宇佐博士の言葉の解説を書きます
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投稿時間:09/01/10(Sat) 11:48
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 実生活での努力そのものが全治−治さないことの徹底−

>実生活での努力そのものが全治−治さないことの徹底−
「治さないことの徹底」そのものが治癒だとの見解は宇佐先生と私はまったく同じです
治すのを放棄したら何をして生きるか、それは「実生活での努力」をして生きれば良く
自己の力を100%出して生活、仕事に取り組み生きれば成功の山が出来るのです。
その生活、仕事に100%の力で取組む姿が全治であり、皆そう生きているでしょう。
神経症者だけが自己改善に多くの時間を使って生きています、これが病気です。

>「全治」とは何か、という風に皆さんが目を向けてくださいますと、それは「修養」にほかならない、というふうに持ってくるのです。一生懸命皆さんが一日中骨折ってここでの生活をなさるその最中に、心に目的のない実生活のみが続くことになります。究極的に自分自身に課題、テーマがない「心に用事なし」という格好になるわけです。
まったく「心に用事なし」が治癒だとの事は良く理解できます、「心に用事が有る」のが
神経症であり自己の変更、改善をいつも求めているのであり、それに時間を使う日々です
治癒は心の自己の変更、改善の成功では無くて、心、自己に用事が無く生きる事であり
即ち変更、改善の放棄なのです。そこから「心に用事なし」で生きて行けるでしょう。

>森田先生が「努力即幸福」と書いてくださってからもう73年になりますが、あの額は究極のものです。努力したら幸福になるのではなく、努力していること自体が幸福であるということです。外向きの皆さん方のお仕事、勉強、働き、生活そのもの、これをおいて他に幸福はありませんし、求めても何も得られません。
「努力即幸福」とは良い言葉ですね、努力して金持ちになるのが幸福と言うより、その
努力の日々が幸福でしょう。世の中の為に人の為に働く事が仕事であり、それの努力は
良い事であり、それえの懸命な取り組みが幸福でしょう。
それをいい加減にやり、自己を見詰め自己への取り組みに必死なのが神経症ですね。

>世間ではよく自己意識を問題にして、考え方を幼稚でない状態に高めていけば良い行動ができるだろうと、予測を立てますが、考え方ではなく、実際の行動をいきなり始めればよろしいのです。
行動、働きを上手くやる為には、自己は何も持たずに、細心に周りを見詰めて臨機応変に
変幻自在に対応するのが良いですね。自己の心は自己の意識に関係なく発動されます。
自己の確立、上達では無くて、何の武器も思想も持たず丸腰で前向きに懸命に生きる事こそ
素晴らしい日々になるでしょう。

>外の社会と自分の心の中とは、全く論理の異なる世界で、自分の中は神経質のとらわれや悩みを病気として扱わずに、従って、治さないことを徹底するのです。
出ましたね「治さないことを徹底するのです」、これこそ私の言い続けてきた事であり
「治そうとする病気」であり、治さないに徹する事が治癒であるとの理解、見解は私と
宇佐先生はまったく同じですね。
自己の欠点を相手にせず、放置して懸命に生きる事こそ人間に許された安楽な日々でしょう。
その欠点を治そうと囚われて生きる人が神経症の病気の人ですね。


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- 実生活での努力そのものが全治−... - 宇佐博士 09/01/10(Sat) 11:47 No.2260

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