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一 括 講 読

投稿時間:07/09/11(Tue) 23:29
投稿者名:直人
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タイトル:私の神経症
私が神経症が始まったのは、たしか17才の時であったと思う。
ある日、通学路で友達と一緒になった時、話をする事が浮かばず、話題が無くなりました。
それ以後いつも話題を探して必死に話すのだが上手く行かずに悩みになってしまいました。
それを改善しようと思考を繰り返す毎日でしたが、ますますダメになり孤立しました。

この時に私に何が興ったのだろうか?
話の無い不快感に囚われて、これの解決が最優先になり、必死に思考努力が始まりました
これの改善が人生の最優先になり、勉強も身に入らず、思考して改善に取り組みました。
日々の多くの時間を自己改善を思考し努力する様になり、総てが犠牲になりました。
それ以後悩み多い苦しい劣等生の日々になってしまいました。神経症の病気だろう。

この時に私はどうすれば良かったのだろうか?
やはり必要だったのは改善の思考、努力を放棄してしまう事が大切だっただろうと思う。
そなった時には、まず悩む時間が無くなり、自分の感心や思考が目の前の現実に移ります。
囚われが無くなり明るくなり、話題も豊富になり自由に生きれる様になるだろう。
そして自己改善の思考、努力が放棄されておれば、勉学に真剣に取り組む事が出来る。

これがどうすれば可能だったのだろうか?
私がそれを行ったのが27才の時だった、自己改善は不可能でこのまま生きるしか無い
と決心ができたて、そう生ききだした時に、心が自由自在に働く経験を得ました。
自己を治す変えると改善の思考が無いと、多くの時間が自分に出来る事も解りました。
改善を完全に放棄して治す思考努力が無いと、人生になにも障害が無い事を知りました。

17才の症状が発生した時にこれは出来たのだろうか?
答えは無理で、どうあがいても出来なかったと思う。私はその病気になるしか無かった
そして27才で私を導いて下さった師に出会わなかったら治癒も不可能だったと思う。
たった一つ17才で治癒を可能するのは、27才で会う師に17才で会う事だろう。
今はこのホームページが有るので、皆ここで真剣に取り組み治癒したら良いだろう。

治癒したらふどうなるか書いておこう。
自己の欠点故に上手く行かず失敗しても、その後に思考して、自己改善に走らないし
不成功を責めて自己を苦しめる事はまったく有りません。
欠点は有るが悩みの無い当たり前の人間になり、勉学も進みユーモアの多い人になる。
自己の理想像も変ってきて、仲良く遊ぶ事が理想の人生から、努力して何かを仕上げ
成功して行く幸せを求める人生になるであろう。

投稿時間:07/09/12(Wed) 23:49
投稿者名:直人
Eメール:
URL :
タイトル:雅子様のこと
病気では無くて心配症(囚われ)だろう、病気と捕らえるから医学会の重鎮がかかわる
心配症(囚われ)なら医者も医学も役に立たない、心配症は薬で治る事は有り得ない
前回の「私の神経症」に書いたが、私は「師に会わなかったら治癒は」一生無かった
囚われの解脱と言う事は自分で成し遂げる事は非常に困難であり無理だろう。

基本的に治そうとする病気であり、治癒するには治さない様にならないといけない。
苦しい辛い日々であり、重大な責任もあるなら、治さないとおれないだろう。
自分で治さない世界には踏み込め無いだろう、治さないが治癒とは一生気付かないだろう。
英明な頭と強い責任感が有るので、治す病気と一生付き合って生きる事になるだろう。

これの治癒はいたって簡単な事なのです、治さない治すことを止めれば即治癒します。
英明でも治すは難しく不可能だが、治さないは誰でも出来る、皆な平等に出来る事です。
ここで治癒者の多くが語っているが「治さない事」が自分を解放して治癒に導きました。
治さないの実行で神経症は皆な平等に治癒して行くのです。

この事実に早く彼女も気付いて、自己の心配症(囚われ)を開放して苦しみ無く活躍してほしい
医学では治癒はありません、治す努力は悪化はあっても治癒は無い、治さなくなる事です。
治すのを止めたら、自分を見ず、目の前の現実を見ます、日々に幸せ!と叫ぶ様になります。
そうなってほしい、そして日本国に幸せを与えて引っ張っていってほしいと思う。

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