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一 括 講 読

投稿時間:08/12/28(Sun) 09:39
投稿者名:宇佐博士
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タイトル:全治は現実生活の姿そのもの−言葉を離れた真の実在−
297回 三省会 での 宇佐先生の講話

http://homepage2.nifty.com/3seikai/kouwa/kouwa297.html

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投稿時間:08/12/28(Sun) 09:42
投稿者名:直人
Eメール:
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タイトル:Re: 全治は現実生活の姿そのもの−言葉を離れた真の実在−
>全治は現実生活の姿そのもの−言葉を離れた真の実在−
治癒は自己の症状が変化したり、強くなったりして人生に成功する事では無いでしょう
症状を治さず変えず相手にしなくなった時に、苦しみは無くなり治癒します。
この事は、自己への思考を捨てて、現実生活え取り組んでいる姿と同じものです。
自己の内側から見ると治さない変えないだが、外側から見ると現実を生きている姿です。
内側と外側から見た見方の違いです。

>全治というのは何か理由があって”なるもの”ではないのです。根拠のない、ただ全治からだけしか出て来ない状態で、けっして治っていない状況から全治の状況にパッと変わるというものではないのです。全治が”なるもの”ではないというのはじつに今日只今のことでありまして、これをおいて他にありません。
今現在の現実えの取り組みが全治だと言われています。なにか成功する事が全治では無く
目の前の現実に取組む事が全治だと言われています。
確かに神経症の治癒が自己の変化から成立するのでは無くて、自分や心を相手にしないで
現実に取組む時には悩みや思考が勝手に放棄され、心は囚われから離れます。
この状態は普通の事だが、神経症者の囚われの苦悩からは開放された状態であり良い事だ
こういう悩み苦しみの無い生活から、自己の行ってきた間違いを悟るだろう。
そうなると心は自己えの囚われを感情として嫌い二度としなくなり治癒の日々となります。

>治っていない状態から治った状態へ変わるというのではないのです。具体的にいえばボヨヨンが駄目で、明晰な頭脳の働きが全治の状態だというのは間違いです。
自己を治し変える事の成功から治癒があるのでは無くて、治癒は自己を治し変える事を
放棄する事で自然に勝手にやってきます。
それは何かが変わったのでは無くて、囚われから自由になり生きれる様になります。

>全治はすでにタネも仕掛けもちゃんとあって、ただ「自分の考え」によって実現が妨げられていただけに過ぎません。
「自分の考え」とは、神経症者では治す思考、努力で現実が妨げられているでしょう。
その「自分の考え」(治す思考、努力)を捨ててしまえば治癒は勝手にやって来るだろう

>全治はこれまでのどのような経験にも関係がなく、将来のいかなる経験の予測にも影響されることなく今なり立たずにはいられない現実生活の姿そのものなのです。
裸の生の素手の自分で武器をなにも持たずに前向きに生きる時に治癒は成立するだろう。

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