投稿日 | : 2007/08/02(Thu) 01:13 |
投稿者 | : 斎藤 |
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タイトル | : 人のページから拝借 |
以下のような反省文がそのページに載っていた
私もそう思います。もう神経症(症状)は何をやっても治らないなと思ってます。治らないんなら薬を飲んで体壊して治そうとするのは土台間違いであったのです・・・。さっきまでずっと考えてたのですが、こう思ったんです。「一生症状を持って生きていく」を常に思って例え現場で激しく症状が辛くしんどくても、薬は症状を無くそうと努力しているに過ぎないですし「一生症状を持って生きる」と心底思い何とかその場は耐えて「精神的にしんどくても」職場では自分なりに一生懸命仕事をして、職場から出たらその日に起こったことは忘れる。でやっていけば良いのでしょうか?
「何をやっても治らないなと思ってます」
これは間違い。私は治っている。対人恐怖も異性恐怖も過去のこと。
「さっきまでずっと考えてたのですが、こう思ったんです」
これは妄想の中で飛び出てきた解決であり、この人は今状態が良くない。
「一生症状を持って生きると心底思い何とかその場は耐えて精神的にしんどくても職場では自分なりに一生懸命仕事をして、職場から出たらその日に起こったことは忘れるでやっていけば良いのでしょうか?」
これは駄目。今までこれを何十年やってきたのと言いたい。心がぐるぐる回りになっていて、10年後も同じことを考えているであろう。こんなアドバイスをする療法士もおかしい。
質問はしてはいけないの神経症を治す上でもっとも大切な原則をこの人は破っている。だから今日も質問明日も質問、人生は無駄に終わってしまう。