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投稿時間:2007/08/11(Sat) 23:52
投稿者名:Poolo
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苦痛を忍従すること
「神経症の治ると治らないとの境は、苦痛を無くしよう、逃れようとする間は十年でも二十年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ、しかたがないと知り分け、往生した時にはその日から治るのである。すなわち『逃げようとする』か『ふみとどまるか』が、治ると治らぬ戸の境である。」

 不快な感情に耐えるとか流す、ということが苦手な私には、これまでの苦しみの原因がこのことばに表されていると思いました。苦痛には耐えているつもりでも、どこかで仕方がないと割り切れていないのか、無意識のうちに結果として自傷行為めいた事をしています。後になってそういう自分に驚きます。今は療養しているので、自分で何とか我慢しそういう習慣を絶っていますが、実際世間に出ると又同じことをしてしまうのではないか、心配です。家の中では家族とのちょっとしたすれ違いで雰囲気が悪くなります。仕事が決まれば、一人暮らしも考えますが、これも逃げなのかと思うことがあります。苦痛に押しつぶされているような気がします。
 

投稿時間:2007/08/11(Sat) 23:52
投稿者名:naoto
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Re: 苦痛を忍従すること
こんにちわ。
>神経症の治ると治らないとの境は、苦痛を無くしよう、逃れようとする間は十年でも二十年でも決して治らぬ
そう治そうとする病気は、治す努力をしている間は治らない。
治して苦痛を無くしようと多くの思考、努力が続き、時間を浪費して、人生が上手く行かず
落伍者になってしまう。

>苦痛はこれをどうする事もできぬ、しかたがないと知り分け、往生した時にはその日から治るのである。
どうする事もできぬと往生したら、治さなくなる、治さなくなったら治そうとする病気は治癒する。
治す思考も努力も無くなると、自己を相手にする事が無いので悩みは発生しない、辛くない
そして治すに使っていた多くの時間は、現実生活へ向けられ、治すと同じ努力を傾けると
多くの成功も有り生き甲斐の有る人生となるだろう。そしたら幸せになるしか手が無い。

>すなわち『逃げようとする』か『ふみとどまるか』が、治ると治らぬ戸の境である。」
少し違う、治す努力を続けるか、それを止めるかが、治ると治らぬ戸の境であろう
治すのを止めてしまえば治癒が有るが、治す努力をしていたら永遠に治癒は無い
治癒すれば幸せがいっぱい待っているだろう。

自己を治し変えて、より良い生活をしようと思考、努力して、多くの時間が使われる
この長い多くの時間が苦しみになり悩みになり辛い病気の日々となるのです。
自己を治す変えるが止まった時には
自己えの思考が無くなり、悩む時間が無くなる、そしたら明るく楽しくなるしか無い
意欲に満ちて来る、頑張れば素晴らしい人生が待っているだろう。
楽しい幸せな人生になったら、自傷行為など馬鹿馬鹿しくてやっておれないだろう。