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一 括 講 読

投稿時間:20/01/08(Wed) 08:53
投稿者名:直人
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タイトル:私が伝えたい森田
神経症を含む心や精神の病気を、医学では薬で治療すると言う暴挙が行われている、医学では一時しのぎでしかない事を知っているが
患者は他に道はなくこの治療に治癒の願いを託している
この現状に、なんとかしないといけないと思い、発言する
森田博士の言う言葉の一つ一つが、心、精神の病気治療の言葉を言っており、この延長線に治癒(治る)ある
それを解説して伝えたい。

投稿時間:20/01/09(Thu) 09:18
投稿者名:自覚と悟りへの道 P37
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タイトル:Re: 私が伝えたい森田
水谷啓二氏
「昔の様に自己改造の努力や、自分の心をやりくりする事を、すっかり止めてしまっただけに 心のしこりがすっかり、なくなり自由でゆとりのある生活を楽しめる様になった。
又自己改造などくだらぬことにエネルギーを浪費する事が無くなったので、 それだけ多く毎日の仕事にエネルギーを注ぎ込める様になった。
学生時代の事を良く知っている私の友人は、君は学生時代に比べて、すっかり感じが変わったと言うが
自己改造の努力をすっかり捨ててしまった時、初めて自己改造が実現した、と言えるかも知れない」

投稿時間:20/01/09(Thu) 15:49
投稿者名:直人
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タイトル:Re^2: 私が伝えたい森田
医師でない一般の人らしい、仕事の現場での気づきを書いておられる
自己改造して治すとの発想がまったく無いので、有るのは現実のみとなっています、症状を治すのを止めたらこうなってしまう
こうなると自由でゆとりのある生活になります、幸せな生活になると言っても良いのではなろうか
その上に全ての治す努力(自己改造)がまったく無いので、エネルギーは目の前の現実、仕事に全部使えるので良い仕事が出来る事になる
治すべきものを持たないので、上手く行かないとかの悩み、苦悩は発生しなくなる、そうなると明るい元気な人間が出来上がってしまう。
自由でゆとりのある幸せな生活が出来て、悩み苦悩は無く、仕事がどんどん進んで行く人生が成立しています。
しかも過去の苦悩の世界から脱出する道を知り、何の恐れる事無く、悟りの人生を生きている、素晴らしい。

投稿時間:20/01/09(Thu) 16:29
投稿者名:直人
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タイトル:Re^3: 私が伝えたい森田
働いているものにとって、仕事の現場は長く人生の中心となる
行うことは人それぞれで、機械工作の人も会計処理も営業等もあるだろうが、自分の仕事を知識を生かして行う、治すこと(自己改造)を止めていたら、知識と作業が100%回転する、全て当たって砕けよと現実に挑戦して成功さす以外の気持ちは微塵もない
しかし仕事の現場は、人の活動の場だ、世間話もくだらない雑談も飛び出す、それには瞬間、瞬間にぶっつけ本番で起こる感情で対応して行く
自分を相手の前に放り出せば、後は臨機応変な処理をしている自分が居る
自分とは立派な物だといつも感心する、見事に臨機応変の処理をする自分が居る、捨てたものでは無い
困る事は何もなく、森田の著書の世界が、身をもって展開している事をしみじみと自覚します。

投稿時間:20/01/08(Wed) 08:56
投稿者名:生の欲望 P235
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タイトル:事件のをまっただ中に突入
私の人生にたいする態度は、自分のほんとうの心を欺かず、生活においても、また生死の間に立つ場合においても、自分の心の「あるがまま」の事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。
たとえば、交渉ごととか談判とかをする場合にも、前もって自分が言おうとすることを考え、順序立てておいても、実際にそのことに当たって見ると、先方の出方によってこちらの予定はすっかり崩れてしまうことが多い。
このような場合、ただ当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれるものである。それは武道でいえば捨て身の態度であり、背水の陣である。
ことさらに自分で勇気をつけたり、自信をもとうとあ せったりする必要はない。そのときに臨んで、はじめて勇気と自信が湧いて出るのである。
ほんとうの勇気というものは、理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられる ものでなければならない。それは、山に海に、社会人事に、あるいは白刃の下に、事実に当たって修養されたものでなければならない。

投稿時間:20/01/08(Wed) 08:57
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 事件のをまっただ中に突入
まさに「言い得て妙」であり、「言葉で言い表せない」素晴らしいことを言われている、現代にこんな事を知り教える人は皆無だろう、精神科医にいるとは思えない。
当然に白刃の下に修養された人はいないだろうが、社会人事でこれの修養は経験する人は多いだろう。
神経質症の病気でない、普通の人は理屈なしに自然に、これが実行され修養されて成長して行く、まさに「当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれる」との人間の本能を生きているに過ぎない。
神経質症の人はこれが判らず「理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられるものでもない」はずの事を真剣に行って失敗を繰り返している。

そこを突破するには「自分の心のあるがままの事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。」これが必要だろう。
これを自分で気づくのは難しい、本当に難しいが森田博士の様な人がいて指導いただくなら理解できる、本当に素晴らしい事だ。
これが人生を貫いた生き方になるのは「ほんとうの勇気と自信が生れる」からです、これは自分にとって宝物であり、安楽な道を知り、自信に満ちて生きれる様になる
普通の人は本能として実行しているが、心の病気を乗り越えた人は、原因と結果を知り、より迷いの無い人生となる。素晴らしい言葉だ。

投稿時間:20/01/08(Wed) 09:48
投稿者名:直人
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タイトル:Re^2: 事件のをまっただ中に突入
「当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれる」
この言葉は毎日使っている、話し合いには色々の立場、年齢、その他があり、皆の話に入るのは難しいが「事件のまっただ中に突入」と皆の中にスット入り、現状の話を聞いき始めると、可笑しかったり嫌に思ったりするが、その思いに反応して自分の心が動き言葉が生まれる、それをしゃべるの連続でグループの仲間として会話ができる
まさに「臨機応変の処置ができる」ですね、いつもこれのお世話になって若い人の仲間になって会社社長を務めている。

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