宇佐博士の言葉の解説を書きます
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投稿時間:09/01/16(Fri) 18:58
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 不安を妙薬として生活に邁進 −自分のことは説明不要−

>不安を妙薬として生活に邁進 −自分のことは説明不要−
不安が有るからこそ努力をするでしょう、総て安心、恵まれていては努力する気持ちは
起きないでしょう、不安が有りそれを妙薬として、生活、仕事にまい進するでしょう。
その時に気持ちは自分から離れ、一人の人間が自然に生きています。
その心を理屈で説明は出来ないし、勝手に自然に明るく元気になって来るのでしょう。

>薄い氷のはった池を進む時、いわゆる薄氷を踏む思いですが、いつズルズルと沈むか分からない。この場合、「沈んだらどうしよう」ではなく、どうしようはいつも外の肝心な生活上、仕事上、勉強上のことです。自分をどうしようというのでなく、自分は沈んだら沈んだままゆくということです。
どうも薄氷の池で「沈んだら沈んだままゆく」と言うのは納得できず、お断りしたいが
言われたいのは、自己えの思考でなくて、自分以外の「生活上、仕事上、勉強上」の事を
見詰めて生活して行けだろう。
自己については自分の努力では変化させる事は出来ないので、そのまま行けとの事でしょう。

>自己意識内容はすべて薬ですから、安心のある方はその安心が一番効く薬、今、不安があるとおっしゃる方は、それがもうまことに妙薬であります。ここでしたら、症状と名をつけておられるそのものが薬です。
薬と言うからには、自分を治して良くしてくれるものでしょう、不安や症状自身に
そんな力が有るとは思えないが、不安や症状が有るからこそ生活に真剣にまい進出来る
不安や症状が薬になって自分の発展向上も生活の向上も有るのだろう。
そう言う意味では不安も症状も妙薬には違いないですね。

>薬剤で症状を抑えようとするやり方は、身体の故障で起こった病気を治すのと同じ論理で言ってますから、心というまったく論理の異なる世界に間違った取り扱い方をしているとしか言えません。
はっきりと「間違った取り扱い方をしている」と専門家が言われている、世の精神科医は
心を薬で治すと言って仕事をしている、薬はまったく酒と同じで一時的効き目しかなくて
治し変える事は無いでしょう。酒を飲んで心が強くなった人などいない事を知れ!

>自分を、あるいは症状をどうするかということが最大の関心事で最初ここに来られました。ところが、それが徐々にではなく一挙に、まるでテレビのチャンネルを切り替えるのと一緒で、もう社会生活あるのみです。
治癒は自己の願望の成功では無いでしょう、願望を相手にせず人生を生きる事で有る。
徐々に願望の成功では無くて、治し変える努力を止め放置して目の前の現実を生きると
明るい幸せがやって来ます、その時に治癒している自分を発見します。
森田博士が言う様に、褒美、副産物として改善があるのでしょう。


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- 不安を妙薬として生活に邁進 −... - 宇佐博士 09/01/16(Fri) 18:58 No.2264

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