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一 括 講 読

投稿時間:20/09/14(Mon) 15:49
投稿者名:HappiU
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タイトル:不安
「不安も恐怖ももったまま全治する」

親鸞の『正信偈』のなかの一節に「不断煩悩得涅槃」がある。煩悩を断たずして涅槃を得る、と読み下す。涅槃とは悟りのことである。
煩悩を持ったままでいるということは、「あるがま」

不安であるとか安心であるとか、今の心の状態に関係無く、必要に迫られた事柄に直下に取り組んでいくことである

「不安、雑念に対しては無条件降伏しなさい」

「こうすることが治る方法であるという知的遣り繰りをほんの少しでもすると、命を滅ぼすも同然、病感が増すだけだ」

西田幾多郎博士の「絶対矛盾的自己同一」はあまりにも有名であるが、森田療法的に解釈すれば、
「不安があろうが、自分の気にいらない症状があろうが、それを取り除こうとせず、放ったらかしにすることである」

「雑念や不安など自分の心の状態については、くちびるにかびがはえるほど黙して語らず」でなければならない。これを端的にいえば「そのまま」「あるがまま」なのである。

「心というものは皆様方のおあつらえ向きに従ってくれない。心はひとりかってに朗らかになったり、憂うつになったり、不安になったり、
安心になったりして変化していくものです。ですからその時点の自分の心に素直に従っているだけのことなのです」

結論をいうと、最初に感じた心配や不安のままで放ったらかしにしていれば、いつのまにやら心配や不安は消えていくものなのである。しかし、
現実問題としてこの放ったらかしにすることが難しいので、晋一先生は目前のことにただ取り組みなさい、といわれる。元禅師の「只管打座」の”只管”のことである。

基本的で重要なことは、「全治とは不安が減って、安心が増えるというのではない」
だから要は不安や雑念などの症状を持ったまま、目前の仕事や勉強に懸命に取り組んでいくことが肝心なのである。

「辛抱するといえば聞こえがいいが、これとて心を合理的に扱えると見た俗論です」他の言葉を借りれば
「心を放つ、放ったらかしにすることにつきるのです」ということになる。これは結局、南無阿弥陀仏にほかならない。
わかりやすくいえば「あるがまま」「そのまま」である。

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