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一 括 講 読

投稿時間:17/09/01(Fri) 15:07
投稿者名:happiM
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タイトル:強迫観念とは何だろう
対人 P12
強迫観念・・それはわれわれの日常、自然の感想に対して、自らことさらにそうあってはならぬと反抗し苦悩するものである。すなわちその感想そのものが病的であるのではない。これを病的と思いちがえていたずらにこれに反抗するところの反抗心そのものが異常を引き起こすのである。

対人 P25
強迫観念は、常に自分の感情に反抗し、事実を事実として認めないために、常にその目的とは反対になり逆行するものである。すなわち対人恐怖は恥知らずになり、不潔恐怖はいよいよ不潔となり、読書恐怖はますます読書ができなくなるのである

対人 P217
強迫観念を解脱した人は、すでに人生の修養を積んだ人で、世の中の酢いも甘いも、かみ分けた人です。凡人以上の人になろうと欲するものは、充分に、強迫観念を苦しまねばならない。これが直ちに、人生の修養となるのです。

対人P183
欲望と苦痛とは、相関関係であって、けっして別々に考えることはできません。千円の日当よりも、二千円の日当を取れば、大抵の苦痛は平気になります。 職業をいつまでもやめていてはきりがない。出世したいという欲望がなくなればけっして強迫観念の苦痛のなくなる時節はありません。 安楽に静養すれば治ると思うのが、常識的な大間違いです。一般には、これを治そうとする方法をする間は十年でも、二十年でも、けっして治ることはありません。

対人 P165
買いたくて堪らないものができると、その欲望と、暑い苦しみとを取りかえて、買物にも行くことになる。また一万円なり二万円なりの金は惜しいが、その品物の欲しさに比例して、金の惜しさと取りかえる。強迫観念患者の考え方は、すべての場合に、金なしに、自分の好きなものを買おうとする工夫のやり方です。

対人 P240
偉くなりたいということを失念して、気の小さいのを治したいと考える。たとえば、試験に及第したいということを忘れて、気楽に本を読みたいと考え、あるいは貯金することをやめて金の欲を離れる修養をするというふうの考え方をするのが、神経質という気質の人であり、これが充じて強迫観念というものになる。

対人 P240
本人が頭痛、耳鳴、胃の不快感、便秘、心悸冗進などを気にし、それを病気だと思って心配し強迫観念にとらわれて取越苦労するとき、それらの症状はますます悪くなり、しまいには仕事も手につかなくなる。ところがこれらの症状がありながらも、とにかく仕事に手を出しいやいやながらもやっているうちに、いつの間にか仕事そのものになりきり煩悶や取越苦労を超越したときに、これらの症状はまったく消え失せるのである。

投稿時間:17/09/11(Mon) 07:48
投稿者名:hppiM
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タイトル:Re: 強迫観念とは何だろう
5巻 P391
強迫観念は、ひとたび、逃げ道はない、治す事はできないという事を、よくよく知り分けさえすれば、その苦痛は
ただこれを忍受し恐怖を突破して新生面を切り開くよりほかに方法はなくなり、初めてそこに悟りがあり、強迫観念が全治するのである。

対人 P183
出世したいという欲望がなくなれば、けっして強迫観念の苦痛のなくなる時節はありません。安楽に静養すれば治ると思うのが、常識的な大間違いです。
一般には、これを治そうする方法をする間は、十年でも、二十年でも、けっして治ることはありません。

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