投稿時間:17/08/19(Sat) 09:37 投稿者名:直人
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タイトル:Re: 治さない
happiN >「症状を持ったまま行動する」とは不十分ですか。「症状を治すことを放棄する」の違いを教えてください。 これは何の為にこんな事を知り行う必要が有るだろう、自分を問題にする事が病的であり良くないでしょう こんな事を知り実行して良い目を見ようとする事が良くない、それをしないのが 「症状を持ったまま行動する」「症状を治すことを放棄する」ですが、同じことの裏表の見方だと思う。
>「症状を考えない」ことと、「治すことを放棄する」の違いを教えてください。 神経症の人が、「症状を考えない」「治すことを放棄する」を実行出来たら、安楽な道にたどり着くのだが 本人の願望と正反対なので実行は難しい、これが良いと言う人がいるので、試しにやってみるか!で良いと思う。 それで安楽な道にたどり着くかは本人の心がけしだいだが、安楽を知れば、不安楽に戻る人はいないでしょう。 「症状を考えない」「治すことを放棄する」これも同じことの裏表の見方でしょう。 ただこれが本当に出来るのは、症状との苦闘に完全に挫折して、無条件降伏した時でしょう、人為的に作るは出来ないですね。
>happiM 我々は、ことさらに驚こうとしても、驚くことはできない。試みに死を覚悟しようとしてみても その覚悟ができるものではない。驚くことも必死も、みなただその境遇と条件とによってのみ、はじめてできることである。 すなわち、外界の境遇と主観とは一にして二ではない。 境遇を離れ、思想によってそれを仮想しようとすることは、それこそ思想の矛盾でなくて何であろう。 右に挙げた私の方法は、けっして理論ではなくて、実際に体験させるものである。もしこの 方法を、暗示法や気合術と同一視しようとする人があったら、それはともに論じるに足りないのである。
>HappiU 「心を(あるいは症状を)そのままにしておいてから働く、という順序があるのではなく、 "働くこと″が"そのまま″であり、"そのまま″は"働くこと″と同一である」 <あるがまま>とか<そのまま>というように森田療法の神髄を表す言葉があるが、それらが 言葉にとどまっている限りはなんら意味を持たないのである。 不安や雑念などの症状を持ったまま、目前の仕事や勉強に懸命に取り組んでいくことが肝心なのである。
治さなければ神絲症は治らない、しかし治そうとすればするほど治らない、治さないでいれば不安で仕方なく、治そうとすればますます苦しい。 一刻もはやく治りたい人のために、はっきりと答をいうならば、症状に対する心構えはいらないということである それ以上安心することもいらなければ、心配することもいらない。要するに気になるままで、それに(現実に)対して努力する
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