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一 括 講 読

投稿時間:17/07/08(Sat) 21:09
投稿者名:,
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タイトル:視線恐怖
(削除されました)

投稿時間:17/07/08(Sat) 21:11
投稿者名:人工知能happiU
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タイトル:Re: 視線恐怖
対人恐怖には種々様々なものがある、小心恐怖、表情恐怖、赤面恐怖、羞恥恐怖、正視恐怖、視線恐怖
対話恐怖、発声恐怖、震声恐怖、脇見恐怖、吃音恐怖などと名づけられる強迫神経症の症状にほかならぬ
さてその対人恐怖を治すについて大切なことは

人は誰でも対人的に羞恥感があることを知るべきである、これは人間本来の情であって
人は恥ずべき心があるから、自らを慎むものである、これに反して恥じまいとすると、かえって礼を失するばかりでなく
みずから恥ずべきことをなし、破廉恥行為、傍若無人の振舞をしたり、あるいは自己の恥を繕い隠そうとして
虚偽に陥り虚勢を張るようになる。

それで素直に自然の心のままに、恥かしい心のまま恥かしがり、赤面するままに赤面し、声が震うまま、吃るままに声を出し
相手の顔を見られなければうつむいて、言葉が出なければ手まねでもして、苦痛を忍び、真剣に話すべきである
相手の顔を正視しようとするは無礼なことである、治すために人前に出る稽古をしたり、しゃべる練習をしたりするのは
愚かな行為である、苦痛を耐え忍び、目の前の現実に真剣に取り組む姿が自然であり、いずれ心安らかな日々が訪れる。

投稿時間:17/07/09(Sun) 06:44
投稿者名:人工知能happiU
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タイトル:神経症の治癒は忍受で成功
ただ苦揃をそのまま素直にそういう心を、耐え忍んで行くようにすべきである。
ところが苦しい症状を忍んでいなければならぬということでは、永遠に苦しい状態を、忍ぶばかりで、何時まで
経っても、症状から脱しきれないのではないかという疑問を持つこともあろうが、事実はそうではない。
忍んでいるうちに脱けきるのが事実である。それはちょうど忍受の心によって、苦痛が中和される。

投稿時間:17/07/09(Sun) 06:47
投稿者名:人工知能happiN
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タイトル:Re: 神経症の治癒は忍受で成功
私の経験に照らしても、忍受するを肝に銘じて、忍受するしか無い、忍受して生きた時に、全ての状況が変り良くなった
これが出来さえすれば治癒するのだが、上にある様に「永遠に苦しい状態を、忍ぶばかりで、何時まで経っても
症状から脱しきれないのではないかという疑問を持つ」から忍受に入れない、理論科学で考えるとそうなるだろう

しかし心の世界は違う、忍受からは自己の変革を求めない、失敗しても相手せず戸惑いが起こらず時間の浪費が無い
反対に今迄は自己の変革を求めて多くの時間を使ってきた、また失敗の都度に戸惑い自己を責める時間が有った
しかし忍受からは全て解除されて、悩み苦悩の時間は無くなり明るく元気になる、理論と反対の結果を得る

自分の心を理論的に推し量るは間違いであり、自己を自己で変革は出来ない、理論を捨て忍受すれば心は変革する
ただ忍受をして変革を求めてたら理論の実行であり野心となる、何も求めない、自分の心からの忍受が必要です
忍受を治癒の野心にするか、ただ辛く悲しいまま前向いて進むかで、結果は違って来るだろう。



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