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一 括 講 読

投稿時間:21/06/18(Fri) 01:28
投稿者名:happiM
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タイトル:治る
「神経質の人が種々の症状に悩むのは、そのかぎりない欲望に向かって逼進するようになるための過渡期であり、ついには悟りに達すべき迷妄の時期である。
それは自分の苦悩のみを誇張して考えてこれに執着し、自分の本来の心を自覚することのできない時期である。
それがある機縁にふれることにより、ひとたび生の欲望を自覚して心機一転したとき、はじめて、そこに従来の苦悩が雲散霧消するのである。
そしてひとたび自覚を得たのちには、前の苦悩はまるで夢のように思われ、かつて苦悩を去らんがために百方手をつくしたことがいかに馬鹿げたことであったかがわかり、
百八十度の方向転換をして、ひたすらに向上心に駆られて勇猛心を起こし、苦痛困難を度外視して、努力奮闘するようになるのである。
それと同時に、いよいよ精神修養に興味を起こし、人格的にも大成するようになるのである。」 神経質問答P4

心理的説明は、ここで強迫観念の治った人にはよくわかるが、しかしこれが理解ができたからとて、直ちに治るのではない。
理屈でわかるよりも体験ができさえすれば治り、治りさえすれば、理諭は容易にわかるようになるから、体験を先にするほうが得策である。  五巻738

ここで治った人の内には、しばしば法悦という事を感ずる事がある。つまり自分が救われると同時に、その真理を世の人にも伝え、
その喜びをともにしたいという感じであって、堀君が座談会で、雄弁を発揮したのも、そのためであります。五巻516

吃音恐怖はどうして治るかといえば、自分は吃るものであると決める事です。色の黒いものは黒いもの、知悪の回りの悪いものは悪いものと決める。
赤面恐怖は、自分は小胆なもの、書痙も自分は手の震えるものと決める事で治る。決して虚偽のからいばりをしないという事が最も大切です。 五巻516

親鸞上人が、偉くなったのは、自分が愚鈍であり悪人であると、悟ってからの事です。
赤面恐怖の人でも、自分は、身勝手・わがままであり、人に思いやりがないとかいう事を自覚するようになったら
心機一転して、たちまちに治るのである。 五巻433

なお神経質の症状を治すという事については、まず最も大切な事は、自分の病を治す事を忘れねばならない。これを忘れない間は、決して治らない。
例えば肺尖カタルでも肺のほうばかりに治療がこだわっている間は治らないが、身体が全体に健康になれば治る。
神経質も精神が健全になり、人生観が正しくなれば、初めて全快して再発しないのである。
すなわちここでは、健全なる精神を養い、正しい人生観をうるような事を目的とすれば、初めて一般の興味と利益とが得られる  五巻164

患者は、自分が何かする仕事はなかろうか、どんな事をすれば、病気が治るだろうかと、そんな事ばかりにとらわれて、その悪知に災いされているからであります。
それがこの悪知を捨てて、心槻一転すれば、すなわち病気が治るのであります。  五巻73

投稿時間:21/06/18(Fri) 17:40
投稿者名:hsppiM
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タイトル:Re: 治る
仏の慈悲は、われわれが子供を愛するように衆生を愛するといわれるものであって、これがすなわち大我の極致である。
それに反して神経質患者は、自分の苦痛から逃れることばかりに心を労しているために、わが子も家族も犠牲にしてかえりみないことがある。
これが小我の執着である。 生の欲望P156

神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう逃れようとする間は、十年でも二十年でも決して治らぬが、
苦痛はこれをどうする事も出来ぬ、しかたがないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。 五巻389

不眠でも、赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治す事を断念し、治す事を忘れたら治る 五巻318

もし自分の希望を捨てて、自分の人生をしだいに退縮して行くならば、決して書痙も対人恐怖も治る時節は到来せぬのである。
我々が生きる必要は欲望のためである。強迫観念を治すのは希望に向かってのためである。
欲望を捨て、希望を失うならば、命も必要がなければ、病も治す必要がないのである。
ここが最も大切なる自覚のあるところであるから、皆様もこの点をよくよく注意しなければなりません。五巻P40

苦しみが治るということは、煩悶苦悩の解決であり、迷妄から脱却して、正しい悟りの境地に達することを意味する。それはまた、人格的に未熟な状態から脱して一人前の社会人になることである。
さらにまた、適応性の欠如のために自己の欲求を満たすことのできなかった人が、社会や環境に適応しつつ、自己の欲求を満たしてゆけるようになることである。
また、自分の性格、能力、身体の欠点ぱかりにとらわれて、自己嫌悪におちいっている人が、自分の性格の特長を発揮し、能力を充分に活用することにより、新しい生き甲斐を感ずるようになることである。
さらに積極的にいうならば、精神的なとらわれのためにあまり社会の役に立たなかった人間が、それぞれの立場において、社会に貢献するようになることである。 神経質問答P3〜4(水谷啓二)

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