投稿時間:2007/07/24(Tue) 18:26 投稿者名:斎藤
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タイトル:治す努力
怪しい療法では努力を求める場合が多い。 森田療法では社会と他者に献身すれば神経症が治ると説いているし、 キザ氏のホームページでも一生懸命仕事をすれば神経症が治ると言っている。 これは間違いであるのは今神経症をやっている人でも分かるでしょう。 この伝で行くと統合失調症も鬱病もいわゆる心の病といわれているものが全て努力で治る事になってしまう。医学以前の話でお話にならない。
今日は禅の講義を更新しましたが、神経症の治りとは一体何なのであるかは禅の話を聞くとはたと気が付く。 その昔の中国でも上に述べた間違いがあった。禅の悟りを得るためには日夜努力をしなければならないと説くものと、いやそれは間違いである、悟りとは身心脱落であるから何故努力をしなければならないのかと反論した者がいたの例え話だ。
実は神経症が治ると最早努力が必要で無い。 だから掲示板で努力だ、我慢だ、甘えだと言う言葉を聞くと我々神経症が治ったものは不愉快な思いをする。 貴方の周りで誰が毎日努力、努力と叫んで生きている人がいるであろうか。皆穏やかな笑顔をしながらただ日常の雑務をこなしている。いささかも突っ張った不自然さが無い。 健康世界とは楽しい世界であり、無理なツッパリは肩から抜け落ちている。 それでいながら自然と努力をしているから、人に信頼され家庭円満になり、仕事で昇進する。毎日は生きる幸せいっぱいであり、神経症者のような眉間に筋を立てたような怖い顔は消滅している。 健康世界での基本はあくまでも目の前の一歩であり、その一歩が踏み出せない諸君では30年の年月は泡沫の如くである。
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