順序立てておいても、実際にそのことに当たって見ると、先方の出方によってこちらの予定はすっかり崩れてしまうことが多い。
このような場合、ただ当たって砕けるという態度で事件のまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれるものである。
それは武道でいえば捨て身の態度であり、背水の陣である。
ことさらに自分で勇気をつけたり、自信をもとうとあせったりする必要はない。
そのときに臨んで、はじめて勇気と自信が湧いて出るのである。
ほんとうの勇気というものは、理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられるものでもない。
それは、山に海に、社会人事に、あるいは白刃の下に、事実に当たって修養されたものでなければならない。
神経質の症状の治るには、背水の陣という事が最も必要な事です。
背水の陣というのは、兵法で敵前に、川を後にして陣をしいて、逃げる事のできないようにする事です。
退却する事ができないと確定すると、突進して血路を開くよりほかに方法が尽きてしまう。・・・これを必死必勝といいます。
「窮すれば通ず」といって、神経質の症状は、みなこの心境になりさえすれば必ず全治する事ができます。
過去に数回、休職、逃げ出すように転職を繰り返し
今6社目で働いています。
毎朝の強烈に仕事をしたくない想いに襲われて、
また毎日こんな状態で仕事を続けられるのか、
クビになるのではないかと怖くて仕方ないです。
もはや自分を信用できません。
ビジネス書を読んで(休職を繰り返す前から、能力底上げのために
毎日読んでいました)何とか乗り切っている状況です。
現在の会社でも去年2ヶ月休職し、部署も変わり、もう後はありません。
すいませんが、
ピロリン=斎藤の悟りの間違いを聞いているんです。
神経症の事聞いていないんです。
せっかくのAIですが、解答が的外れですっ。残念。
短時間で治る(即治る、その日から治る、インスタントに治る)解説
神経質症状の場合、苦痛をなくしよう、のがれようとする間は十年たっても二十年たってもけっして治りませんが、
苦痛はどうすることもできない、仕方がないと知り分け、往生したとき、その日から治るのであります。
すなわち、逃げようとするか、踏みとどまるかが治ると治らないとの境であります。(森田正馬博士)
神経質にひっかかるのは実はいつもその日、今の今成り立っているのです。ずっと続いてきたのではなくて、その瞬間に成り立っているのです
実際の目前のことに取り組んでいかれれば、そこに無文別の世界(治る、治らないを問題にしない心)がすぐに成り立つのですね、
ところが逆に自分の心の方にかかわりを持ちますと、早速そこで囚われが始まってしまうのです、
神経質は治るのもインスタントでありすが、なるのもインスタントなのです。(宇佐普一博士)
「悟り」についての森田博士の解説
迷い、疑いがあって、しかる後に、これを離脱したものが、「悟り」である。
「大疑ありて、大悟あり」というのはそれである。 迷いのないものには「悟り」はない。
神経症にかかる前は「ただの本能だけで、それは微妙ではあるが、ただそれきりで、動物や白痴と同様である。
それが一度「迷い」に囚われると、本能の働きまでも、全く自由を失うけれども
さらに悟りを聴けば、全ての本能が自由に働き、その働きが広大無辺になる。
「神経質の人が種々の症状に悩むのは、そのかぎりない欲望に向かって逼進するようになるための過渡期であり、ついには悟りに達すべき迷妄の時期である。
それは自分の苦悩のみを誇張して考えてこれに執着し、自分の本来の心を自覚することのできない時期である。
それがある機縁にふれることに より、ひとたび生の欲望を自覚して心機一転したとき、はじめて、そこに従来の苦悩が雲散霧消するのである。
そしてひとたび自覚を得たのちには、前の苦悩はまるで夢のように思われ、かつて苦悩を去らんがために百方手をつくしたことが
いかに馬鹿げたことであったかがわかり、百八十度の方向転換をして、ひたすらに向上心に駆られて勇猛心を起こし、苦痛困難を度外視して、努力奮闘するよう になるのである。
それと同時に、いよいよ精神修養に興味を起こし、人格的にも大成するようになる のである。」
Hppiさま、以下の引用は斎藤掲示板からです。素人目に見ても違う感じがします。真の解脱人から見た間違いをコテンパンにたたいていただけないでしょうか。
引用
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[投稿者: ピロリンc 投稿日:2020年 4月27日(月)10時17分28秒
感じるものすべてが自分
それは痛み 目に見える景色 聞こえてくる音 すべてが自分なのです
これは悟りの絶対条件ではありますが、あくまでも悟り業界のお話で現実では通用しません
神経症者が悟りについて語るのは治癒に目処が立ってからの方が良い
そうじゃないと情報収集するモンスターと化してますます治りとは程遠いことになる
今求められることは知識の向上ではなくて一瞬のひらめき 今いる世界に違和感を覚えないとこのままずっと神経症だと思います。]
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「H 投稿者: ピロリンc 投稿日:2020年 4月28日(火)13時14分7秒
これほど短年で悟りを開いた人物が過去にいただろうか。
まだ安定するには多少の時間が掛かるが間違いなく正解のルートを歩んでいる
これを人生の一大事と言わずに何というか
すべての問題が一瞬で消えるという奇跡を体感せずに人生を終えていいのか 」
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丸腰で生きるは、普通の人の普通の生き方であり、これの無いのは神経症者だけだと思う。
これが出来る様になったら神経症の治癒は完成といっても良いと思う。
丸腰で生きるとは、武器を持つ努力が無く、武器を携帯せず、素手で懸命に生きる事だろう。
この生き方は自分の知性も能力も根性も全部出し切る、スリルの有る生き方である。
個人としてはもっとも満足できる生き方だが神経症者は理解しない。
普通の人の当たり前の生き方であるが、神経症者はこれが難しく、こういう生き方をすることが
堕落であり解決の放棄だと思っている。計らいの生活を放棄できず神経症が続いて行く。
反省し改善をしようとする努力が、武器を持つ努力であり、この努力が忘却を妨げてしまう
一瞬たりとも忘れない神経症を形成して行くわけで、これが結局人生を破壊して行く。
毎日行う長時間の反省は、自分に対する邪悪な囚われで有り、武器の携帯に進んで行く。
これが邪悪な努力だと理解できると、反省をやめ武器を携帯せず、丸腰で生きる様になる。
いつも丸腰が実行出来ると、神経症は治す必要が無くなり、囚われが消滅して治癒する。
日々を丸腰で生きると、スリルの有るドラマチックな人生になって、病気はどこにも無い。
又とりあえず反省を止めて丸腰で生きた人も、この事に気付き神経症の治癒に近づいて行く
そう言う意味でも神経症の治った人の指示に従うが治癒の最短コースでも有る。