投稿時間:02/11/09(Sat) 02:59 投稿者名:富士男
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タイトル:迷い
>>死の恐怖に対して、 敵を知り己を知れば百戦危うからずと分析と戦いをいどんで勝てますか? >そうやって「勝ってきている」のが、一部の仏教徒でしょう。 >その「勝った形の一種」が涅槃とか悟りと呼ばれるものなのかも。
仏教とか悟りの話でなく、貴方のしょし方、貴方の日々についてお聞きしたいのです。 一般大衆の現在の処し方をお聞きしています。そこにはこれが有るはずです。 死の恐怖に対して、「恐怖を取り去る努力しない工夫しない、考え無い」で心の平安を保つ
>富士男師が「思考を放棄かつ内罰的」を選んだことにより、いつか迷いを生ずる可能性を >孕んでいるのなら問題です。そうで無いなら言う事は無い。
私と特定の指摘がありましたが、普通の一般の人は皆、自分の改善の思考を放棄しております。 人間の感と言うのでしょうか、自分について考え込むのは良くない事になるとの感があります。 だから一般の普通の人は自分に対する思考をしません。神経症者は必死で行います。 又内罰的との事は、森田博士は「神経症者は手っ取り早くずるい事をしようとしている」と 言っています、又神経症者は自己中心的で幼児的だと指摘をしております。 これを心の底から自覚した時に人間は生まれ変わります(森田療法でも自覚の重要性は言う) もう何十年も迷っていません。思考を放棄している以上は迷いようがありません。 なにも考え無いなら怖くも苦しくもありません。なにも考え無いので迷いようもありません。 (自分についてだけ考え無い、他は山ほど考える)
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