各種の神経症ホームページへ意見の書き込み及び反論
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投稿日: 2007/05/05(Sat) 14:57
投稿者斎藤
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タイトルちょっと借用

>自己嫌悪で苦々しくすごしていた日々に比べたらとても気分よく前向きに楽しく過ごせるようになって来ました。自分のダメな言動を考えなくてもいいというのはとても毎日を元気に過ごせて意欲が出るものですね。何かあっても考えず前向きにしていればいいんだと思うと、今までとてもできないと思っていたことも挑戦してもいいんじゃないかと思えたりします。

上はあるホームページで対人恐怖全治と称する人が書いた手記です。何やら生活発見会のような印象を受けるが、無為療法ではこの手の書き込みは最初から削除されるかボロクソにこき下ろされるから誰も書き込まない。

「気分よく前向きに楽しく過ごせるようになって」
これがおかしい。神経症の治りとは何だか風邪が治るような雰囲気が感じられるがそうでは無い。神経症は体の病気とは違い脳の狂いからの脱出であるから、治りは一瞬でありその瞬間を意識できない。意識するとそれが更に強迫観念を呼び込んで神経症を悪化させるから、結果を判定せずただ雑用をするのが正しい。ここで「私は淡々と雑用をするようにしています」の表現が聞こえてきそうであるが、淡々にと自分に言うその姿が強迫観念症の姿であり、顔は青く目はうつろである。

「何かあっても考えず前向きにしていればいいんだと」
前向きにしていればよいのだとつぶやくその姿が神経症の姿であり、全然治っていない。神経症が治ると前向きのような心理表現を嫌うようになる。

「今までとてもできないと思っていたことも挑戦してもいいんじゃないか」
恐怖に挑戦することが神経症の治しを困難にしている。我々の脳は生来恐怖に対して無防備であり、激しい恐怖の連鎖反応が起きてしまう。だから斎藤でも自信の無い挑戦は敢えて避けて脳を安定させようと思っている。大体神経症者の人生は挑戦の連続であり、恐らく死ぬまで止まらないであろう。

以上により、上の手記は対人恐怖真っ盛りの人の手記で、無為療法をよく読んでいる人は察しがつくと思う。


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