宇佐博士の言葉の解説を書きます
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投稿時間:09/01/18(Sun) 01:30
投稿者名:直人
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タイトル:Re: どう治すかは課題ではない−実生活上の問題に骨折る−

>世間の人が考えるような、修養して後に、ある素晴らしい境地に到達してそれが全治であるというような、ある経過をもって実現するようなことでは決してありません。全治というのはそういう経過があってのことではなく、いつでもどこでもあるのです。
宇佐博士の神経症治癒の理論の総てと言って良いほど、この事はよく言われますね。
自己改善の成功の為に、修養して努力して成功してから、治癒が有るのではありません
今即テレビのチャンネンルを切り替える様に、目の前の生活、仕事に飛び込むのです
そこに心の変化があり囚われからの解脱があります、そこに幸せも満足も有ります
そういう何回かの体験から自己の本能が体が幸せになる方法を体得して行くのです
そしたらそれは自分の本能になり、心の動作の方向性がそちらに向くのです。

>実生活上のことをいきなり、その場で急いで始められましたらそれが見事な全治です。
いつもこの事を言われます。これが宇佐博士の全治の定義です。まったく正しいでしょう。
しかし幸せ技術研究所としては、この上に幸せになってほしいのです。全治してそれから
幸せになる、その為には、行う現実生活、仕事に真剣に取り組み、苦労を耐えて努力する
そこの積み重ねから少しづつ成功と幸せは得られて来るのです。

>神経症をどう治すかというような、症状を相手取ったやりくりは、ことごとく普通の論理で、神経症という論理の異なる世界のものを解決しようとするものですから、自分対自分の葛藤は文字通り煩悶に終ってしまいます。
症状を相手にした治す努力、改善の努力そのものが神経症です、治す努力が病気ですね
だから治癒は簡単な事であり、治すのを止めるのです。即ち宇佐博士の言われる通り
いきなり生活、仕事に飛び込めば良いのです、その状態が治癒の世界ですね。
これから幸せと元気をもらい、自己の本能がそれが正しいと認めるのです、その後は
努力は要らず勝手に自分がその道を歩いて行きます。

>神経症をどう治すかはすでに課題ではなく、それが成り立たない世界にいらっしゃって、立派に現実生活に骨折っていらっしゃると言ってよろしいのです。ちょうど猿のように、自分で見た自分、自分を対象化、概念化することなく、それでいて人間の知恵を外側に発揮している状態と見てよいのです。猿には自分対自分の問題がありません。ただ、外のことに真剣に取り組むのみです。
なるほど猿に学べですね、確かに猿は「自分対自分の問題」は無いですね、自己改善も
有りません、現実を見る眼、心で全身で現実を見て行動している、人間もそれで良いが
人間には猿以上の知恵と能力が有ります、それを外に向けて発揮すれば良いのです。
その知恵と能力が自分に向かって取り組ませる時に神経症は発生します。

>どう治すかは課題ではない−実生活上の問題に骨折る−
治す方法は無いですね、無いまま-実生活上の問題に骨折る-事が治癒の世界ですね。
その上に現実生活に必死に取り組んで成功を重ねて行くのが、当研究所の方向です
苦しみを相手にせず、自己改善にいっさい時間を取られず、世の為人の為家族の為に
必死で働く事を当研究所では求めます。


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- どう治すかは課題ではない−実生... - 宇佐博士 09/01/18(Sun) 01:29 No.2266

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