投稿日 | : 2007/05/05(Sat) 15:00 |
投稿者 | : 斎藤 |
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タイトル | : 神経症に改善は無い |
神経症者に共通する表現は神経症の改善である。我々は改善を聞くとこの人は治ってないと判断する。神経症は脳の狂いであり体の故障と違う。体が故障して組織が次第に修復される場合は、改善で不思議はないが、脳は電気で動くコンピューターであるから改善しようが無い。狂った脳のスイッチがつくか離れるかで決まってしまい、つけば神経症であり、離れれば健康世界であり、その中間は存在しない。
もう1つ改善が良くないのは神経症者とは改善を求めて貴重な一生を投入する人達だからである。無為療法はその改善はもう止めようと立ち上がった療法だから、改善があるはずが無い。改善なんか無くても立ち上がり日常の雑用を開始していて何処に文句があるのであろうか。改善を評価すると途端にフラッシュバックが来るから我々は評価を避ける。先日斎藤が、基本を忘れて神経症全治宣言を書こうとしたその時に、10年ぶりの強烈なフラッシュバックに会い、1ヶ月ほどおかしな世界をさ迷った。
神経症者は改善を言ってはならない。そんな無駄を言う暇があるなら、その辺で青い顔して天井を眺めてないで立ち上がって家庭の雑用に参加したらどうかね。周りの人は貴方が動かないので迷惑している。
東京の空気は最近大変良い。あえて行楽に出かけなくても近くの公園で十分新緑を楽しめる。環境を維持することが如何に大事かはこれでも分る。もし可能なら東京湾を是非きれいにして、湾岸に散歩道を整備してもらいたい。オーストラリア、ニュージーランドに比べてウォーターフロントが甚だ寂しい。竹芝桟橋付近を見ても全部産業用地であり、海辺を楽しむ場所は破壊されてしまった。日本全国見てもあるのは漁港ばかりであり、ヨットハバーはほとんどない。もう少し人生の質を日本人は考えられないのであろうか。