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一 括 講 読

投稿時間:09/02/18(Wed) 23:06
投稿者名:森田正馬
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タイトル:自覚と悟りへの道

神経症に悩む人のために 著者森田正馬 編集水谷啓二

  1959年に初版は刊行 株式会社白揚社

投稿時間:09/02/22(Sun) 21:24
投稿者名:森田博士
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タイトル:治すことをやめたら治る
自覚と悟りへの道 P91〜 自分の心をやりくりするな

それは私がいった「神経症は治すことをやめたら治る」という言葉にとらわれたものです
しかも自分でそれに囚われていることに気付かないのであります。
現在悩んでいる不眠なり、強迫観念なりを治したい、苦しみをなくしたい、と思うのは
当然のことであります。しかし神経質症の場合、「それはもともと病気ではないのだから
治すべきはずのものでは無い」という事を知れば、不眠や強迫観念はあっても、それを
度外視して普通の人のように働くことになります。そのうち仕事に心を奪われて治そうと
することを忘れるようになります、そうなってはじめて治るのであります。

「神経質は治す事を止めたら治る」という私の言葉にとらわれているのは、たとえば
満2才ぐらいの子供に、「あれをごらん」といって指させば、子供はその指さされたものを
見ようとしないで、指先ばかり見ていることがあります。それと同様に、**君は治そう
とする気を捨てるとか、捨てないとか、その言葉あるいは自分の気持の持ち方ばかり問題
にして、いったい何を直すかということを忘れてしまっているのであります。

投稿時間:09/02/23(Mon) 14:34
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 治すことをやめたら治る
「神経症は治すことをやめたら治る」とは本当に真実を、ずばり言っていますね。
薬ばかり出して、悪化させて、医師だと言っている人がいかに多いか、許せない。
「病気ではないのだから治すべきはずのものでは無い」とは真実を言っています。
治すと薬ばかり出して、ほったらかして、何が医師だ、薬は酒といっしょだろう。
一時的に安楽になるが、覚めれば元の木阿弥で、ずっと薬を飲み続け依存を作る。
アルコール中毒と大差ないだろう、その中毒を医師が作っている、許されないよ。

ここでもず〜とず〜と「神経質は治す事を止めたら治る」と言い続けているが
子供よろしく、治す事を止めて、治してやろうと、強欲の野心ばかりの人が多い
治そうとする病気であり、治すのを止めてしまえば、それだけで治癒となります
症状を治すのでは無くて、治して変えて上手い事やろうとする根性を治すのです
憎むべきは症状では無くて、治し変えて上手い事やろうとする、自己の極悪非道の
根性でしょう、これに鉄槌を加えるのが正解だろう。

治さない様にして治すなど、お手軽な治癒方法を模索していては永遠に治癒は無い
治らない弱いダメな自分のままで生きる決心が要るだろう、勇気がいるだろう。
だめな情けない自分を治さず変えず、受け持って懸命に生きたらいい、対人を震えを
治す変えると言わず、受け持って、懸命に生きる自分は素晴らしい惚れてしまうよ。
弱いダメな自分だが、明るく元気に前向きに生きる自分には誇りと美しさが見える
そんな自分で、心を躍動させて思い切り生きて行こうと思う。

投稿時間:09/02/18(Wed) 23:07
投稿者名:水谷啓二
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タイトル:改造を止めた時に改造された
自覚と悟りへの道・・・P37

以前は自分の欠点だと考えて、劣等感の原因になったことが、じつは自分の特長である
ことにも気が付いた、欠点と特長は、同一物の裏と表であり、欠点がなければ個性も
人間味もないはずだ、私と言う人間が、神経質で無器用で、遅鈍であることは今も昔も
変わりないが、それは反面からいうと、自己内省力があり、誠実で、仕事はおそいが
ねばりがある、ということにもなる。

昔のような自己改善の努力や、自分の心をやり繰りする事をすっかり止めてしまっただけに
心のしこりがすっかり無くなり、自由でゆとりのある生活を楽しめる様になった
また自己改造など、くだらぬ事にエネルギーを浪費する事が無くなったので
それだけ多く毎日の仕事にエネルギーを注ぎこめる様になった
学生時代のことを知っている私の友人は「君は学生時代に比べてすっかり感じが変わったよ」
と言う、自己改造の努力をすっかり捨ててしまったとき、はじめて自己改造が実現した
といえるかもしれない。
                    元共同通信社部長兼論説委員

投稿時間:09/02/20(Fri) 14:54
投稿者名:直人
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タイトル:Re:改造を止めた時に改造された
私は神経症の時、ず〜うと自己改善の努力をして来ました、一瞬の空いた時間が有れば
思考が始まり自己改善の工夫、努力を行なう毎日だった。
高校生だったが勉強にも真剣さが無く、力が入らず成績の悪い学生になってしまいました
人間関係のまずさは続き、改善は成功せず、就職して働くようになったが、仕事は厳しく
逃げる事の出来ない本当の苦しみが始まって、自己を治す変えると悪戦苦闘の毎日だった
悲惨な青春時代を送ってしまったと言えよう。

28才ころ師に出会い、自己の能力の無さに懺悔が出来て、治す変えるが完全に止まると
自己を治す変える願望がまったく無くなり、今までとは反対に、自己を治す変えるのに
一瞬の時間も使ず、自己の劣等に使う時間は無く、自分を苦しめる事は無くなりました。
その分、自己の仕事と生活に意欲的に取り組む様になって、良い成績と生き甲斐の有る
日々を過ごせる様になって生きてきた。
それから何十年も生きてきたが、失敗も成功も有ったが、全力で生きてきた人生だった。

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