皆ななぜ神経症が治らないかは明白でしょう。自己を治し変えて世の中を上手いこと生き様とする気持ちが強くありその行為が、自然自分えの思考を多くして、現実生活を適当にします。自己えの思考は自分を暗くして苦しく悩み多いものにします、成功は無いでしょう。適当にする現実生活は悲惨なものとなります。これの延長はどこまで行ってもこのままです。思い切って、治す変えるを止めて、眼に前のことに取り組み生活と仕事の成功に命をかけたらどうだろう。きっと道は開けてくるでしょう。
私の師「道で歩いていて倒れたら起き上がってすぐ歩き出せば良い、それを神経症者は道に座り込んで考え出す、そんな事をせず誇りを払ってさっさと歩き出せば良い。」森田正馬「神経症者はちかごすい(手取り早くずるい)事をしようとしている」宇佐博士「神経症は治そうとする病気です、森田療法では治さない稽古をします」倉田百三「治さず治りました」斎藤さん(雑用等の間違いも多い)どんなに酷い苦しみをして激しく落ち込んだ日にも家に帰ったらもう反省はしない。落ち込んだ日には早めに寝る。翌朝出勤するにあたりあらゆる恐怖を撃退する武器を携行しないで丸腰で家を出る。
人間はどうなったら幸せだろう、私の先生は「幸せの定義」を「意欲に満ちて心が躍動する」ことだと言われていた様に思う。私は自分の幸せをどう定義すれば良いだろう。私は今行っている、多くの人を神経症から治癒させる事に意欲がありそれの努力に心が躍動している様に思う。後何年与えられているか知らないが、心が躍動するままに楽しみたい思う。そういう意味でもさみしい老後など無い、躍動する心と生き甲斐が有る。