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投稿時間:2007/10/10(Wed) 02:07
投稿者名:斎藤
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感謝に違和感を覚える
無為療法で神経症が治った世界とは表現が難しいが、空腹に餓えていて甘いものが夢にまで現れる時に、斎藤がこれを食べれば癒されると提供されたものを食べて、それが何の味もしなかったのような経験としたら良いであろう。その時に恋焦がれていたものを実現してくれてありがとうと地べたに這いつくばって感謝するであろうか。「うむ、なぬ!!」とミョウチキリンな顔をしてしばらく言葉に窮するのが自然だと思う。

キザ氏のホームページに行くとこの手の感謝の手記が掲載されていて私は鳥肌が立つ思いをする。私にも多くは無いが以前は時々あった。そしてその後を見るとその人達はやはり神経症が治ってなかった。無為療法は究極の幸せを与えるが貴方が要求している喫緊の願望には冷たいのだ。

無為療法で成功している人の書き込みを集約すると、悪夢の過去を恥じ、自分の狂いの過去を認め、感謝をしている時間を惜しんで今すぐ溜まった雑用を処理しようの態度だ。感謝をしている場合ではないのである

投稿時間:2007/10/10(Wed) 02:09
投稿者名:キザ
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神経症の治癒とは何だろう。
森田氏は「あるがまま」と言い、宇佐氏は「囚われからの解脱」と言う。鈴木氏は「今に生きる」と言う。
これは皆同じ事を言っている、自己を相手に治す変えると生きるのが神経症の病気だろう。
私はこの三人と考えはまったくいっしょである。治癒は囚われから解脱して、あるがままに
今を生きる事にあるだろう。そしたら素晴らしい人生の展開が始まるだろう。

斎藤氏は以前に森田療法で行う作業を、生活や仕事の勉強、指導の様な説明をしていたが
これはまったく間違った理解であり、森田の作業は生活、仕事の勉強、指導では無い。
森田で行う作業は、自己を治し変え様と思考努力を止めない人に、強制的に止める方法です。
治癒は治し変える努力を止めて、あるがままに今を生きた時に囚われから解脱して出来るのです。

無為療法とかは、治し変える為に朝から晩まで「雑用」とかを行い、治癒の状態を保とうとしている。
治癒と言う事が囚われであり、そこから解脱して、あるがままに今を生きる時に幸せな人生が展開する。
無為療法では治癒に囚われて、治すために雑用とかをして生きると、囚われて病気を生きている。
家で雑用などで無くて、外で働いて家庭を持って社会的地位も得て思い切り生きれば良いだろう。
治す為に朝から晩まで雑用などして生きるなど異常者の異常な生活でしか無い。