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新着記事(10件)

新着記事10件を表示しました

投稿時間:06/06/29(Thu) 01:10
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 神経症はごみ箱へ捨てる
その通りです、神経症はごみ箱に全部捨てよう、治癒は大完成です。
(治癒しているとの私の眼力に狂い無し)

[858] Re: 神経症はごみ箱へ捨てる - 投稿者:直人 投稿日:03/08/28(Thu) 13:03

投稿時間:06/06/29(Thu) 01:09
投稿者名:ここぼん
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タイトル:対人恐怖について
すみません連続投稿です。

 対人恐怖(神経症)についてちょっと思ったことです。対人恐怖にとろわれるいうのは、とらわれている本人は、「とんでもない病気だ。」と毎日どうしよう、どうしようと考え込む日々ですが、実は、対人恐怖(神経症)という幽霊の影におびえているだけで、自分の中で大きくしてしまっているだけなんです。まあ、ちょっと言えば、画用紙についた小さい小さいぼんやりしたシミを消そうとして、ゴシゴシあー真っ黒っていう感じですね。
 とらわれから離れれば、もともと対人恐怖(神経症)というとのは、自分の感じたことを対人恐怖(神経症)というこわい言葉におきかえてあたふたしていただけだと気づきます。
 そんな自分で作り上げたこわいもの放っておいて自分の人生を楽しみましょう。それとも、だだっこみたいに、「自分は特別なんだから、病気なんだからっ」ていつまでも、うじうじ悩む?

[857] 対人恐怖について - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/28(Thu) 01:13

投稿時間:06/06/29(Thu) 01:08
投稿者名:ここぼん
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タイトル:神経症はごみ箱へ捨てる
直人さんいつもありがとうございます。近況です。

 神経症、対人恐怖を考えない生活から、とらわれがなくなり、ほぼ、生活と仕事のみになりました。その為、物事の解決のみに、前進です。生活が一変しました。そうなると、神経症を考えない生活というより、神経症を考えている暇(時間)がほとんどない生活へと変わりました。

 今ある自分や、性格のまま、生活する。結果として、神経症から離れて神経症が治っている生活ですね。大事に持っていた神経症や心理学の本は全部処分、処分です。重い重い、神経症を治す参考書はいりません。生活に専念です。これだけで充分なんですね。

[856] 神経症はごみ箱へ捨てる - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/27(Wed) 01:48

投稿時間:06/06/29(Thu) 01:02
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 神経症を治す目的は?
そうですね、その通りです。
生活の発見会の指導層はけっこう社会的地位の高い人が多く、大学の先生、公務員と多く
どうしても生活の指導、症状の軽減的な指導要素になっています。
常識的に間違ってない正しいことなのだが、神経症の治癒方向とはまったく違います。
治癒はそういった自分について考え、改善の努力する長い時間(囚れ)が無くなる事です。
このことが解る人が皆無に近い様に思います。

成功した人格者ほど、自分は偉く無い人より優れている訳では無いと心底思っております
稔るほど頭を垂れる稲穂になっているのです。
自分は偉く無い、人より優れている訳では無いと心底自覚する人が、人格者の資格が
あるのでしょう。

[855] Re: 神経症を治す目的は? - 投稿者:直人 投稿日:03/08/26(Tue) 12:55

投稿時間:06/06/29(Thu) 01:00
投稿者名:ここぼん
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タイトル:神経症を治す目的は?
生活の発見会の方や、森田療法の本を熱心に勉強されている方は、非常に真面目で、努力家の方が多いのですが、どうしても、神経症を治したい、もしくは、神経症を治して偉くなりたい、成功したいという野心が強くて、余裕がないところもあるようですね。だからどこか、すっきりしない、暗いところがある。
 神経症を治すには、神経症や、対人恐怖を治したい心にとらわれている、という自覚が一番大切なことですね。そのままでいいんです、自分にとらわれず、森田先生の言葉の言葉尻にとらわれず、生き生きと自分を生きましょう。
 神経症を治して、立派になって、偉くなろうという野心を捨てて、普通に自分を生きてみたら、偉くもなんでもない自分しかいないんです。それでいいんじゃないかな。そこから何かが、始まると思います。自分から行きづらくする必要はないですね。

[853] 神経症を治す目的は? - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/25(Mon) 23:57

投稿時間:06/06/29(Thu) 00:56
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 治るとは。
>
神経症を理解するとか、目的本位の実行や雑用をしたら治るのではなくて、じつは対人恐怖、神経症を離れて(忘れて)もしくはそのままくっついたまま生き生きと生活している状態がまさに治っている、必死に心の真実や、生き方探し、心の状態の改善、神経症の原因を求めている間はどうどうめぐりです。
>

そうですね、その通りです。
生活の発見会に行くと、森田生活道の実践をするとか言って、何十年も会に参加して
神経症がどうの症状がどうのと話している、神経症が治れば森田療法なんか全部忘れて
自分の生活に没頭すれば良いものを、何十年も生活道なるものを実践している。
彼ら曰くでは森田生活道の実践を通じて、症状が薄紙をはぐごとく無くなってきたと言う
これは自分から症状に囚われている事を暴露している。
貴方が言うように治るのでは無く、そのまま離れて忘れて生きるのが治癒です。症状の
囚われからの解脱です、症状がどのこうのと言っている様では治癒とは程遠いですね。

先年高名な精神科医とお話させていただいた時、
私が「対人恐怖の治癒と人間関係が上手になる事はまったく関係ないですね」と言ったら
医師は「その通りです、これが医者が解っていないので困るんです」と言われた。
常識や勉強、理屈ではわからない、医者も解らないお寒い世界です。
治癒してしまえば当たり前の解りきった事なのに、なかなか理解できないですね。

[849] Re: 治るとは。 - 投稿者:直人 投稿日:03/08/23(Sat) 19:25

投稿時間:06/06/29(Thu) 00:53
投稿者名:ここぼん
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タイトル:治るとは。2
すみません、治るとはにちょっと付け足しです。今のまま全力を出せるですが、神経症が治ると意識しないでも、自然と動けるようになる。と思いがちですが、成功や努力は、やはりその人それぞれの趣向、目的、自覚によるものだと思います、そこには神経症があるとかないとかには関係ありません。神経症が治った、心構えが変わった、自己啓発の本を読んだといって、なんでも苦労なしにできるの様になるのではないと思います。神経症が治ってきたのに、行動ができなかったり、また、悩みができたりするのはナゼと思うときがあるかもしれません。神経症が治る前と神経症が治った後というのは、自信まんまんで、なんでも取り組めるようになったり、心構えが大きく変化するのではなくて、実は自分自身は何も変わってないないんです。ただ、神経症や対人恐怖に苦しんできた自分にとってそれを自覚し、通過している自分がいるのです。そこが、大きいのだと思います。

844] 治るとは。2 - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/22(Fri) 22:45

投稿時間:06/06/29(Thu) 00:51
投稿者名:ここぼん
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タイトル:治るとは
最近、ちょっと感じた事ですが、対人恐怖や、神経症を治すという事で、神経症の本(例えば森田療法)をじっくり読んで神経症を理解するとか、目的本位の実行や雑用をしたら治るのではなくて、じつは対人恐怖、神経症を離れて(忘れて)もしくはそのままくっついたまま生き生きと生活している状態がまさに治っている、必死に心の真実や、生き方探し、心の状態の改善、神経症の原因を求めている間はどうどうめぐりです。決して解決からではありません。実は神経症を治したり、自分を都合よく変えてくれる手引きはないんですね。神経症が治ったからといってスーパーマンにはなれませんが、今のまま自分の全力が出せる、それでいいと思います。

[843] 治るとは。 - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/22(Fri) 19:01

投稿時間:06/06/29(Thu) 00:46
投稿者名:直人
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タイトル:Re: 神経症の治癒とは
そうですねその通りだと思います。
宇佐博士が言われている通り「治そうとする病気」です。
治そうと一日何時間も考えて努力している時間が病気です。
この時間が1日5分になることが治癒の完成です。
そうなると自分の人生を邪魔するものは何もありません
現実の生活、仕事に全力投球出来ますので、多くの成功の山がきづけるのです。
努力して成功して下さい。

[839] Re: 神経症の治癒とは - 投稿者:直人 投稿日:03/08/20(Wed) 19:30

投稿時間:06/06/29(Thu) 00:45
投稿者名:ここぼん
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タイトル:神経症の治癒とは
神経症者の治癒例として恥ずかしながらのせて頂きました。


 ここで少し私なりに思ったことを述べさせて頂きますと、神経症が治るというのは、苦しみが解放されて、自分が突然なんでもできるようになったり、周囲の人達のように友達がたくさんいて、自分が描いていた理想の社交的な人になって、とかが目標ではなくて。


 今の自分で、普通の人が皆やっている様に、あたりまえの生活をする。勉強をする、仕事をする、生活を大事にする。もちろん、人と劣るところもあれば、失敗もある。恥ずかしい思いをすることもある。人間として当然のことなのに、自分だけが、神経症がある、対人恐怖がある、悩み深い人間だと言いはって、そこから逃げてしまってああでもない、こうでもないと自分にとらわれている。自分を楽に変えて生きていける様に書いている本があればそれを読んで気休めをする。
 
 神経症を治さない生活とは、直人さんが言われているまさに神経症にとらわれている自分の幼稚な心を自覚し、神経症、対人恐怖を考えない生活を送り、周りの普通の人と同じように日々の生活に真剣に取り組む。(神経症を治す目的ではない。)そこに神経症の入る余地はないと思います。

[837] 神経症の治癒とは - 投稿者:ここぼん 投稿日:03/08/20(Wed) 04:37

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