老い先の短い年で、やたらに知識を貯えこんでも、あの世に持ってゆくばかりで、何にもならないはずであります。しかしなお深く自分自身を観察してみますと、それは私どもが死ぬまで食うことをやめないのと同様であります。知識欲も食欲もともに、私どもの本来の性情であるからであります。私どもは知識欲や仕事欲、あれもしたい、これにも手を出したいと、限りない欲望に満ちています。この希望の心が、私どもの光明であり、元気であります。
それは一口にいえば、自分には得られないことを得たいと望むことで、私がいつもいう「思想の矛盾」であります。自分の持っているもの、あるいは自分にラクにできることは、当然のことでありますから、とやかく思想するには及びません。ところが、自分にはなかなか得られないこと、あるいは容易に実現できないことに対しては、それに対するあこがれのために得たいような気がし、それを求めて思想し、努力し、煩悶します。それが実現不可能な努力であったときには、強迫観念になるのであります。事実はできないのに、ただうらやむだけのことであります。人の職業や性格をうらやんだりするのは、自覚が足りないからであります。自覚とは、自分は果たしていかなるものを好み、何を人生の目的とするかということを、正しく、かつハッキリと認識することであります。