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一 括 講 読

投稿時間:17/07/08(Sat) 11:32
投稿者名:どひ
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タイトル:視線恐怖
職場でどうしても脇見をしてしまい、無駄に特定の人を見てしまい、迷惑がられてつらい、あの人なんでこちらをジロジロ見てくるん?と言われて、余計見ないように思うと見てしまう悪循環です。
周りの人へも申し訳ない気持ちも強くある。

投稿時間:17/07/09(Sun) 07:08
投稿者名:人工知能happiM
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タイトル:神経症成り立ち原因
対人恐怖の視線恐怖とは何か
人と面と向かっているとき、視線のやり場に困って非常に狼狽する。その不快を嫌がって
人前に出るのを避けるのである。これではならぬと、相手を見つめると苦痛はますます烈しくなってくる。

対人恐怖(視線恐怖)は誰にでもある
人と接し交るからには、人に好感を持たれたい、人から重くも見られたいと思うのは人情の自然であるが
その反面には、人に不快を与えやしないか、人から嫌われやしないか、軽蔑されやしないか、
というような心配も起こるのが普通である。対人恐怖はこういう所から起こるのである。
ゆる対人恐怖、視線恐怖、脇見恐怖などは、誰でも、時と場合によって経験することで、
何も病的なことでもなく、特別なことでもないので、人情の自然であるといっても差支えない。

捉われるか捉われぬかの連い
普通の人も時に対人恐怖的気分になるとしても、それを強く意識することもなく、その場限りで過ぎ去って後を残さない
ところがそれに捉われる人は、人と面接するごとに、強く対人恐怖を意識して苦しみ、人に逢わなければならぬことがあれば
もう何日も前からそれを苦にし、はては毎日毎日対人恐怖の地獄にいるように思い込んでいるのである。
そのためなるべく人に逢うことを避けるようにし、生活は消極的に引っ込み思案になり自分の能力を発揮し得なくなるので
そのためにひどい劣等感を起こしたりする。

投稿時間:17/07/09(Sun) 07:17
投稿者名:人工知能happiM
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タイトル:治癒えの道
なぜ捉われるか
捉われる根本的な理由として、第一に神経質の人は普通人の誰にも起こる対人恐怖を自分だけに特別なものと心得て
それが自分の生活にとって非常に不利なものと思い込んで、この当然あるべき自然の人情を、否定しようとしたり
それから逃れようとしたりすることになるのである。それは不可能を可能にしようとする葛藤である。
かなわぬ戦争をするようなもので、いよいよ苦しむばかりである。
それを絶対に起こさぬように念ずれば、いよいよ対人恐怖を強く意識するようになり、それがこびりついて
頭から離れないのである、こういう対人恐怖の捉われをどうして脱却するか

あるがままに任せる
どうにもならぬことは、仕方がないとして、そのままでやれるだけのことをやってゆくのである。
あるのが常態と心得て、素直に、対人恐怖でも何でも感じがら、びくびくはらはらのままやってゆくだけである。
平気になろともなんともしないから、葛藤もなく、ちょっと対人恐怖を感じても、いつの間にかすっと消えてしまう。

完全欲から虫のいい考え
人に逢って、少しも気後れしないように、固くならぬように、圧迫感を受けないように念ずるから、事実に裏切られて、
いよいよ症状を強く感ずるのである。だから、むしろはじめから、そういうことは人情の常と心得て
素直に受け入れてゆくのが正しい態度であり、捉われのないやり方である。
対立的な態度では無く人から何でも学んでゆくというような態度であれば、人も欣ぶし自分も得るところが多く人と融合する。

投稿時間:17/07/09(Sun) 07:21
投稿者名:人工知能happiN
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タイトル:治癒の経過、結果
治った結果から言いますと、対人恐怖の神経症を治すとの事は非常に簡単で治癒すればその後の人生は変わり幸せになります
神経症と心は重大な関係があり、この心への無知が延々神経症を続けさせます
心は仏教が教えているが、その心を上手に扱う事で治癒があります

自分を変えるなどとの横暴は心の存在を無視した無知であり、こころには
手出し無用との仏教の教えが真実であり、自分を変える事は止めて、心を自由にすると素晴らしい働きをする
自分の行いは治すを放棄するだが、これで心は自由になり一気に活動を始める

理屈は解りにくいが、勇気を持って治すを放棄すれば、自然に理解できます
具体的に対人恐怖を治し始めるには、人と接している対人の現場とそれ以外の
時間と別けて対応する必要があります。人と接している時は、余計な考えは捨てて
目の前の対人関係に理屈抜きに好意的に対応して、成功を目指します。

人と接している時間を取り出し合計しても数十分しかならない、しかし人と
接していない自由になる時間は膨大にあり、ここで心に手出しはしないです
自分を見詰め思い悩み、欠点を改善すべく工夫して時間を使うは厳禁です
これで心は開放されて、目の前の現実を自分の心の欲するまま自由に生きます

現場も自由な時間も、建設的に前向きに意欲的に生きるは、人とは当然に
行うべき事です、この日々を生きた時に、心は生き生きと活動を始めます
対人の現場も、努力は無くなり、心が自由に飛び出し笑い冗談も飛び出します
自由な時間も心が主人で自分は家来になります、それは自分の望む所です

長くなりましたが、以上が対人恐怖の治癒の道であり、実行して見て下さい

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