一 括 講 読 |
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投稿時間:06/06/29(Thu) 00:51 投稿者名:ここぼん Eメール: URL : タイトル:治るとは 最近、ちょっと感じた事ですが、対人恐怖や、神経症を治すという事で、神経症の本(例えば森田療法)をじっくり読んで神経症を理解するとか、目的本位の実行や雑用をしたら治るのではなくて、じつは対人恐怖、神経症を離れて(忘れて)もしくはそのままくっついたまま生き生きと生活している状態がまさに治っている、必死に心の真実や、生き方探し、心の状態の改善、神経症の原因を求めている間はどうどうめぐりです。決して解決からではありません。実は神経症を治したり、自分を都合よく変えてくれる手引きはないんですね。神経症が治ったからといってスーパーマンにはなれませんが、今のまま自分の全力が出せる、それでいいと思います。 |
投稿時間:06/06/29(Thu) 00:53 投稿者名:ここぼん Eメール: URL : タイトル:治るとは。2 すみません、治るとはにちょっと付け足しです。今のまま全力を出せるですが、神経症が治ると意識しないでも、自然と動けるようになる。と思いがちですが、成功や努力は、やはりその人それぞれの趣向、目的、自覚によるものだと思います、そこには神経症があるとかないとかには関係ありません。神経症が治った、心構えが変わった、自己啓発の本を読んだといって、なんでも苦労なしにできるの様になるのではないと思います。神経症が治ってきたのに、行動ができなかったり、また、悩みができたりするのはナゼと思うときがあるかもしれません。神経症が治る前と神経症が治った後というのは、自信まんまんで、なんでも取り組めるようになったり、心構えが大きく変化するのではなくて、実は自分自身は何も変わってないないんです。ただ、神経症や対人恐怖に苦しんできた自分にとってそれを自覚し、通過している自分がいるのです。そこが、大きいのだと思います。 |
投稿時間:06/06/29(Thu) 00:56 投稿者名:直人 Eメール: URL : タイトル:Re: 治るとは。 > |