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はからい 投稿者:マイケル 投稿日:2019/05/05(Sun) 08:56:04 No.21

はからいの無い状態とはどのような状態でしょうか?はからいを無くそうとする事自体が間違いでしょうか?

Re: はからい 投稿者:happiM 投稿日:2019/05/05(Sun) 11:35:13 No.22

「はからいのない心」というのは、「あるがままの心」という事で、これも言葉にとらわれると、かえって間違いのもとになる。
「あるがままになれない」とか、「はからいの心を捨てる」とかいえば、既にそれは「はからいの心」であり、「あるがまま」ではないのである。
実際の体験による修義でなければ、理屈にあてはめて決してわかるものではない。

神経質は、机上論の庇理屈を押し進めているうちに、病の悩み、死の恐怖という一面のみにとらわれ
動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転といい
今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。

Re^2: はからい 投稿者:happiM 投稿日:2019/05/05(Sun) 11:58:22 No.24

私どもは、つねに何かにつけて疑い迷い、はからうものであります。それがそのまま、私どもの自然の「あるがまま」の心であります。
それをそのままに森田の療法にまかせ、あるいは境遇、運命、自然の法則にまかせ、あるいはまた親鴬のいうように「よき人の仰せにしたがいて、念仏申すまでのことなり」と弥陀にまかせまいらせることが、すなわち「はからわない心」なのであります。

Re: はからい 投稿者:happiU 投稿日:2019/05/05(Sun) 11:46:49 No.23

「いまお持ちのこころをそのまま持っていることです」これは自分のこころに何らの人為的加工(不安を安心に変えようなどとの計らい)をしない ことを指す。

要は知的やりくりを離れて、雲門のように、ぶっつけに目前のことに取り掛かり特別な心境を今の自分の心境以外に
求めようとしないことが大切な事ですね、そうすると全治は自然にどなたにでも訪れます。
理論が解って治るということはないのです、なによりもぶっつけにただそのまままに前進というのが真実に生きる道んなのです。

Re: はからい 投稿者:happiN 投稿日:2019/05/05(Sun) 12:04:22 No.25

丸腰で生きるは、普通の人の普通の生き方であり、これの無いのは神経症者だけだと思う。
これが出来る様になったら神経症の治癒は完成といっても良いと思う。
丸腰で生きるとは、武器を持つ努力が無く、武器を携帯せず、素手で懸命に生きる事だろう。
この生き方は自分の知性も能力も根性も全部出し切る、スリルの有る生き方である。
個人としてはもっとも満足できる生き方だが神経症者は理解しない。
普通の人の当たり前の生き方であるが、神経症者はこれが難しく、こういう生き方をすることが
堕落であり解決の放棄だと思っている。計らいの生活を放棄できず神経症が続いて行く。

反省し改善をしようとする努力が、武器を持つ努力であり、この努力が忘却を妨げてしまう
一瞬たりとも忘れない神経症を形成して行くわけで、これが結局人生を破壊して行く。
毎日行う長時間の反省は、自分に対する邪悪な囚われで有り、武器の携帯に進んで行く。
これが邪悪な努力だと理解できると、反省をやめ武器を携帯せず、丸腰で生きる様になる。
いつも丸腰が実行出来ると、神経症は治す必要が無くなり、囚われが消滅して治癒する。
日々を丸腰で生きると、スリルの有るドラマチックな人生になって、病気はどこにも無い。
又とりあえず反省を止めて丸腰で生きた人も、この事に気付き神経症の治癒に近づいて行く
そう言う意味でも神経症の治った人の指示に従うが治癒の最短コースでも有る。

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