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一 括 講 読

投稿時間:17/12/28(Thu) 06:24
投稿者名:囚われからの解脱
Eメール:あるがまま そのG
URL :
タイトル:無治療の治療、無対策の対策
著書=囚われからの解脱 P2
「そのこころもとなさになんら人為的加工を加えることなく、そのこころもとなさを味わっているのが
真実(あるがまま)」なのであるからそれに徹していくことにする」

著書=囚われからの解脱 P22
ところで「露堂々」という禅語について説明しておこう。
これは「如々真」と同じ意味で、森田療法の世界で言えば「あるがまま」「そのまま」と同じ意味である。
晋一はある日の講話のなか「露堂々」についてこう語っている。
「いまお持ちのこころをそのまま持っていることです」と
これは自分のこころに何らの人為的加工(不安を安心に変えようなどとの計らい)をしない ことを指す。

著書=囚われからの解脱 P26.27
「あるがまま」は森田療法の神髄
また「無分別の分別」という表現も、こころに刻みこんだ大拙の言い回しである。
つまり、こころに分別を働かさないことが、真の分別になっているということだ。これは大拙のいう即非の論理と言っても良い。
晋一はすかさずこれを自分の療法に採り入れた。「無対策の対策」、「無治療の治療」などがそれだ。
前者を例に とれば、自分のこころを不安なものから安心に変えようなどという計らいを、一切しないことを言う。
後者も同じことである。

投稿時間:17/12/28(Thu) 06:53
投稿者名:直人
Eメール:Re:あるがまま そのG
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タイトル:人心の不思議か、悟りでもあり、森田博士の発見だ
上記3っつとも同じ様な心を言われていると思うが、自分の心を相手にして時間を取らないと言うか、心には人為的加工はせず、無対策でそのまま前進だろう
森田博士の言う背水の陣であり、不安、未知、生贄の前進である、そこに見事な対策が発生するので両者の意見は合致する。
人為的加工や対策する、治療の勉学から神経症の病気の治癒はありません、無治療、即ち治すを否定したあるがままに前進するところに、自然に治癒は発生する。
これは人心の不思議と言おうか、悟りでもあり、森田博士の発見でもある。その不思議の会得が病気の治癒となるが。治すの成功では無く治さないの成功で治癒する。
再発しても治さないで放置すれば、簡単に治ってしまう。

投稿時間:17/12/31(Sun) 09:43
投稿者名:囚われからの解脱 P29
Eメール:あるがままの そのH
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タイトル:『あるがまま』は言語と論理によって伝達されえない
(中略)『あるがまま』は言葉と論理のない状況であるために、本来伝わらない性質のものである。(中略)『あるがまま』をどう継承するかが問われる前に、この非伝達性が明確にされていなけれ ばならないであろう。
十四世紀の京都で禅風を高からしめた大燈国師(大徳寺開山)は、その遺戒のなかで『不伝の妙道』(言葉で伝えることの出来ない真実)を体得していなければだめだ、と言 い放っている。
(中略)これは抽象的、論理的思考によらない真実(あるがまま)の授受を述べて いる。つまり『あるがまま』が言語と論理によって伝達されえないことを示唆している。

投稿時間:17/12/31(Sun) 09:45
投稿者名:直人
Eメール:あるがままの そのH
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タイトル:40日の入院療法と同じことをネットでやればいい
「あるがまま」とは森田博士の代表的言葉だが、森田博士はそれを伝える為に40日間の作業が必要としており、それを通じてその「あるがまま」の心を伝える事を行ってきた。
論理的思考等で伝わるなら、勉学、説教でいいだろう。
「あるがまま」に生きる事を実践した人に起こる心の変化は、理論では無くて体験として表れて、心の病気、神経症の治癒として表れる。
だからこれを他人に伝え残すのは難しいことだ、しかし普通の勉学では無くて、治癒したいとの願望があり、その結果を得たい人には、求める意欲が強いので、仕事などの社会生活の努力を作業と見立てれば、その日々の心の在り方を指導する事で「あるがまま」は伝わるだろう。
座禅や入院作業などしなくとも、仕事など社会生活へ取組む心の在り方を補助する事により、本人の体験自覚を通じて「あるがまま」は継承される。これを実践する。

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