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一 括 講 読

投稿時間:17/09/01(Fri) 15:23
投稿者名:happiM
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タイトル:あるがまま解説01
神経質に限らず悩みというものは世間の人のも、全部考え(分別)で成り立っています。そこで、ここでは新しく自分のこころに考えをつけ加えないという形で実現しようとしておりますので、とにかく湧いて出てくる思い(雑念)の方はほったらかしにして一方通行的にいたします。それをそのまま、あるがままと言います。
>(神経症者が必要に迫られて自己改善を行うと、自分の心を問題にする時間が多大に使われて、人生が上手くゆかない、自分の心をほったらかしにして、一方通行にすれば時間は使われず、現実に時間を使えて人生が上手くゆく)

分からないままでいるというのは「あるがまま」のもっとも賢いとらえ方です。
>(分かる時間、努力に問題がある訳で、わからないで放置すると、その時間が無い)

「あるがまま」という状態を想定した人は、すべてが例外なく本来あるがままでしかありえないのに、対立概念として「あるがままでないもの」を作りあげ、「あるがままでないもの」から「あるがまま」になろうと苦心する。まさに輪に輪をかけた脱線である
>(心を問題にせず「あるがまま」に放置、不問にしておけば、問題(悩み)が起こらないが、治す必要で「あるがままに」になろうとする所に、脱線があり悩み(病気)が持続する)

療法も「分かる森田療法」に終わってはならない。「無対策の対策、対策の無対策」なのである。
>(あるがまま=無対策の対策、対策の無対策になるでしょう、そこに捕らわれから解脱、本来の人間の自由な心があるでしょう。)

>解説(直人)

投稿時間:17/09/01(Fri) 17:11
投稿者名:happiM
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タイトル:あるがまま解説02
神経質の症状も、その症状をなくしようとしていろんな療法をあさることをしないで自然の成りゆきにまかせ、向上をもとめてやまぬ、あるがままの心で働いていさえすれば、いつの間にか消失するものである。(生の欲望P155)
>この言葉は微妙な発言であり、「症状をなくしよう」としないが原点であるが、後の言葉通り実行して「症状をなくしよう」とする人々が多い、これでは消失しない

治療の根本原理は、苦痛煩悶はそのあるがままに、これに直面没入させ、これを逃れようとか、克服しようとか、紛らわせようとかの一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験によって気分本位を脱却させ、同時に精神交互作用を遮断し、一方作業によって注意の外向化をはかり、即物的態度を馴致させるとともに積極的活動の自信を知らず知らずのうちに体得させるのである。(人恐怖の治し方P164)
>これが入院森田療法の入院治療であり治癒に導くからくりですね、ただ入院とかには多大な犠牲を伴う、犠牲を無くする為に「作業」を日々行う仕事に置き換えて、「苦痛煩悶はそのあるがままに・・一切の抵抗的心理を去って」は入院でも説得、指導により行うのだろう、現代ではインターネット等があり、相互の話し合いが自由に出来る、これの利用で森田療法を行い治癒に導けると思う、医学では薬が必要であり、少なくとも通院は必要だが、ネットでは全て省かれる。

「ありのままの私が、人々の心に刻まれるでありましょう」、自分の劣等ということが人々にすっかり見すかされるということは、人怖の堪えがたき苦しさである。これを赤裸々に、思いきって自分を打ち出すということの気分が、この「刻まれる」という言葉のうちに表わされているかと察せられる。これは体験なくては、けっして出ない表現かと思われる。(人恐怖の治し方P83)
>この言葉は自分の劣等を語っているが、自分の心根に満足といさぎ良さを感じており、この心根で生きた時に、心の葛藤の無い自然な人間の心が発揮され、順調な日々の幸せを体験しているのでしょう。

>解説(happiN)

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