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一 括 講 読

投稿時間:18/05/12(Sat) 20:57
投稿者名:神経質の本能と療法P93-106
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タイトル:人工的な拙策を放榔して、自然に服従すべし
たとえば毛虫を見てわれわれがそれを不快に感じ、嫌悪し恐れるのは感情の事実である。けれども、それが毒を吐くものでなく、人に飛びつくものでもないということは、われわれが智識によって知ることである。毛虫を見て、たちまち目を閉じ逃げ出すのは、感情に支配されるものである。必要に応じてこれに近寄り、駆除することができるのは、理智の力である。
すなわち、不快なままに毛虫に近づくことができるのは感情と智識の両立であって、あるがままの当然の行動であり、正しい精神的態度である。
これに反し、もし毛虫に対しまず嫌悪の感情を排除し、好感を起こしてその上で毛虫に近づこうと努力するものがいたら、それが思想の矛盾であり、悪智であって、強迫観念の成立に最も大切な条件となるのである。

以上述べたところにより、神経質の治療についてはこの思想の矛盾を打破することが、一面の着眼点でなくてはならないと知るべきである。では、この思想の矛盾は、どうやってこれを打破することができるか。それを一言でいってしまえば、いたずらに人工的な拙策を放榔して、自然に服従すべしということである。人為的な工夫によって随意に自己を支配しようとするのは、思いのままに双六の賽を振り出したり、鴨川の水を上に押し流そうとするようなものである。思うとおりにならないでいたずらに煩悶を増し、力及ばないでいたずらに苦痛に堪えなくなるのは当然のことである

死を恐れ、不快を厭い、災いを悲しみ、思う通りにならないことを歎くなど、みな人の感情の自然であることは、ちょうど水が低きにつくと同様である
いずれも自分の都合のよいようにばかりはできない。自然に服従するよりほかに仕方がないのである。

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