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投稿時間:2007/09/10(Mon) 21:55
投稿者名:ウルトラマン
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雑用は自分のため
前回、神経症を治すとは、人のために模範的な活動をすることではないと書いた。
そのことについて、もう少し書いてみる。
無為療法では、今、目の前にある雑用の処理を勧める。
その雑用は、決して、家族のためではなく、人のためでもなく、自分自身のためにやるのである。
そして、自分自身の身の回りの雑用から始めるべきである。
何故なら、自分自身のことさえ出来ない神経症者ほど、人のためとか家族のためとか言うからだ。
自分のことさえ出来ない神経症者が、何を言っているのかと思う。
野球のイチローでさえ、「自分の仕事をするだけだ」と言い、「チームのためにする」とは言わない。
自分の仕事をキッチリやることが、結果としてチームのためになることを知っているからだ。
キザ氏なども、親孝行をしろなどと言う。しかし、自分のことさえ出来ない神経症者に何が親孝行だと思う。
先ずは、自分自身のことが出来ることである。自分の身の回りのことをキッチリとやっている姿を見て、親は安心するのだ。自分自身のことをキッチリすることが、最大の親孝行なのである。
そして、自分のために雑用を続けていると、だんだん自分のためと、家族のため人のためとの境がなくなってくる。そうなると、自分が意識しなくとも、家族のため人のためにしているのだ。自分では意識していないため、その活動は自然であり、相手に恩を着せることも無く、却って、人から信頼され頼りにされるのである。
それに比べ神経症者は、意識的に家族のため、人のためにやろうとするから、恩着せがましくなり、人から嫌われるのである。
雑用は、自分のために、自分の身の回りのものから始めるべきである。

投稿時間:2007/09/10(Mon) 21:56
投稿者名:キザ
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Re: 雑用は自分のため
>キザ氏なども、親孝行をしろなどと言う。しかし、自分のことさえ出来ない神経症者に何が親孝行だと思う。
親孝行に懸命に取組んでも、親がしてくれた事の万分の一も返せないだろう。
出来なくても感謝の気持ちと自分がいつか面倒を見る気力と意欲と努力がいるだろう。
その気の無いのは恩知らずの放蕩息子でバチが当たるだろう。

>自分が意識しなくとも、家族のため人のためにしているのだ。自分では意識していないため、その活動は自然であり、相手に恩を着せることも無く、却って、人から信頼され頼りにされるのである。
まったく甘いな、金が無くては老人の面倒は見れ無い、妻子を養育するにはいっぱい金が要る。
外に出て荒波の中で必死に働いてこそ、必要なお金は得れるだろう、歯を食い縛ってやるしかない。
それで初めて家族を路頭に迷わさず、成長に必要な食べ物を子供に与えれる、妻も飢えさせないだろう。
そういった自己や治す事に囚われの無い生活から治癒が自然にやって来るだろう。
それを家で朝から晩まで雑用をして、自分の神経症を治す努力に明け暮れて、悪化は有っても治癒は無い。
はた迷惑この上も無いだろう。まったく囚われの病気を生きている。
そんな事をせよと指導をする人は社会に対する犯罪だろう、何も解ってないし病気の最中だ
一人前の大人を働かさず独りよがりの生活に振り向ける指導は許されないだろう。