投稿時間:17/09/01(Fri) 16:03 投稿者名:hppiU
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タイトル:生活を離れて全治なし
宇佐普一著書「とたられからの解脱」P54〜59 治るのはインスタントであるということは、私は生涯言い続けますが「神経症になるのもインスタント」なんです 実はその何年何ヵ月も、実は今日、その日その日、その時その時、その場その場で神経質になっておられたんですね。
心に言葉を付け加えなかったらインスタントに治るのです。その時々の生活になり切っていることなんです。 全く動きが取れなくなってしまいます。それを打開するには生活あるいは勉強に打ち込む以外にないのです。
自分の処理というものを抜きにして、実生活上のことをそれこそ次々となさればもうそれで満点 無条件で「心に準備なし」です・・その日その時の必要さに即応して、すぐ目の前のことに応じて、細かな対応をなさる 具体的に申しますと、・・仕事から仕事へ、勉強から勉強へ、生活から生活へと「そのまま前進」あるのみです
心が一番重大に思えたことが実際そうではなくて、持ち合わせの心ですぐ外のことに応じて、すかさず取り組むことですね。 ここでの修養生活と、実社会での、あるいはご家庭での生活とを分けるものは何もないのです 実際には必要なものは何かと考えれば、まさに生活をおいてほかにありません。それを「骨折り即全治」と申します。
そのままほっといて、直ちに、いきなりの実生活がはじまるところに全治がとたんに成り立つのです。 全治というのは何かと結びつけて関連されてとらえようとしきりになさいますけれども、感情、気分、感じ、思い、考えなどいかなるものも、それに結びつきません。
全治というものは全くおぜん立てのないもので、どういう心になったら、どういう気持ちになったらとか、どういう考えになったらというように心の内側に何かの条件を問うということがもうすでに全治からの脱線であります。 ある種の心の内側に向けた欲張りが災いしたわけであります、しかし実際の生活上のことに、それが、うんと重点的な態度として、表れてきますときにはみなさん方は決して他の人の追随をゆるされないほどの、立派なお仕事をなさることは間違いありません。
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