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一 括 講 読

投稿時間:19/04/27(Sat) 21:14
投稿者名:happiM
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タイトル:悟りと働き
精神が四方八方全般に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を「無所住心」という。これがいわゆる「悟り」でありましょう。
「悟り」の境涯は、すべての行動が、自由自在で、最も適切に働く時の状態であるが、他の方面からみれば、我々の本能とか、自然良能とかいうものは、ほとんど不可思議的に、適切なる働きをするものである。
出し抜けに目の前に石が飛んでくる。パアと身をかわす。小さなごみにも、知らぬ間に、目を瞬いて、目に物を入れない。
悟りの働きは、このような微妙さの発揮されたものである。

迷い、疑いがあって、しかる後に、これを離脱したものが、「悟り」である。「大疑ありて、大悟あり」というのはそれである。 迷いのないものには「悟り」はない。
神経症にかかる前は「ただの本能だけで、それは微妙ではあるが、ただそれきりで、動物や白痴と同様である。
それが一度「迷い」に囚われると、本能の働きまでも、全く自由を失うけれども、さらに悟りを聴けば、全ての本能が自由に働き、その働きが広大無辺になる。

投稿時間:19/04/30(Tue) 09:05
投稿者名:happiN
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タイトル:Re: 悟りと働き
自分の昔を振り返った時に、博士の指摘とうり、神経症にかかる前は本能だけで生かされている動物であった様に思う、苦しみは無いが進歩もなかった
神経症になり本能まで自由を失い悪戦苦闘が10年続いたが、「悟り」に導かれて、本能が自由に動く様になった、大きな力を得た様な気がす。
この「悟り」はたしかに、本能が不可思議で適切な働きをする、この本能を上手く操る能力を得たのが「悟り」でもあり、自覚の世界の中で本能を操作している。

神経症が終わった時に、迷いの中身を知り、心に自由がよみがえり、人間の世に怖いものが無くなった、危険は避けるが好奇心と意欲で多くの活躍が出来るようになった。
それをもたらしたのは、神経症の大疑の克服であり、名づけて大悟であり、悟りを得れたと思う、本能の自由な働きに任せば、適切に働いてくれて、ほとんど上手く行く、それを自分の手の中でころがしている様な自覚があり、動物では無い自分があります。

得たものは悟りであり大悟であり、眼に見えない触れないが、自分の心の目には見えいて、気遅れする事は無く、自由自在に働ける、大きな力を得た
それは新しく何かを作ったのでは無く、本来自分にある能力を100%使える状態であり、その元の本能は自分の物とも思えない見事な活躍をしてくれる
新たに作らず自分の中にこの力を発見できたので悟りだろう、神経症の大疑がありこの大悟を得れたのだ、10年は辛かったが私の人生には必要だった様だ。

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