを守るために存在するんじゃないだろうか?
じゃ、何のため?
カーテンが開いていれば、入口から全部の患者の様子が一目でわかるから?
どうも、理解に苦しむ。誰か理由を知っていたら教えて下さい。
A子ちゃんがその時何を考えていたかは知らないけれど、私は勝手に気の毒になってしまったのだった。


家族編

長男の病室は、学童6人部屋。夕方から面会終了時間の8時までは、それぞれの家族がやってきてそればにぎやかである。そして、いやでも各ベッドからの会話が耳に入ってくる。世の中には実にいろんな人がいるものである。


過干渉家族その1
B子ちゃんは2年生。
実は名前も年もすでに覚えていない。この病室で長く入院していたのは長男だけで、他の子は1〜2週間程度で次々と退院していってしまう。私の頭では覚えきれないのである。
そのB子ちゃん、明るくて、他の子達とも仲良く遊ぶかわいい子であった。ところが、家族が面会にやってくると途端に無口になるのである。その家族も、両親だけでなくおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、よくわからないけど、いつも3〜4人いる。そして、次々とB子ちゃんに質問を浴びせたり、やさしく説教したりする。あれでは、B子ちゃん話す暇がない。
ま、それはいいのだが、ちょっとB子ちゃんが気の毒になるのは、食事の時間であった。
とにかく、うるさい。
「ちゃんと座って」「あっちのも食べなさい」「こっちのも食べなさい」「順番に食べなさい」「残さず食べなさい」
そして、B子ちゃんが途中で「もういらない」と箸を置こうものなら
ちゃんと食べないから、こんな病気になるのよ
である。 おいおい、ちょっとそれは違うだろう。B子ちゃんだって、好きで病気になったわけじゃない。まるで、病気になったのはB子ちゃんが悪いように聞こえる。それは、あんまりだ。
しかし、言ってる家族の方は悪気がない。B子ちゃんのために言ってるのである。
見ると、長男は苦手な野菜も一生懸命食べている(笑)。私は言った。
「無理しなくていいからね。おいしいのが一番だから。」


過干渉家族その2
M君は4年生。喘息で入退院を繰り返している常連さんである。
このM君ママ...いや、M君母ちゃんがとにかくスゴイのである。何がスゴイって、説教がである。 面会に来てから帰るまで、とにかくマシンガンのように説教をしている。声は大きく早口。言葉は乱暴。めったに笑わず、怒っているように聞こえる。部屋中に響き渡るので、こっちは気になってしかたがない。時々、静かになるがその時はたいてい女性週刊誌なんかを読んでいる。
説教の内容はと言えばM君の生活のすべてにわたっている。学校の勉強、友達、宿題、英語塾、食事、薬、睡眠、ゲーム、テレビ、etc...。「勉強は予習復習をしろ」「友達に嫌なことを言われたら言い返せ」「英語は聞いてわからなかったら質問しろ」「食べ物をこぼすんじゃない」、こんな感じ。
だいたい、1回の面会でテーマは1つか2つであるが、その分くどい。M君はというと、母ちゃんの言うことに納得できないこともあるのだろう。「だって、○○なんだもん」と反論を試みる。すると、「だってじゃない。だったら、△△すればいいだけの話だろ」と10倍くらいになって帰ってくる。
翌年、M君は5年生になっていた。
M君母ちゃんはあいかわらずであったが、M君は成長(?)していた。マシンガン説教の間、もう母ちゃんの顔は見ていない。 そして、しばらく我慢した後、叫んだ。
わかったよ。もういいよ。だまっててよ。早く帰ってよ。もう来なくていいよ。
そして、布団をかぶってしまった。ところが、この叫びも母ちゃんには届かない。「せっかく来てやってるのに、親にむかってそんなこと言っていいのか!」と、さらに説教は続く。
あ〜あである。


患者編

小児病棟の患者といえば子供達。「子供」と一口に言っても、年齢層によって全然違う。もちろん、性格の個人差というのもあるのだが、同じ年齢層の子供が同じ反応を見せる現象もおもしろい。いや、実際には笑っていられないのだが...。


乳児(ネンネ時代の赤ちゃん)
産まれて間もない赤ちゃんが入院している事自体、痛ましいのであるが、本人はよく分かっていないというのが救いでもある。弱い弱い赤ちゃんなので、付添いはなく、たいていナースステーションの隣の隔離室に入れられている。月齢や病状によっては、個室や相部屋にいるが、このくらいだとお腹がすいた時くらいしか泣かないので、こちらも目にする機会は少ない。時々、看護婦さんAがミルクをあげたあと、看護婦さんBがミルクをあげていて、「もう飲ませたわよぉ〜!」と叫ぶ声が聞こえる。
この時期は、本人よりもお母さんがつらいだろうと思う。なんといっても「一心同体」なのだから。

小さい幼児(人見知り時代から2才位まで)
何もわかっていなかった赤ちゃん時代と違って、「ママこそ命」のこの時期は大変である。したがって、この病院では24時間の付き添いを要求される。母親さえそばにいれば、家だろうが病院だろうがあまり関係ないのだろう。子供は比較的おとなしい。しかし、母親にもさすがに24時間とはいかない事情が出てくる。母親がやむをえずいなくなると言葉がよく話せない子供は、ただひたすら「ママ〜ママ〜」と泣き叫ぶ。それこそ、疲れて眠るまで叫んでいる。
聞いているこっちが切なくなってしまう声である。

ちょっと大きい幼児(4才位まで)
入院患者の半分はこの年齢の子供達である。
かなりいろんなことがわかるようになっているが、コントロールはまだできないこの時期。トイレも食事も一人では無理なので、やはり24時間付添いを要求される。目が離せないので、家族は付添いのやりくりに苦心することになる。子供は、好奇心旺盛で動きたい、遊びたい。それなのに、点滴につながれて狭いサークルベッドの中にいるのだから、欲求不満となりわがままとなり騒がしくなる。家にあるお気に入りのおもちゃに加え、入院ご褒美(?)の新しいおもちゃが加わり、ベッドの中も回りもおもちゃだらけ。
他には、紙、クレヨン、のり、ハサミ...そう、ハサミ! これには気をつけた方がよい。点滴のチューブをチョッキンしてしまった子供がいた。

大きい幼児(1年生位まで)
5才を過ぎると、看護婦さんのいうこともわかり、食事もトイレも自分でできるようになるので、もう付添いはない。同室の子供同士仲良くなり、山のようなおもちゃがなくても工夫して遊べるようになる。家族と離れて病院にいることにもすぐに慣れ、つらいながらもけなげに我慢できるようにもなる。
しかし、面会終了時間...これはいけない。泣かずには見送れない。私も、長男に何度泣かれたことか。 逆に言えば、この年齢でケロッと家族を見送れる子供の方が、問題があるのだろう。 それでも、入院生活に慣れてくるとあきらめもついて、泣かずに我慢もできるようになるのであるが、やはり親にとっても子にとってもつらい瞬間であることに違いはない。
喘息で常連の2年生の女の子 がいた。彼女は、帰る家族を笑顔で見送る。しかし、その後カーテンを閉め一人すすり泣くのである。親は、あの子のそんな姿は知らないのだろうなぁ。

学童(低中学年)
かなり落ち着いて入院生活を送れるようになる。が、やはり家族の面会を楽しみししているのがありありである。ポツポツと他の子に面会が来はじめると、おとなしくなってしまう。中には、他の子の親になついてしまう子もいるが、それは性格によるのだろう。

学童(高学年〜中学生)
端から見ていると、何を考えているのか既にわからない。


付添い編

子供の突然の入院。たいていの場合、予定外である。24時間の付添いや面会に来るのも一仕事。それぞれの家庭の事情でみんな苦労している。


下の子が産まれたばかりなのに...
ある日、長介の隣りのベッドに感染症の男の子が入院してきた。感染症って、つまり風邪をこじらせたということである。入院も初めてで、付添ってるお母さんも不安そう。で、ちょっと声をかけてみると、なんと産後1ヶ月なんだそうである。 赤ちゃんはどうしているのかと聞くと、車で30分くらいのところに実家があるので、預けているという。しかも、面会に来ている間だけじゃなく、ずっと預けっぱなしらしい。入院してきたお兄ちゃんは、発熱、下痢、嘔吐でかなり具合が悪そう。お母さんの身体も心もまだまだ不安定な時期なのに大変だ。
「赤ちゃんと離ればなれじゃ、お母さんの方が寂しいね」
というと、
「そうなんです」
と、悲しそうな顔をされた。なんだか、おじいちゃんおばあちゃんに赤ちゃんを取られたような雰囲気だ。
ま、いろいろあってしかたがないんだろうけれど、もう少しお母さんの気持ちを思いやって、少しは赤ちゃんの世話ができるようにしてあげればいいのにな...と思ったのであった。大きなお世話なんだけど...。

旅行中なのに...
ひどい下痢で入院してきた男の子。自宅は新幹線で3時間もかかる遠方で、結婚式か何かで上京してきている時に具合が悪くなったらしい。お母さんも困り切っている。早く自宅の近くの病院に転院させたいが医者は動かさない方がいいとか言っている。お母さんは仕事もあるらしい。
結局、帰るに帰れず、4〜5日こちらに滞在していたらしい。流動食が食べられるようになって、退院というか転院していった。

つづく


メール歓迎! 天間まで お気軽にどうぞ!