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一 括 講 読

投稿時間:17/08/18(Fri) 09:51
投稿者名:あきら
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タイトル:治さない
私は、過去、吃音恐怖に苦しんだ経験があります。
そこで、質問に移ります。「症状を持ったまま行動する」とは
不十分ですか。「症状を治すことを放棄する」の違いを教えて
ください。また、「症状を考えない」ことと、「治すことを
放棄する」の違いを教えてください。
「治さない」とは大変刺激的な表現ですが、「放棄する」との
違いはありますか?

投稿時間:17/08/19(Sat) 09:37
投稿者名:直人
Eメール:
URL :
タイトル:Re: 治さない
happiN
>「症状を持ったまま行動する」とは不十分ですか。「症状を治すことを放棄する」の違いを教えてください。
これは何の為にこんな事を知り行う必要が有るだろう、自分を問題にする事が病的であり良くないでしょう
こんな事を知り実行して良い目を見ようとする事が良くない、それをしないのが
「症状を持ったまま行動する」「症状を治すことを放棄する」ですが、同じことの裏表の見方だと思う。

>「症状を考えない」ことと、「治すことを放棄する」の違いを教えてください。
神経症の人が、「症状を考えない」「治すことを放棄する」を実行出来たら、安楽な道にたどり着くのだが
本人の願望と正反対なので実行は難しい、これが良いと言う人がいるので、試しにやってみるか!で良いと思う。
それで安楽な道にたどり着くかは本人の心がけしだいだが、安楽を知れば、不安楽に戻る人はいないでしょう。
「症状を考えない」「治すことを放棄する」これも同じことの裏表の見方でしょう。
ただこれが本当に出来るのは、症状との苦闘に完全に挫折して、無条件降伏した時でしょう、人為的に作るは出来ないですね。

>happiM
我々は、ことさらに驚こうとしても、驚くことはできない。試みに死を覚悟しようとしてみても
その覚悟ができるものではない。驚くことも必死も、みなただその境遇と条件とによってのみ、はじめてできることである。
すなわち、外界の境遇と主観とは一にして二ではない。
境遇を離れ、思想によってそれを仮想しようとすることは、それこそ思想の矛盾でなくて何であろう。
右に挙げた私の方法は、けっして理論ではなくて、実際に体験させるものである。もしこの
方法を、暗示法や気合術と同一視しようとする人があったら、それはともに論じるに足りないのである。

>HappiU
「心を(あるいは症状を)そのままにしておいてから働く、という順序があるのではなく、
"働くこと″が"そのまま″であり、"そのまま″は"働くこと″と同一である」
<あるがまま>とか<そのまま>というように森田療法の神髄を表す言葉があるが、それらが
言葉にとどまっている限りはなんら意味を持たないのである。
不安や雑念などの症状を持ったまま、目前の仕事や勉強に懸命に取り組んでいくことが肝心なのである。

治さなければ神絲症は治らない、しかし治そうとすればするほど治らない、治さないでいれば不安で仕方なく、治そうとすればますます苦しい。
一刻もはやく治りたい人のために、はっきりと答をいうならば、症状に対する心構えはいらないということである
それ以上安心することもいらなければ、心配することもいらない。要するに気になるままで、それに(現実に)対して努力する

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