恥かしがりや」にも、二通りある。たんに恥かしいままに、いたずらに逃避の生活を送るものと、自ら恥かしがるのを、不甲斐なく、悲しむべきこととして、努力するものとがある。 たんなる「恥かしがりや」は、どうすることもできず、「縁なき衆生は度しがたし」であって、「猫に小判」「豚に真珠」である。 「求めよ、得られん」「叩けよ、開かれん」というように、ただ、努力を厭わないものは、どの ようにでも、これを導くことができる。