注意が目的物に向かわず、不自然に求心性に、自分の手元、足元に向かうためであって、努力すればするほど、かえってますます注意の調節を失うようになるのである不安も「不安になりきれば安楽になる」と考えて、その安楽を目的とする間はけっして不安はなくなりません。つまり、不安を常住としなければなりません