投稿日 | : 2007/11/11(Sun) 02:17 |
投稿者 | : 直人 |
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タイトル | : Re: 出来てこそ自信になる |
0. 対人における自信について
>自信というのは実際に行動がちゃんと出来るという状態が続いた時、自然に発生するもの。
成功を重ねれば自信につながなるだろうが、成功が少なく失敗が多いから問題だろう。
自己を治し変えると長い思考をして、治し変える努力をするから悩み苦しみの人生になる。
自己を治す変えるとの一攫千金のようなギャンブルで成功した人は過去にはいないだろう。
これの解決(治癒)には、自己を治し変えると自己えの囚われから離れるのが一番良いだろう。
>答えを出すための切磋琢磨は本人にとって最も充実した時間であり、人生の価値ある使い方
こんな時間は自己の欠点に囚われて神経を起している病気の時間だろう。現実は無視して
自己えの思考で過ぎて行く、現実えの感心は希薄となり現実の落伍者となるだろう。
自己の欠点は放置して、目の前の現実にしっかり取り組んでいる、多くの人たち(普通人)と
思考、感心、努力に大きな違いが出来てくるだろう。
多くの人たちと同じ様に自己の欠点は放置して、現実の生活、仕事を意欲的に生きて行けば
神経症も治癒して成功と生き甲斐のある、「稔ほど頭を垂れる稲穂」の人生になるだろう。
0 自分を好きになるには?
>解決に精力を傾けてがんばっている自分。そんな自分は神々しい。俗な言い方をすれば、カッコいい。
精力を傾けるのは、自己改善では無くて、目の前の現実だろう。
自己に欠点に囚われて、自己改善に明け暮れる日々は神経症の病気の人生だろう。
神々しいなどでは無く囚われの病気の日々だろう、現実の生活、仕事えの感心は失い
毎日自分のことばかり考える異常者のゴミの人生になるだろう。
>努力は後回しで目先の楽しさにウツツを抜かしている自分。これはカッコ悪い。知性も輝きもない。モテない。
生活、仕事に意欲的に取り組めば成功も多く、生き甲斐の有る楽しい人生になって来るのだが
自己に囚われて治す変えるとウツツを抜かす人生では、周りに感心は無く知性も輝きも無い
自己、自己と囚われた病気(神経症)の人生が続くだろう。
0 ぼちぼちがんばろう?
>そんな無気力じゃ千年かかるよ。取り組み方が甘いね。
取り組むのは、自己を治す変える事では無くて、目の前の現実をしっかり生きる事だろう
そしたら囚われから離れるので、自己について悩み苦しむ事は何も無くなってくる。
その後は治癒した人生を明るく楽しく意欲的に生きたらいいだけです。