[リストへもどる]
一 括 講 読

投稿時間:17/10/01(Sun) 11:02
投稿者名:hppiM
Eメール:
URL :
タイトル:不眠
自覚と悟りの道 P92
神経質症の場合「それはもともと病気で無いものだから治すべきはずのものではない」というう事を知れば、
不眠や強迫観念にあっても、それを度外視して普通の人のように働くことになります、
そのうちに仕事に心を奪われて、治そうとすることを忘れる様になりそうなって初めて治るのであります。

生の欲望 P75
睡眠が疲労の回復に必要なものとすれば、身心の活動が大きいほど睡眠の深さと時間、すなわち睡眠の分量の多いことを必要とするわけである。
それに反して、身心の活動が少なければ、睡眠の分量も多くを必要としないはずである。
睡眠といっても、眠りが浅くてただウトウトとしているだけならば、ただ横になって休息しているのと同じことである。
重い病気にかかった子供を看病している母親が、夜もほとんど横にならず、ごく短時間の自然の熟睡によって長い日数の看護にも堪えられる

生の欲望 P158
昔から餓死ということは聞くが不眠死ということは聞いたことがない。何日もつづく強行軍のとき、兵隊は歩きながらでも眠るものである。
生の欲望 P75
ナポレオンは睡眠時間が四時間ぐらいであったということは有名な話である。
またエジソンは、発明に熱中するときには食事も一日に一度くらいしかとらず、三日ぐらいは
不眠不休でやるのが普通であった、という話である。
全集5巻 P555
私は本を枕元へ股いて寝る。本はいくら読んでも、読み足らぬ。
なるべく多く読みたいから、不眠に苦しむことはない。むしろ不眠があるほどよい。

生の欲望 P171
昔のすぐれた医者が、「医者は同時に哲学者でなければ不完全であるのを免れない」と言っている。
物質医学だけを勉強し、思想も哲学もない医学者は、危険な存在である。
しかも、世の人は医学的であるということにたいして敬意をはらい、自分の人生と生命を託するのである。
その託された生命を扱うにあたって、医者がその学者気質に偏したとらわれから脱することができず、
良識のない処置をとるときには、世に害毒を流すことがけっして少なくないのである。


生の欲望 P166
疾著は「とらわれ」から脱せよ
「とらわれ」とは、物ごとのある一方面だけに注意するため、全般を見ることができず、それにた
いする適切な処置をとることができないのを言うのである。
このごろの医学者は、病人を見るとかならずその病症の原因をつきとめようとし、また一方では無理にも
その症状を治そうとし、そのどちらも病人が生きた人間であることを忘れ、かえってその病人を不幸な目にあわせる。


実際に、深い眠りはごく短時間であっても疲労の回復上有効であるように思われる。それはたと
えば、戦争しているときとか、不眠不休の長い行軍のときとかに、やっと物にもたれかかって十分
か二十分前後不覚に眠ったり、あるいは馬をひいて歩きながら馬にもたれかかって眠るとかして、
わずかの時間の睡眠で疲労を回復しているのである。あるいはまた、

[記事リスト]

-