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投稿時間:2007/07/11(Wed) 23:45
投稿者名:naoto
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神経症を治す方法
神経症は精神異常では無いが、症状に囚われて忌み嫌い気にして、改善の努力に日夜取組み心の休まる事の無い病気でしょう、辛いですね。精神の何処にも異常は無いが、日々を明るく生きれない、生き甲斐の無い暗い日が続きます。

治癒はそんなに難しくは無い、簡単な事だ。
症状を持ったまま、治らないままに、幸せになれば良いのです。
症状が治らないままに、幸せに生きれる方法を見つければ良いのです
症状を治して幸せになるには、日々に症状を治す努力が必要で苦しい
症状が治るまで、悩み多い不幸な苦しい長い日々になります。
自分で自分を治すは論理的にも学問的にも無理であり一生成功しない

いったい何をどう治すか?
神経症の治癒は症状の改善の努力の成功では有りません、症状に囚われて改善の思考を含め、症状への思考の止まらない病気です。この長い改善の思考の時間が苦しくて辛いのです。
だから治癒は症状の改善では無くて、この囚われて思考の止まらない事を治さないといけないのです。症状を治す変えるを止めて「あるがまま」に生きると、症状えの囚われからの解脱が起こってきます。

そしたら何が起こるか?
悩みが無くなって来ると同時に、自分の犯していた病気の正体を知るのです。いつも症状に囚われて思考を続けて、自分を苦悩に導いていた、自己の行ってきた病根に気付きます。
症状に囚われて改善の思考に走る時間が一番長く、症状故に辛い現場は一瞬でしか無い事に気付きます。二度と元の間違った囚われの行い、治す変える努力の日々には帰りたくなくなります。

そしてどうなるか?
症状へ対応する時間がまったく無くなり、症状が自分の人生を邪魔しなくなります。症状による精神的苦しみはまったく無くなって、明るく元気に生きれる様になります。
自己を苦しみに追い込んだ原因と、それを無くする道を、十分に理解しているので二度と間違った道に入り込む事は有りません。以後元気に幸せに生きて行けるでしょう。

投稿時間:2007/07/11(Wed) 23:47
投稿者名:sakura
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Re: 神経症を治す方法
その通りですね。神経症は治ることはないものです。ただその一時的なものにとらわれて、延々と考え、時間をついやして、また神経症がでるとまた更に思い悩んでという繰り返しにおちいるよりも、神経症は一時的なものとたらえていつものことだと割りきって、生活していく。神経症がでない人に比べると損な厳しい人生を感じるのも確かだけど、割り切るということが、神経症もちの方は大事ですね。

投稿時間:2007/07/11(Wed) 23:48
投稿者名:naoto
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Re^2: 神経症を治す方法
こんにちわ。
>神経症は治ることはないものです。
そんな事は無いですね、神経症の病気は根こそぎに治るものです。
その結果は、毎日「幸せ!」と叫ぶ事が多くなり、自分が世界で一番幸せ者との自信が出来てきます。

>神経症は一時的なものとたらえていつものことだと割りきって、生活していく。
上手く行かない対人も、汚い不潔も誰も好きな人はいない、辛いのは確かでしょう。これを現場だけで終わらせれば一時的で終わるでしょう。
一番問題で病気なのは、現場が失敗に終わった後に、思考、改善の努力が始まって多くの時間とエネルギーを使う事です。
そして家に帰ってもまだ改善の思考、努力は続くのです。
又現場に際しても思考工夫計画をして時間とエネルギーを使います。
こういった異常な多くの時間とエネルギーを使うので、生活、仕事は上手く行かず、暗く辛い人生になります。
神経症が5年10年20年と続く現実を見ても明らかな様に間違った努力です。
一時的なものとして絶えて、後は相手にしない治さない考えないで、次の事に進んで意欲的に人生を生きれば神経症など飛んで無くなります。
勇気を出して、治さないで相手にしないで「あるがまま」に生きた時に素晴らしい結果が得れるでしょう。

>神経症がでない人に比べると損な厳しい人生を感じるのも確かだ
そんな事は無いですね、治癒すれば自己えの思考は無くなり、現実の事に100%力を出して生きれます。
普通の人に比べて迷いは少なく、意欲のかたまりになって生きるので、多くの成功が有り幸せが得れます。

>割り切るということが、神経症もちの方は大事ですね。
治癒すれば神経症は無くなります。自己えの囚われの思考がいっさい無くなりますので、現実の諸問題に100%力を出して、意欲的に取組めて、多くの成功と自己満足と幸せが手に入る事になるでしょう。

投稿時間:2007/07/12(Thu) 22:36
投稿者名:sakura
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Re^3: 神経症を治す方法
私もまだ神経症克服について自問自答してるところなのです。なので、またnaotoさんのレス参考にしたいと思います。
ところで、仕事場の人、近所の人、付き合いで接しなくてはいけない相手。評価をきにするので、悪く言われてしまってるとものすごく落ち込みます。そんな自分が嫌でまた更に深みにはまるような気がします。知り合いがいそうなお店もさけるし、またさけてしまった自分が嫌になり、人と付き合うのがもともと嫌なのかもしれないとおもえてきます。
人間関係は難しいですが、私の場合は、必要以上にかまえてしまったり、あとで嫌な気持ちになったり、人とせっしている時の自分が嫌いなんです。人と仲良くしていきたいのに、できない場合はどうしたら?また仕事だとたとえ嫌いな相手でも仕事はしないといけないわけで、私の場合は、そういう相手に調子をとろうとしている自分がまたすごく嫌で、最後には険悪になってしまいそうです。正直こんな感じなので、嫌いな相手が仕事場で身近にできてしまうと、神経症が悪化していく一方で、神経症を治す方法はこういった場合どうすればいいでしょうか。
内容にまとまりがなくてごめんなさい。

投稿時間:2007/07/12(Thu) 22:37
投稿者名:naoto
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Re^4: 神経症を治す方法
こんにちわ。取り急ぎお答えします。
>人と仲良くしていきたいのに、できない場合はどうしたら?
端的にお答えすれば。仲良くしたいなら頑張ってそうすれば良いのです。しかしそれが失敗に終わっても、後悔、改善等の思考をしない事ですね。
そしたらそれは現場だけで終わる苦しみですが、後悔、改善の思考を始めるなら、多くの無限大の時間の苦悩が始まり人生を破壊します。
現場は必死なので少し格好悪いが苦悩にはなりません。
放置して忘れて次に向かって行きましょう、相手にしないなら悩みません。
そしてもう一つ、現場の前、一人の時も後悔、改善の思考をしない事です。そしたら苦悩が無いので自然に明るく元気になって、上手く行く様になります。
そのことは上に十分に書いています、もう一度読んでみて下さい。

基本的に貴方の書き込みを読んだ時に、対人関係の思考で埋まっております。毎日多くの時間をこんな事を考えて過ごしているでしょう。
やはりこれは自分の事ばかり考えて子供じみています、多くの時間がそれに使われているが、責任ある大人なら、社会貢献に、家族の幸せに、子供の養育に、老人の世話に多くの思考は使われないといけないのでしょう。
自己改善ばかりに走る自分の思考形態は病気であり戒めないといけないでよう。

>嫌いな相手が仕事場で身近にできてしまうと、神経症が悪化していく一方で、神経症を治す方法はこういった場合どうすればいいでしょうか。
嫌いな者は嫌でしょう、耐えてしっかり仕事するべきですね。
わがまま言わずに、しっかり働いて社会貢献をしましょう。

投稿時間:2007/07/12(Thu) 22:38
投稿者名:sakura
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Re^5: 神経症を治す方法
子供じみていたんですね。こういう思考ばかりにとらわれないよう仕事を頑張ります。

投稿時間:2007/07/13(Fri) 23:45
投稿者名:yuc
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Re^3: 神経症を治す方法
>治さないで相手にしないで・・・
というところがどうも難しいところのように感じてしまいます。

投稿時間:2007/07/13(Fri) 23:47
投稿者名:naoto
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Re^4: 神経症を治す方法
こんにちわ。
>>治さないで相手にしないで・・・
>というところがどうも難しいところのように感じてしまいます。

治さないので、治すよりは簡単だと言えるんですが・・・・・しかし
神経症者にとっては、治す変へるが自己の願望の総てになっています
治さない相手にしないは、自己の願望を否定する事になり辛いですね
宇佐博士が以前に後援で
「神経症は治そうとする病気です森田療法では治さない稽古をします」
と言われていましたが
治さない稽古をして治さないが出来る様になったら治癒の完成です。
博士の後援では多くの時間、この事を言われています。
「全治は現実生活の姿そのもの」
「実生活上の難問に取り組む、即全治」
「実生活での努力そのものが全治」
「実生活での骨折りが全治にほかならない」
治す事を完全に止めたら実生活に取り組むしかする事は無いでしょう
そこの難問に取り組み骨折り努力をするのが全治だと言われています
治すと言う囚われから解脱して、治すのを止めて、実生活の成功に向け
頑張ってゆきましょう。

投稿時間:2007/07/13(Fri) 23:48
投稿者名:yuc
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Re^5: 神経症を治す方法
治すのを止めて、実生活へ取り組む,,機会を伺っていたら、なかなかチャンスは訪れないように思えます。
治そうとするのを止めないままに実生活へ取り組む、というスタンスはどうでしょうか?

投稿時間:2007/07/13(Fri) 23:49
投稿者名:naoto
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Re^6: 神経症を治す方法
こんにちわ
>治そうとするのを止めないままに実生活へ取り組む

治癒の為に「実生活に取り組む事」のでは、実生活の目的が違うでしょう。実生活に真面目に取り組むは、治す為では無くても人間なら皆しないといけないですね。
治す為でも実生活に真剣に取り組めば、治す事も少なくなります、良い事だが目的が違い長続きはしないでしょう。
実生活での成功を目指して、実生活えの努力を行えば、生き甲斐もあり長続きするでしょう。これには治す思考努力は邪魔でしか無いですね

宇佐博士の言われる通り、「治そうとする病気」なので治す事を止める以外に治癒は無い様に思います。治そうとする囚われが無くなる事が治癒に結び付くでしょう。
神経症者が治す事を止めたら、多くの時間が空いてきます、その空いた時間を娯楽に走らず実生活に真剣に取り組むのが良いのですね
それは普通の人の中で、成功する部類の人と同じ行いになるでしょう。

投稿時間:2007/07/15(Sun) 10:07
投稿者名:mdy
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森田療法はコロンブスの卵
こう言われたのは樋口先生です。それではなぜコロンブスの卵なのか、先生の書かれたものから引用しますね。
 治さない療法

 森田療法という名称については、森田先生の御存命中は誰も「森田療法」とはいわなかったそうである。「森田療法と呼ばれるようになったのは、戦後のことで、誰がいうともなく、そこに落ち着いたのではないかと思われる。
 「森田療法」の別名としては、いろいろなものがある。それらを列挙してみよう。先生御自身では、「余の特殊療法」または「余の説得療法」と言っておられ、門下生たちは「森田氏神経質療法」と呼んでいたそうである。その他、臥褥療法、隔離療法、作業療法、家庭的療法、恐怖破壊法、体験(得)療法、自然療法、家庭的訓練療法、神経質家庭訓練療法、森田法による自覚療法などがある。
 ところで、精神分析療法をフロイト療法と言わないし、ロゴテラピーをフランクル療法とはいわないのに、なぜ森田療法だけに人の名を付けるのだと、ある人に言われたことがある。こんな時には、「自然発生的に、いつの間にか、森田療法という名称になったのだから仕方がないだろう」と答えることにしている。
 また、「あるがまま療法」という名を付けるのがよかろうという御意見もあった。さらに、「注意集中・交互作用理論療法」と名称を変えるのがよいというアドバイスをいただいたこともある。いずれも一理あるものばかりであるが、私は「治さない療法」というのが本質をついているのではないかと思っている。これについて理屈を言えば、治さなければ治療法ではないと反論されるかも知れないが、その意味をよく説明すれば理解されよう。
 いずれにしても、われわれは、森田療法は治さないのだということ、それが本法の本質であることを忘れてはならないのである。

 森田療法で治るとはどういうことか

 一般に、精神療法(心理療法)の目標(治癒像)としては、次の三つが挙げられている。
 (一)症状の改善、(二)適応性の回復(対人関係、日常生活、生きる姿勢の三つの面において)、(三)原因についての自己洞察(何が原因で病気になったのかを知ること)である。
 しかし、森田療法による治癒像は、(二)(三)はこれでよいとしても(一)が違うことがお分かりになろう。結果的には症状が改善されるけれども、当初から症状の改善を問題にはしていないのである。
 森田療法における治癒像については、いろいろな議論があるが、その本質をつかまなくては、本法を真に理解したことにはならない。一般に、苦しみや悩みや不安が消失することが治った状態だと思われがちであるが、森田療法における治った状態とは、まったくこのような考えと反対の立場をとっているのである。
 恩師の古閑義之教授は、これに関して、「治るとは、悩み自体が解消し、消滅することではない。そのことは、神経質の症状が病的異常のものではないという立場にある森田学説から遡って考えるなら当然のことである。そして、自分だけで病的・異常だときめつけていたのも、自分の欲望の強いためと知って、その強烈な欲望の達成に向かって新たに突進を開始してゆく、その欲望の達成には毎日の努力の蓄積以外に手はないことを知って、その努力に向かってすすんでいくことが、森田療法でいう治った状態である」と述べている。
 なお、治癒像については、その理解を誤ると治療技術そのものにも影響し、いわゆる治りそこないの患者をつくってしまうことになるので注意が肝要である。たとえば、対人恐怖の患者はずうずうしく恥知らずになり、不潔恐怖の患者はかえって不潔になるようなものである。
 また、特徴的なことは、治れば、それまで、ものごとにあたって粗調整しかできなかった患者があまねく微調整がきくようになることである。治るまでは一見微調整がききすぎて困っているように見えるけれども、それは自己中心的にかたよっているから、そのように見えるだけであって、治れば、あらゆる面において気働きのできる人間に成長し、微調整と粗調整を適宜適切に使い分けることができるようになるのである。
 さらに、治るとは、一言でいえば、とらわれからの解放で、心が自由に動くようになることである。神経質で悩んでいる間は、程度の差はあるが、症状へのとらわれから心が動かなくなっているのである。本当に治った人の心境は、禅語「心は万境に従って転ず、転ずる処実に能く幽なり、流れに従って性を認得すれば、喜びも無く亦憂いも無し」のような境地に達することができるのである。

投稿時間:2007/07/15(Sun) 10:08
投稿者名:naoto
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Re: 森田療法はコロンブスの卵
こんにちわ。
私は遠い昔に神経症の本を読む必要は無くなり、何十年もほとんど読んでいません。症状の苦しい昔の10年間は、何十冊も必死で読みました、今はまったく読みません。樋口先生はまったく知りませんが、言われている事は心底納得できます。

>コロンブスの卵
治癒は症状の改善だと皆思い努力、勉強しているが、治癒の状態はまったく違い、症状えの思考(囚われ)が無くなってしまう事ですね。
思考が無いなら「悩む」は無理であり、出来ないですね。
そしたら明るく元気になるしか無いのです。治す努力は病気と一体であり、治す努力が無くなったら病気も無くなります。
>一般に、苦しみや悩みや不安が消失することが治った状態だと思われがちであるが、森田療法における治った状態とは、まったくこのような考えと反対の立場をとっているのである。

>治さない療法
治す努力が無くなったら治癒するので、治さない療法はまったく正しく、それを実行すれば即、治癒するでしょう。

>治るとはどういうことか
精神的な事で邪魔されるものは何も無くなって、自分の力を100%発揮して生きれる事でしょう。100%力を発揮して生きれば、失敗も成功も有るが、生き甲斐の有る満足な人生になります。
>治るとは、一言でいえば、とらわれからの解放で、心が自由に動くようになることである。神経質で悩んでいる間は、程度の差はあるが、症状へのとらわれから心が動かなくなっているのである。