投稿時間:17/10/01(Sun) 17:43 投稿者名:happiM
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タイトル:Re: 気楽に生きたい
対人恐怖の治し方 P240 偉くなりたいということを失念して、気の小さいのを治したいと考える。たとえば、試験に及 第したいということを忘れて、気楽に本を読みたいと考え、あるいは貯金することをやめて、金 の欲を離れる修養をするというふうの考え方をするのが、神経質という気質の人であり、これが 充じて強迫観念というものになる。
森田療法と仏教 P90 緊張が神経質の症状というふぅに病気の表われとご覧になった場合はそれに対して治療が考えられます。 また、これは神経質という性格だということでなんとかもっとのんびり気楽な性格になりたいということになります。
神経質問答 P240 「治ってのちには、気楽にして、少々ズポラをしてもよいでしょう か」とたずねる人もあります。しかし全治してのちには、自然に気が張り、忙しくなり、勉強するよ うになって、ズポラなどはできなくなるのであります。
療法5巻 P744 気の軽い人は、いいたい事があれば、心のなんの拮抗作用も なくて、そのままベラベラしゃべってしまう。にぎやかでよいけれど も、むだ言が多くて、うるさくてしかたがない。 意志薄弱性のものは、恥ずかしくて自分でいわない事に決めている から、心に少しも葛藤はなく気楽である。 神経質は、いいたくてたまらないで、しかも大事をとるから、心の鳶藤が非常に強い。 ともかくも心の鳶藤の大きいほど偉い人です。そして確かな思想が
療法5巻 P384 静謎する恥と働く事とは、どっちが生命を延ばすによき条件になるかという事 は、今日の医学などでは、なかなかわからない邪である。ただ働く郡は、案外に長生きするものです
療法5巻 P188 憂と楽と、雨と晴とは、自然の現象であるから、人為的にこれはなんとも致し方はない。しかるに強いてこれを、いつも気楽に、 いつも天気にしようとするには、外界を無視して、主観的に工夫するよりほかにしかたがない。 要するに、人生は、苦は苦であり楽は楽である。「柳は緑、花は紅」である。その「あるがま堂」にあり、「脚然に服従し、境遇に柔 頤である」のが真の道である。毎日の心持を引き立たせる肢も安楽な道である。 憂鱈や絶望を面白くし、雨を晴天にし、柳を紅にしようとするのが、不可能の努力であって、世の中に、これ以上の苦痛な率はない
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