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投稿日: 2007/05/05(Sat) 14:58
投稿者直人
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タイトルRe: ちょっと借用

こっまた人だ(ゆうさんの治癒後の言葉に異論を言っている)
>「気分よく前向きに楽しく過ごせるようになって」これがおかしい。神経症の治りとは何だか風邪が治るような雰囲気が感じられるがそうでは無い。神経症は体の病気とは違い脳の狂いからの脱出であるから、治りは一瞬でありその瞬間を意識できない。意識するとそれが更に強迫観念を呼び込んで神経症を悪化させるから、結果を判定せずただ雑用をするのが正しい。

「神経症は脳の狂い」こんな異常な断定をして人を導くのは犯罪にも近い異常な行動だろう。
脳の狂いだと言って雑用三昧に人生を生きていたら正常な人生にはならないだろう。
学校は勉強は生活は仕事は全部放り投げて、雑用などしていたら落伍者であり家族は泣くだろう。
治癒とは動き回る異常者になる事では無くて「気分よく前向きに楽しく過ごせる」様になる事だろう。
まったく異常な生活をして、悩める人を異常の世界に引っ張り込む、許されない指導をしている。
昔は「治すのを止める」等のかなり良い事を言ってたが、雑用を言だすと同時に異常人間なった。
治癒とは雑用などして治そうとするのでは無くて、治すを止めて「自分のダメな言動を考えなく」なり
明るくなって「元気に過ごせて意欲が出る」日々を過せる様になる事だろう。
病気が治癒して、普通の皆と何も変わらない心で、皆と同じ様に生きれるのが治癒でしょう。

>「何かあっても考えず前向きにしていればいいんだと」前向きにしていればよいのだとつぶやくその姿が神経症の姿であり、全然治っていない。神経症が治ると前向きのような心理表現を嫌うようになる。

結果的に前向きに生きれていれば良いのです、それが出来るのが治癒の人であり、普通の人です
それをせず「脳の狂い」の対策に「雑用」ばかりして時間をつぶす生き方は、まさに異常者だろう。
迷える人にそれをせよと指導するのは犯罪に近いだろう。

>「今までとてもできないと思っていたことも挑戦してもいいんじゃないか」恐怖に挑戦することが神経症の治しを困難にしている。我々の脳は生来恐怖に対して無防備であり、激しい恐怖の連鎖反応が起きてしまう。だから斎藤でも自信の無い挑戦は敢えて避けて脳を安定させようと思っている。大体神経症者の人生は挑戦の連続であり、恐らく死ぬまで止まらないであろう。

生活を維持して人生をより良く生きるには、現実の諸問題に「挑戦」も大いに必要だろう。
してはいけないのは、神経症の治癒えの挑戦だろう、これをやれば永遠の無限地獄になるだろう
神経症を治したり、正常を維持するのに「雑用」ばかりして生きていたら、異常な廃人の人生だろう
若いなら大いに現実問題に挑戦して努力して生きるが、生き甲斐の有る正常な生き方だ
それを雑用ばかりして日々暮らすなど、異常人間のする事だ、まったく治癒とはかけ離れている
そんな異常な生き方をして人生を棒に振れと指導する人間は犯罪だろう。

>以上により、上の手記は対人恐怖真っ盛りの人の手記で、無為療法をよく読んでいる人は察しがつくと思う。

彼女は対人恐怖えの囚われから外れて、自分を治す変える努力や思考を完全に放棄してしまい
目の前の現実問題に意欲的に取り組み、生き甲斐の有る明るい人生が展開しているだろう。
対人恐怖に囚われて「雑用」などの対応をして生きるは結局は囚われであり治す努力だろう。
これをする限り囚われの無間地獄であり異常者の病気の人生になるだろう。


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