投稿時間:22/02/14(Mon) 15:55 投稿者名:19才農家の娘
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タイトル:森田療法著書での治癒の例A
前)私事、その後ますます元気にて、日々感謝しつつ暮らしております。私はこの頃、心の底より泉のごとく湧き出づる喜びに浸っております。
私は近頃、先生のご教訓が皆真であって、何ともいわれぬ有難味のあることを、つくづく実感することができました。 私は自分本来の自然ということが、どんなに尊い真実のものであるかに、ようやく感づきました。 この自然のままに生きて行く時、誰しも皆、それぞれの長所は発揮されるものと思います。ある人は笑って、ある人は泣いて、小胆者も大胆者も、皆その「あるがまま」に生きていくことは、涙ぐましいほど尊いことではあるまいかなどと、思うようになりました。
私は今では取りつくろったり、見せかけたりすることは、一切よすことに努めております。 小胆者のままに、恥かしがりやのままに生きていくことに決めました。 前には、家のうちにのみ坐っていて、いろいろと自分の欲望に対して、その苦痛の大きなことを予想し、どうにも堪えられないと思って悲観していたものが、今はその当然の苦痛の海に飛び込むようになりました。そして苦痛を逃れようとし、否定しようとしていた昔に比べて、どんなにこれが易々楽々たるものであるか、ということを知りました。
そしてまた、それがいかに真実なる尊いものであるかを、つくづく感じます。これに反して、思想の矛盾によってこしらえたものが、いかに空虚な寂しい荒みきったものであるかも知りました。 私は今でも、悲しい時には悲しいながら、淋しい時には淋しいながら、その日その日のなすべきことをしております。そして小胆者になりきって仕事をします。 人は皆、私の小胆者の恥かしがりやを見ぬき、ありのままの私が人々の心に刻まれるでありましよう。
私もまた、自分が小胆者であると、真の自己を自覚します。そこにはもう、少しの見せかけや虚偽はありません。 私はこの頃、何となく真面目な気がして、何をするにもおろそかにで きないように感じ、本当の人間の心が魁ってきたような気がいたします。そして自由に働き、自由に生きております。私の前途には、希望の光明が輝いております。
振り返って見れば、何という大きな心の変化でありましょう。 苦痛の淵に足をかけては、憶病にも引っ込んで悲観し、これを逃れようとしてはますます苦しみ、喧嘩腰となり、勝とうとしてはますます弱く卑怯となり、人を羨み世を呪い、ひねくれた根性となって、ほとんど一生を台な しにしてしまうところを先生に救い出され、思いがけなくも、地獄の苦しみより天国の楽しみに、虚偽の生活より真実の人へと、お導き下された神様のような先生へ、私は改めて厚くお礼を申し上げます。(後略)
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