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一 括 講 読

投稿時間:17/12/18(Mon) 06:45
投稿者名:森田博士
Eメール:あるがまま@
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タイトル:自然のままに従う(強迫観念の退治)
対人恐怖の治し方 P14
われわれが試験勉強をする。昨日の試験の点数が心配になり、明日の問題が気にかかる。
現在読んでいる本が、どこを読んでいるかわからない。気にしないようにしようとする。ますます気になる。
本の方に精神を集注しようとする。いよいよ注意が散乱する。この心の反抗の状態 が、すなわち強迫観念の有様である。

これに対して、心の作為なく、「あるがまま」に、気になるのものは、を気にし、読むべきを読んでいれば
気になるものは、なり尽くし、読むものは、いつか必要なものは、自然に理解され、記憶されるようになって、知らず知らずの間に、精神は統一するようになる。

この自然のままに従うということは、修養によって、案外、容易にできるものである。
このようななことは、けっして理論によって想像することのできるものではない。ただ体験によってはじめて、簡単に会得することができるものである。

投稿時間:17/12/18(Mon) 07:01
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがまま@
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タイトル:実践で得る体験が総てだ
普通の労働者は必要に迫られ、仕方なく「あるがまま」に気になるのものは、を気にしながら、8時間なりを頭と体を使ている
即ち「あるがまま」の実践者とも言えるだろう、その姿が即ち病気の無い普通の人の普通の人生でしょう。

学生や学者の様な方々には切実な問題になるかも知れな、また仕事無い人や老人の生き甲斐で目的への取り組みでもでも、参照実践されるべきことになるだろう。

森田博士はこういった人々の効率向上や成果を得る実践を、理論的に説明されていると思う、ただ理論の理科では意味が無く、この「あるがまま」の実践で得る体験が総てだと指導されている。

投稿時間:17/12/19(Tue) 05:55
投稿者名:19才農家の娘
Eメール:あるがままA
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タイトル:ありのままの私が人々の心に刻まれるでありましよう
(前)私事、その後ますます元気にて、日々感謝しつつ暮らしております。私はこの頃、心の底より泉のごとく湧き出づる喜びに浸っております。
私は近頃、先生のご教訓が皆真であって、何ともいわれぬ有難味のあることを、つくづく実感することができました。
私は自分本来の自然ということが、どんなに尊い真実のものであるかに、ようやく感づきました。
この自然のままに生きて行く時、誰しも皆、それぞれの長所は発揮されるものと思います。ある人は笑って、ある人は泣いて、小胆者も大胆者も、皆その「あるがまま」に生きていくことは、涙ぐましいほど尊いことではあるまいかなどと、思うようになりました。
私は今では取りつくろったり、見せかけたりすることは、一切よすことに努めております。
小胆者のままに、恥かしがりやのままに生きていくことに決めました。
前には、家のうちにのみ坐っていて、いろいろと自分の欲望に対して、その苦痛の大きなことを予想し、どうにも堪えられないと思って悲観していたものが、今はその当然の苦痛の海に飛び込むようになりました。そして苦痛を逃れようとし、否定しようとしていた昔に比べて、どんなにこれが易々楽々たるものであるか、ということを知りました。
そしてまた、それがいかに真実なる尊いものであるかを、つくづく感じます。これに反して、思想の矛盾によってこしらえたものが、いかに空虚な寂しい荒みきったものであるかも知りました。
私は今でも、悲しい時には悲しいながら、淋しい時には淋しいながら、その日その日のなすべきことをしております。そして小胆者になりきって仕事をします。
人は皆、私の小胆者の恥かしがりやを見ぬき、ありのままの私が人々の心に刻まれるでありましよう。私もまた、自分が小胆者であると、真の自己を自覚します。そこにはもう、少しの見せかけや虚偽はありません。
私はこの頃、何となく真面目な気がして、何をするにもおろそかにで きないように感じ、本当の人間の心が魁ってきたような気がいたします。そして自由に働き、自由に生きております。私の前途には、希望の光明が輝いております。
振り返って見れば、何という大きな心の変化でありましょう。
苦痛の淵に足をかけては、憶病にも引っ込んで悲観し、これを逃れようとしてはますます苦しみ、喧嘩腰となり、勝とうとしてはますます弱く卑怯となり、人を羨み世を呪い、ひねくれた根性となって、ほとんど一生を台な しにしてしまうところを先生に救い出され、思いがけなくも、地獄の苦しみより天国の楽しみに、虚偽の生活より真実の人へと、お導き下された神様のような先生へ、私は改めて厚くお礼を申し上げます。(後略)

投稿時間:17/12/19(Tue) 06:16
投稿者名:森田博士
Eメール:Re: あるがままA
URL :
タイトル:天国の安楽を体験し、歓喜し、対人恐怖が全治
天国の安楽  対人恐怖の治し方 P83
十九歳の娘とは思われぬほどの立派な文章である。これによっても、実際の体験から出たものは名文もできるし、虚構のものでは本当のものができないということがわかる。
しかしこれも、一般の人、もしくは対人恐怖のまだ治らない人には、ただ漠然と本人の喜んでいる有様が推測されるに止まり、あるいはわざとらしく作った文章のように思われるであろう。
「あるがままに生きていくことは、涙ぐましいほど尊いこと」というのは、一寸の虫にも五分の魂」で、いかに賎しき人の末までも、必ず生の努力がある、ということが、誠に涙ぐましいこ とでなくてはならない。
「ありのままの私が、人々の心に刻まれるでありましょう」、自分の劣等ということが人々にすっかり見すかされるということは、人怖の堪えがたき苦しさである。
これを赤裸々に、思いきって自分を打ち出すということの気分が、この「刻まれる」という言葉のうちに表わされているか と察せられる。
これは体験なくては、けっして出ない表現かと思われる。自分が悪人であり、罪 人であるということは、ただ自分で考えるだけでも、いかに淋しい浅ましいことであろう。
しかしながら、それは小人であり、凡人であり、悟らない人間のことであって、親駕は、自分をこのように明らかに自認した。そこにはじめて大きな自信があり、天国があるのである。
この娘さんは、いかに可愛らしくも、けなげにも、思いきって自己の「あるがまま」を人前になげ出したのである。そこにはじめて、天国の安楽を体験し、歓喜し、対人恐怖が全治じ、こんな立派な文章が発露するようになったのである。
しかしこれでも、入院中はいかに、しばしば泣かされたことであったろう。

投稿時間:17/12/19(Tue) 07:50
投稿者名:直人
Eメール:
URL :
タイトル:Re^2: あるがままA
>私はこの頃、心の底より泉のごとく湧き出づる喜びに浸っております。
悩み苦しみ世界にいた人が治癒の世界に出ると、何もせずとも生きているだけで幸せになるでしょう。

自分本来の自然ということが、どんなに尊い真実のものであるかに、ようやく感づきました。

>「あるがまま」に生きていくことは、涙ぐましいほど尊いことではあるまいかなどと、思うようになりました。
尊い荘厳な生き方だから、自分の生き方に満足が出来て、誇りのある生き方となります。

>小胆者のままに、恥かしがりやのままに生きていくことに決めました。
この決心から自分を治し変えるとの無駄な時間が総て削除されてしまい、小胆者だが自己の全力を出して生きれる様になる

>今はその当然の苦痛の海に飛び込むようになりました。そして苦痛を逃れようとし、否定しようとしていた昔に比べて、どんなにこれが易々楽々たるものであるか、ということを知りました。
苦痛の海に飛び込むと、自己の本能、知恵が100%発揮されて、そこの処理が易々楽々である事を知ります、これで楽な生き方を知り
わざわざ苦の生き方に戻る頃は無いでしょう、安楽な人生を知りそれを生きることになります

>人は皆、私の小胆者の恥かしがりやを見ぬき、ありのままの私が人々の心に刻まれるでありましよう。
この自分を投げ出した懺悔の気持ちが有るから、現実に怖いものは無くなり強く生きれる様になるでしょう。

>本当の人間の心が魁ってきたような気がいたします。そして自由に働き、自由に生きております。私の前途には、希望の光明が輝いております。
治す理論や勉強の成功から編み出した心では無く、治す事を捨て自分を投げ出した心根からは、自分の心が自由に働き生きる様になります
その生き方は自分の100%の力が出せて、素晴らしい人生が展開する、先々に希望も見えるじんせいになる。

>地獄の苦しみより天国の楽しみに、虚偽の生活より真実の人へと、お導き下された神様のような先生へ、私は改めて厚くお礼を申し上げます。
神経症の人生は地獄に違いない、治れば天国になり、満足のいく納得できる人生が展開する、天と地の変化だろう。

投稿時間:17/12/20(Wed) 06:27
投稿者名:森田博士
Eメール:あるがままB
URL :
タイトル:認める時、努力が起こり進歩がある
対人恐怖の治し方 P201
神経質者は、自分の心の事実を「あるがまま」に見ることが、心細くて苦しいから、自らわれとわが心を欺いて、うやむやにしようとする。
金持ちになりたいけれども、働くのが苦しいから、金持ちになりたい心を排斥し、貧乏で満足する心を養成しようとする。
天地に恥じないものになりたいけれども、修養と勉強とがいやだから恥かしがらない性根を作り、カラ威張りを稽古しようとするとかいうようなものである。
この場合に、一方には貧乏はいや、恥かしいのは苦しいという心と、一方には、金持ちになりたい、人に優れたい、という心とを両立させて、これを明瞭に認める時、はじめて努力が起こり進歩があるのである。

投稿時間:17/12/20(Wed) 06:27
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままB
URL :
タイトル:未練がましい思考に恥ずかしさ嫌悪が要る
結局に日々の中で上手く働けない、多くの願望はあるが、自分の劣等を問題にして時間を使い現実には真剣に取り組まない現実があるのでしょう。
どうにもならないから理論的妥協を図り、こういった間違いの満足を得ようとするのでしょう。これでは病気の人生、悲しい人生が続くだろう。
ここを突破するには
日々発生する苦痛、軋轢を相手にしない心が必要だろう、そういった未練がましい思考に恥ずかしさ嫌悪が要るように思う、普通の人にはこれが有るか難なくここを通過できる。
「金持ちになりたい」「天地に恥じないものになりたい」は欲望、野心だろうが、これを成功させるには、時間を惜しまず気後れせず努力をすべきだが、無駄な時間、気後れの最大の原因である「日々発生する苦痛、軋轢を相手にしない」といった、自分の見栄や体裁を投げうった真剣な姿勢がいる、まさに背水の陣がいるだろう。

投稿時間:17/12/21(Thu) 05:10
投稿者名:高良武久
Eメール:あるがままC
URL :
タイトル:一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験
対人恐怖の直し方 P264
森田療法の・・治療の根本原理は、苦痛煩悶はそのあるがままに、これに直面没入させ、これを逃れようとか、克服しようとか、紛らわせようとかの一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験によって気分本位を脱却させ、同時に精神交互作用を遮断し、一方作業によって注意の外向化をはかり、即物的態度を馴致させるとともに積極的活動の自信を知らず知らずのうちに体得させるのである。

投稿時間:17/12/21(Thu) 05:11
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままC
URL :
タイトル:自己への思考を粉砕する時に治癒が訪れる
要は人間も動物の一種に過ぎなかったが、生存の競争の中で知能を持ち発展させて、動物の中では一番強い存在になり、長寿をまっとう出来る様になった。
この知能を外面に働かして(自身の体も含め)いれば、強い存在になり安楽な長寿を得るが、この知能を自分の心に向けて、思考、訓練、利益を追求しだした時に人は心の病気になる、他の動物はこれはしない出来ない、だが人間にはできるので行うが悪い結果しか生まれない、これを完全に粉砕するのが森田療法だと思う。
各種の症状には関係なく、自己への思考を粉砕する時に治癒が訪れる、普通人の人生には自己を問題にした改善や訓練の思考は無い、本能的にこれはしない、だから心の病気では無い、神経症の病気の人もそうなるだけであり、普通の人になって治癒する。

投稿時間:17/12/23(Sat) 08:29
投稿者名:森田博士
Eメール:あるがままD
URL :
タイトル:事件のをまっただ中に突入・・臨機応変の処置がとれる
生の欲望 P235
私の人生にたいする態度は、自分のほんとうの心を欺かず、生活においても、また生死の間に立つ場合においても、自分の心の「あるがまま」の事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。
たとえば、交渉ごととか談判とかをする場合にも、前もって自分が言おうとすることを考え、順序立てておいても、実際にそのことに当たって見ると、先方の出方によってこちらの予定はすっかり崩れてしまうことが多い。
このような場合、ただ当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれるものである。それは武道でいえば捨て身の態度であり、背水の陣である。
ことさらに自分で勇気をつけたり、自信をもとうとあ せったりする必要はない。そのときに臨んで、はじめて勇気と自信が湧いて出るのである。
ほんとうの勇気というものは、理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられる ものでなければならない。それは、山に海に、社会人事に、あるいは白刃の下に、事実に当たって修養されたものでなければならない。

投稿時間:17/12/23(Sat) 08:34
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままD
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タイトル:自分にとって宝物であり、安楽な道を知り、自信に満ちて生きれる
まさに「言い得て妙」であり、「言葉で言い表せない」素晴らしいことを言われている、現代にこんな事を知り教える人は皆無だろう、精神科医にいるとは思えない。
当然に白刃の下に修養された人はいないだろうが、社会人事でこれの修養は経験する人は多いだろう。
神経質症の病気でない、普通の人は理屈なしに自然に、これが実行され修養されて成長して行く、まさに「当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれる」との人間の本能を生きているに過ぎない。
神経質症の人はこれが判らず「理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられるものでもない」はずの事を真剣に行って失敗を繰り返している。

そこを突破するには「自分の心のあるがままの事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。」これが必要だろう。
これを自分で気づくのは難しい、本当に難しいが森田博士の様な人がいて指導いただくなら理解できる、本当に素晴らしい事だ。
これが人生を貫いた生き方になるのは「ほんとうの勇気と自信が生れる」からです、これは自分にとって宝物であり、安楽な道を知り、自信に満ちて生きれる様になる
普通の人は本能として実行しているが、心の病気を乗り越えた人は、原因と結果を知り、より迷いの無い人生となる。素晴らしい言葉だ。

投稿時間:17/12/26(Tue) 05:52
投稿者名:森田正馬(高良武久)
Eメール:あるがままE
URL :
タイトル:煩悶はそのまま、抵抗的を心理を去って、事実服従の体験をえる
入院森田療法について(著書=対人恐怖の治し方P264)
治療の根本原理は、苦痛煩悶はその「あるがまま」に、これに直面没入させ、これを逃れようとか、
克服しようとか、紛らわせようとかの一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験によって気分
本位を脱却させ、同時に精神交互作用を遮断し、一方作業によって注意の外向化をはかり、即物
的態度を馴致させるとともに禎極的活動の自信を知らず知らずのうちに体得させるのである。

そしてかかる過程はたんなる説得によって実現されるものではなく、患者を一定の環境におい
て、適当な条件を与えることによって、患者の心境がこの条件に応じて自ら変化するような組織
の下に行われるのである。その間患者に日記を記載させ、その精神的変化に応じて言語的にも指
導するのであるが、積極的になれとか気を大きく持てとか、外向的になれとかの抽象的指導では
なく、できるだけ具体的に、実際に適する生活指導を行うのである。

投稿時間:17/12/26(Tue) 05:53
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままE
URL :
タイトル:インターネットを通じて多くの人を治癒に導いた
現在ではこういった入院森田療法を行う所は希少にであり、又こういった指導においては
その指導者の能力が重要であり全てであると言える、のの能力は勉強や訓練で得れるものでは無く
自分が神経症になり、それを乗り越えた経験と、その後の人生でこれを深く検証出来た人になる
これが医師免許と結びついているので人は皆無に近い。

しかし現代のインターネットは即個人との会話が自由であり、本人の毎日の仕事を入院中の
作業と見立てて、毎日書き込みをさせて、それに対して指導する体制を取ればいい
この場合、医師免許は必要なく治癒経験と人生経験の多い指導できる人は多いと思う。
森田博士は神経症が治った人は他人を治癒させることができると言われているが、真実だと思う
私もインターネットを通じて多くの人を治癒に導いたと自負している。


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