投稿時間:18/09/29(Sat) 22:32 投稿者名:happiM
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タイトル:法悦と人助け
全集五巻 P254 P47 治った人は・・・昔の病気の時の苦痛を、どうしてあんな馬鹿げた、つまらぬ事に苦しんだものであろうかと、夢のように思い出す。 治った人は・・・同病相憐んで、人を治すために、少しでも効のある事ならば、俗人から見て、自分の恥になるような事でも、喜んでこれを告白する事ができるようになる。 治った人は・・簡単な心の置き所で多大な喜び得る、法悦の様なものがあるので、その喜びを人々に伝えたと強く思う。
全集五巻 P47 もし人生において財産とか地位とかいうものは、必ずそれ相当の努力と年数とを要するものであるが、心の極き所は、自分が一度その境涯になってみれば、極めて簡単であるから、世の中の人の誰にでも、ちょっとこんなうまいものを一口食べさせてみたいというのが、すべての宗教家の希望である。ここに初めて犠牲心が起こり、もし世の千万の人びとに、この大安楽を与えうる事ができれば、自分の命も惜しくはない。すなわち法然が遠国されても喜び、キリストが身を殺しても自ら満足するのであります。
ここで神経質の全快した諸君も、この法悦に似たものがある。心機一転により、たちまちにして全快する事が多い。自分が治るとともに、同病相憐むところの他の患者たちをも治したい心が当然起こるのである。もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当に神縫質が全治しているのではない。本当の法悦の味を知らない人の事であます。
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