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一 括 講 読

投稿時間:17/09/01(Fri) 15:10
投稿者名:hppiM
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タイトル:対人恐怖の治し方
>対人恐怖の種類
赤面恐怖 正視恐怖 己表惜恐怖、その他、自分の顔がおかしい(奇形恐怖)や歩く姿が変だとか、自分に体臭があると悩む体臭恐怖や、多人数の前に出るのが嫌なもの、個人的対談に際して、話すべき話題のないことが苦になるもの・・種々さまざまである。

>対人恐怖は誰にでもある
誰でも、時と場合によって経験することで、何も病的なことでもなく、特別なことでもないので、 人情の自然であるといっても差支えない。

>捉われるか捉われぬかの連い
捉われる人は、人と面接するごとに、強く対人恐怖を意識して苦しみ、毎日対人恐怖の地獄になる そのためなるべく人に逢うことを避けるようにし、生活は消極的に引っ込み思案になり、 自分の能力を発揮し得なくなるので、そのためにひどい劣等感を起こしたりする。

>なぜ捉われるか
普通人の誰にも起こる対人恐怖を自分だけに特別なものと心得て、それが自分の生活にとって 非常に不利なものと思い込んで、この当然あるべき自然の人情を、否定しようとしたり、 それから逃れようとしたりすることにあるのである れは不可能を可能にしようとする葛藤になる。かなわぬ戦争をするようなもので、いよ いよ苦しむばかりである、れを絶対に起こさぬように念ずれば、いよいよ対人恐怖を 強く意識するようになり、それがこびりついて頭から離れないのである。

>あるがままに任せる
蛇は気味悪いものだ、と素直にその感じを受け入れて、何ともしないから、蛇恐怖にとりつかれたり、毎日それを苦にしたりすることもない。つまり往生しているのである。 どうにもならぬことは、仕方がないとして、そのままでやれるだけのことをやってゆくのである。 あるのが常態と心得て、素直に、対人恐怖でも何でも感じながら、びくびくはらはらのままやってゆくだけである。 平気になろうとも何ともしないから、葛藤もなく、ちょっと対人恐怖を感じても、いつの間にかすっと消えてしまう。

>生活全体の外向化をはかれ
あまりに内向的になれば生活が萎縮してしまう。キャッチ・ポールをやるときポールを見ておれば、手は一々意識しなくても、おのずからその方に向くのであるが、自分の手を見ておれば、ポールを取り外してしまうようなことになる。 人に対する時、自分の気持ち、顔の感じ、自分の態度等に気を向けていると、一層圧迫を感じ、人の話も上の空に聞いて面白くもなく、相手も気乗りがしないという調子になる。 だから対人恐怖に限らず、神経質症状を治すには一つ一つの症状を治そうとせず、生活全体を積極的に推進さして、毎日することが多くて、忙しくて一日が短い、というような生活をするようにするのがよい。 生活の外向化はどしどし仕事をするに限るのである。気のついたことは直ちに手を下してやる、という生活態度が身につけば、すなわち自己に即せず、外界の事物に即していく生活が実現すれば、神経質症状はおのずから消散するのである。
 

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